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向こう岸のあなたのこと

おおよそ規則正しい寝息が聞こえる。
忙しそうに駆け回っていたし、私といる間はきっと私のためにたくさんのことを考えてくれていただろうから、こうして自分だけのために時間を使っていてくれるとほっとする。
繋がれたままの左手が寝ている人の体温にあてられてじんわりと汗ばむほど熱をもっている。
今までだったらぱっと解いて汗をぬぐったりしていただろうに、そんなのも気にならないくらいしっかりと握っていた。

初めて手を繋いだ時も左手だった。形のいい爪がそろう長い指にすっぽりとおさまるようにして繋がった手は最初からそこが定位置だったような顔をしていた。
触れることはないだろうと思っていたから、思わず「これ何?」と聞いた。
低くくぐもった声の「わからない」が答えだった。答えになりようもないものだったけど、それでよかった。わからないならもう少しだけこのままでいいよね。そう思っていた。
それに、同じ気持ちでいてくれるならいいなとも。


男の人のことは何年経っても何人と触れ合ってもわからない。男の人って言ったけれど、それは女の人あっても同じだとは思う。ただ、何となくでわかり合えてしまうところは女の人には多い。男の人とは安全確認するように、少しだけ気を配る必要があると思っている。
例えるなら、男の人と私の間には「わからない」って大きな川が横たわっているって感じ。それに橋を架け合って少しだけ「わかるかもしれない」を見つけていく。
時々、その橋は流されてしまう。それは造りの甘さからでもあるし、予期せぬ大きな雨風に晒されたからかもしれない。そういう時はまた一から架け直す。この前よりも丈夫な橋にしようと。
ある時には川が大きくなりすぎて橋を架けることができなくなった。そういう時は悲しいけれど、川に飲み込まれないように別の場所に移り住むしかなかった。
またある時は予期せぬ雨風があまりにも強くて、十分に橋を架けられなかった。いつまで経っても弱々しい橋しか作れなかった私は何度も来る雨風についには架けることをやめてしまった。

いつも目の前にゆったりと大きく広がる「わからない」の川に気を取られて、橋を架けるのに躍起になっていた頃は随分と振り回された。
きっとその時には自分が傷ついた以上に、私が相手を傷つけていたことだってたくさんあったのだろう。無知で鈍感なところがたくさんあったのだから。

振り回されながらもこだわっていたのは、多分わからないことが怖かったのだと思う。だんだんとわからないことが増えていって、大きな川の対岸のあなたが見えなくなるかもしれない。見えなくなったらきっと探せない。なんで姿を見せないのかと、寂しさを怒りに変えてしまうかもしれない。だから、「わからない」の川が大きくなっていくことは怖い。
今だって少しは怖い。でも同時にきっと大丈夫だっても思っている。なんでだろう。

今回の橋はどうだろう。いくつも細い橋が架かっている。珍しく私も橋を作るのを頑張ったらしい。それをよく見ると補強するように彼の作り方が組み込まれている。
言葉足らずで、時々癇癪を起こしたように怒ってしまうし、いじけてしまう、「ごめんね」をいうのが下手くそな私を支えるように言葉を心を継いでくれる。
のんびりしていて、あまり細かいことに気がつけないからたくさんブロックが歯抜けになっているところを埋めるようにして、所々の穴に足を取られないようにしてくれる。そういう補強が随所にある。
初めてのことだった。自分の橋を検分しようとしたことも。他者が自分の橋を丁寧に繕ってくれていたことも。


ある先生が教えてくれた「愛し方は学び直しができる」という言葉。
実感を持って理解できたのは、彼のおかげだった。

黙っていること、我慢すること、いつも大きな気持ちで迎え入れること、それはいつも私が愛した人にしてきたことだった。
尋ねたくても、わかって欲しいことがあっても言えない。わがままだと思っていた。自分のあれこれを伝えることを。
相手の言葉や行動に揺れ動く私の心のことを勘定しない方法は、すぐに限界が来た。
どうにもいかなくなると「わからない」の川にどんどん水を流し込み、対岸を押し流した。そして雨風によって今まで架けてくれていた橋も押し流してしまった。
本当はそんなことしたくなかったはずなのに。いつの間にかそうするのが一番いい気がしてしまっていた。
そうやって関係をある一定のところから紡げずにいた。


「わからないから、教えて。知りたいから、教えて」
押し黙り、言葉を紡げなくなるたびに、責めるでも詰るでもなく「教えて」という人。
感情的になるたびに、目の前で起こるそれではなくて、その行動に出ざるを得なかった奥の心を「教えて」という人。

どんなに感性が合っていても、違う人間だということが前提にある。だから、違うからわかろうとする。そうやって向き合う。
言えなくていても「教えてほしい人に教える」だったら、できそう。そうして、自分のことを話していけるようになった。同じぐらい彼も私に思っていること、今見えていることを教えてくれた。
話していくと自分の気持ちもだんだんとクリアになっていく。それは私の方が「ごめんね」ってこともあるし、相手が「ごめんね」と言うこともある。

この前「ごめんね」と差し出された手を取った時、間違えたり、自分が傷つけたりしたらこうやって戻ればいいんだと思った。
わからなければ、わからないままに相手の気持ちを置いていってしまうことがある。だけど、置いてけぼりになったところまで戻って一緒に話せばいい。お互いどう思っていたのか、わかるまで。

ひとりだけで頑張って橋を架け続けていたと思ったけど、相手からも橋を架けてくれていて、加えて私の橋の補強もしてくれていた。ちゃんと2人が行き来できる橋にまでなっていた。

「わからない」を「わかるかもしれない」に変えていける以上に、これは「大切にする」「愛してる」ってことなのかもしれない。そう感じた。

人との関係なんだから、難しいことがこれからもあるだろう。それでもきっと大丈夫。
戻ったり、作り直したりしながら、向き合えるって思うから。向き合おうって思ってくれてるのがわかるから。


フワッと風を感じて目を覚ますと薄暗い部屋の中で、布団をかけ直してくれていた。
いつの間にかすっかり朝だった。
伸びをして「おはよう」と声をかけながら腕を広げる。
吸い込まれるように腕の中に入ってきたのを抱きしめた。外の匂い。あなたの匂い。
見た目よりもずっと柔らかい髪の毛を撫でて、もう一度「おはよう」と声をかけた。

一番に「おはよう」と伝えられる日がこれからも続いていったら、とても嬉しい。

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くまみ
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