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「嫌われること」について考えた

 お小遣いサイトを十年以上やっているのに人との関わりが少ないことからも分かるが、私はコミュ障だ。
 ほかの人はどうなのか分からないけど、私は人を嫌いと思うことがない。と書くと善人みたいだが、コミュ障が持つ人に対しての感情は嫌いではなく、「怖い」ではないだろうか?
 私にとって人間は「どうでもいい」「好き」「怖い」の大抵三つに分かれている。そしてこの怖いというのは、見た目で怖いと思うことは滅多になく、大体自分が何か言われて「怖い」という感情に至る。のだと、最近になってようやくわかってきた。そして自分がどのような人間に嫌われて「怖い」と思うようになるのかも。

「怖い」を掘り下げると、中学生までさかのぼる。私は中学生のときに一部の人から揶揄われる対象にされていた。そしてまたその揶揄う人とは別で、トラウマになっていることがある。
「性格を直したほうがいい」という紙を何度か同じ同級生から渡された。そういえば断捨離のときにはその紙片は見つからなかったけれど、中学生当時にちゃんと捨てていたのだろうか……その紙をどうしたのかは記憶がない。
「性格を直したほうがいい」と書かれた紙をもらう中学時代を送る人間が、この世に一体何人いるのだろうか?言われるよりも正直きつい。だって形に残るのだから。
 性格のどこを直したほうがいいかまで、せっかくなら書いて欲しいものだが、その記載はなかった。ただ「性格を直したほうがいい」とだけ書かれた紙を何度か同じ人物から学校で渡された。恐らくは、転校してきて自分から積極的に同級生と関わらないところが駄目で、そんな消極的さに対して「性格を直したほうがいい」と言われていたのだろう。
 だが後から思うと不思議なのが、その子は当初、なぜか私を部活のマネージャーをやらないかと頻繁に誘って来た子なのである。嫌いな奴をマネージャーにならないかと誘うことはない気がするのだが、何度か誘われても私が首を縦に振らなかったからか??これが異性相手だったら「可愛さ余って憎さ百倍」の気持ちになるのは分かるのだが、同性なんだな……そのため、相手がどのような気持ちで私に対して「性格を直したほうがいい」という紙片を渡してきたのかは今も謎である。
 思い返しても中学時代は、良いことが何もなかったのだが、その子とは別に私を揶揄ってきた集団の中には、学年一の美少女がいた。そしてその美少女と私は後ろ姿だけが似ているみたいで、よく間違えられて声を掛けられた。たいてい私が振り向くと「げ、間違えた」みたいな顔をされたが、今にして思えば私を揶揄って遊んでいた美少女は、私みたいなブスがその美少女と間違われることにイラついていたのかもしれない。
 本当に思い返すとロクでもない中学生時代だった。恐らく、私に「性格を直せ」と紙を渡した子はそのことを覚えていないだろうし、私を揶揄って遊んでいた美少女もまた、覚えていないだろう。たぶん私は死ぬまで覚えているだろうけれど。
 お前たちの本名は忘れない。


 そして大人になってからは、紙片を渡されたり、揶揄われると言ったことはなくなったが、代わりに(?)「あ、嫌われているな」と感じるシーンが時々ある。なぜ人間は、本人の聞こえるところで陰口を言うんですかね……
 これに対してのアンサーをネットで調べたこともある。

・わざと聞かせるつもり(嫌い)
・聞かれたところで、困らない(相手を下に見ている)

 なるほど……私の場合は下に見られていることが多い気がする……

 私自身は、自分から人を下に見たりしないし、嫌いになったりもしないので、そんなことをされずに生きていたい。
 ときどきこのようなポジションに陥って、心は傷付いているのだが、ネットで262の法則というのを見掛けて、「じゃあ仕方ないか」と不惑にしてようやく諦めるようになった。

262の法則とは、組織内の人材の比率が「意欲的に働く2割」「平均的な6割」「意欲の低い2割」にわかれる現象のこと

 集団が出来ると組織を構成するメンバーが変わっても、「2:6:2」のバランスが保たれるといわれているらしい……

 たとえば、頭の良いクラス委員タイプを10人集めたとすると、その中で積極的な人が2割、普通の働きをする人が6割、怠ける人が2割に分かれるという。
 
 これと同様に、組織に属すると「自分を嫌う人が2割」「どちらでも無い人が6割」「好意を持つ人が2割」に分かれるというのを聞いたことがある。
 そして人間関係の恐ろしいところは、「どちらでも無い人6割」が、何かの拍子に「好意を持つ側」に変わったり「嫌う人の側」に変わったりすることだろう。
 この法則を知ってから、見た目からして攻撃しやすそうな自分が、見下されたり陰口を言われるのは仕方ないかなと思うようになってきた。そして、陰口を言う側の人間は大抵「リア充」とまでは行かない人の気がするのだ。
 思えば真のリア充が私の陰口を言っている姿を見たことがない。陽の側のリア充は、すみっこに生えている苔のような存在になんかわざわざ目を留めないのだろう。
 一方で、陰口が聞こえるのはリア充とまではいかないけど、私のようなコミュ障でもない普通の人だ。普通の人に嫌われるのもなかなか辛いが、私が自分から積極的に関わろうとしないので、仲間にならないことに不満を感じて陰口を言うのかな?と最近思うようになってきた。
 私としては放っておいて欲しいのだが…………

 うんざりしたり諦めたりする反面、どこに行っても嫌われないだろうなという人は一定数存在する。
 262の法則とは言っても、そういう人は「嫌う人が1割」「どちらでも無い人が6割」「好意を持つ人が3割」くらいのバランスに変わっているのではないか?

 そういう人は大多数と上手くやっていくコミュニケーション力をどこで身に着けたのが私としては不思議だ。思わず宇宙猫顔になる、理解できない存在である。
 宝くじで3億当てた人とかは羨ましいが、3億当てるよりも「どこに行っても上手くやって行くスキル」が羨ましい。
 だが3億あったら誰に嫌われても「私にそんなこと言っていいのか?私は3億持ってる人間だぞ?」と強気になれる気がするので、結局一番欲しいのはマネーパワーな気がする。
 何の話だ。

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