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素人介護 No2

何処から書いて行こうか? 始まりは今年の一月だった。抗がん剤を始める決心をした彼女のお手伝いをしようと決めたのは、 たっちゃんが大好きだからで有る。

80代のかねちゃんのお友達は、一人で喋りまくりたい人が多いなか、たっちゃんはかねちゃんの生き方に興味を示してくれ、理解してくれる唯一の人だった。その上気丈なたっちゃんは愚痴や弱音は吐かず、とても楽しく心強い存在だった。

抗がん剤治療が始まると、たっちゃんは見る見る体力を失っていった。食欲も無いため、試行錯誤しながら、お料理を週に3回程持って行くと言う生活が始まった。

買い物や頼まれごとを手伝いながら、少しでも彼女の役に立ちたかった。

2023年にはすこぶる元気で日本に4回も帰っていた たっちゃんは、2023年の夏頃 胆嚢を取る手術をした。その後2ヶ月程経ってまだお腹に違和感があると言ってタンカン癌が 見つかりました。血液検査とかで癌とか解るんじゃないの?!

2024年の1月から、抗癌剤治療が始まり、余り食べられなく成っている たっちゃんはかなり衰弱しており、とにかく食べさせないと、と思い、いろいろ考えて 食べ物を沢山持っていきました。食欲はお喋りしながら、人と食べると、知らず知らずにたべていました。そんなこんなを数ヶ月続け、柔らかいお豆腐や、食べ易いひき肉、お茄子、色々と考えて食事を週に3〜4回程持って行きました。食欲が戻ると、見る見る元気を取り戻していった。

それでも、長い間キッチンに立っているのは辛いようであった。その内、相方の旦那しゃまの息子二人がオハイオから 手術を受ける、弱った たっちゃんのお見舞いに訪れ、数日お家にお泊まりする事になって、かねちゃんは遠慮していました。

後から聞いてみると、弱音を吐かない たっちゃんが、毎日ご飯の用意を三人分して、疲れたと初めてこぼしていました。

殿方と言うものはそんなにも気が利かない生き物なのでしょうかね?びっくりだ!

彼女もいけないのですよ。そうやって無理をしてしまうから、

ただ、わたくしは、とってもとっても腹が立ちましたぜ❗

皆が帰った後、ご飯を持って行ってお昼をなるべく一緒に食べる様にしていました。旦那様とは食べる物が違う為、フラフラでも彼の分は時間どうりに作って食べさせていました。ある時やはり、少し疲れ気味なたっちゃんは珍しく不安げでした。数日後に控えた手術を受けるべきかとつぶやいた。彼女は少し手術を受けるのを戸惑っているような事を漏らしたので、

今からでも嫌なら止めれば? 決められないなら延期でも良いんじゃない?っと言うと、頷いて考えてみると 言った。次の日に もう決まっていることだから受けることにすると電話してきたので、出来る限りサポートする事を伝えた。
手術が終わった直後は 割と元気で、歩行の練習も病室の周りを歩いたりしながらおしゃべりして、これならすぐ元気になるろうと思っていました。

ある日仲良しだったヨーコさんを連れて病院へお見舞いに行く日の事です。
朝早くたっちゃんからテキストメッセージが入りました。
どうやら旦那様とこれからの予定の折り合いが付かず、もめていると言った内容でした。 
その日のお昼を三人分用意して病院にとりあえず向かって、ヨーコさんと落合、病室に向かうと、旦那様がまだお部屋にいました。
横柄な態度で出迎えられて、ヨーコさんのお見舞いの品に 嬉しくなさそうな彼の表情を見て、ヨーコさんは一気に気持ちが悪くなり、 それに加えて、たっちゃんが意識朦朧に成っていたのです。
ちゃんとお話しも出来ない状態で、旦那様にも邪魔な様子だったので、食べ物だけを置いて早々に引き上げました。

それからと言うもの たっちゃんはあれよあれよという間に弱っていき、食べ物を拒否して、意識も少しおかしいままでした。

つづく

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