人からの相談事の会話で感じた事、 それって自分も感じた事有るからこそ、今助言できる事。Vol,2

😎 ここから  ここまでは読まなくても良い。😎 
😎私には恐怖は無いっと言う人、それに操られてはいないと思う人は居るかも知れない。 
でも人間が一番怖いのは病気かも知れない。 それゆえ我々は健康保険なる物を常に意識している。 
これはシステム化されているので、すでに我々の意識の中に恐怖によって操られている感は余り無いのかもしれない。
ただ社会のシステムを壊すつもりも無いし、それをどうしろという訳では無い。
ただそれだけでも 我々は何かに恐怖を煽られ、そのシステムに甘んじていることは確かである。😎

話は少し変わるが、オレは良くスーパーナニーというショウを見る。 子供、大人に関係なく 人の在り方とか、気の変え方とか、それによって何がどう変化するとか、そんな事が面白くて時々見たくなる。 

それと、もうひとつはドッグウィスパーのシーザー、この2つに共通点が有る。 己のあり方だ。 馬を扱う時にも言える事だが、自身が落ち着いた状態で無ければ、健全に事を運ぶことは出来ない。
自分が落ち着いた態度を貫く事が如何に大切かがよく分かる。

ここで、一つ言えるのはマインドを少し切り離すと意外とうまく行く。

ボリューム1で述べたように、鼻歌はこれを改善してくれる。
乗馬を教える時も 良く鼻歌を歌ってごらんっとやらせて見る。
もちろん出来ない人もいる。 鼻歌の様な簡単な事でさえガチンコ状態では難しいのだ。水に溺れそうな時 もがいてしまうのと同じように思う。      何とかしようと逆効果の事を延々と続けてしまう時、誰にでも有りがちでは有るけれど この時瞬時にどうするべきか考える力のある人は生き延びる事が出来る。🤨🌻

日本にいた時神奈川県の免許試験場で2輪指導員をしていた時 15才程の子供達の中には 頭が動かないで、カチカチになった子と、 頭が結構自由に動かせられる子がいた。
この違いは何だと思うだろうか?
恐怖をコントロールする力なのだ。 自分をコントロールする。 
周りを見る起点が無いと、動体視力と判断力が作働しない。 アクセルをゆっくり開く時に自分の手ばかり見ているので、その後の準備も出来ていない。
それどころかあんなに注意していた手が目を離した途端体の準備を怠った為、体がいきなり後ろに持って行かれ、そのせいでアクセルをもっと吹かす状態に成り、顎を伸ばし上に向いた状態で戻せない。 注意力を分散するには目的を見極めて、その他の準備が出来ていないと出来ない。 

ガチンコになった若い子達に効果的だったのは、前を見て鼻歌を歌わせる事。呼吸を整える事。それでも出来る子と出来ない子が居る。いわゆる小さいパニック状態だ。 ゆっくりと何度も開ける閉める、を俺の腕で原チャリをしっかり握りながら繰り返す。開ける〜戻す〜っと呼吸も誘うようにやって見る。 そうそう! 😂😀😋 出来てるよ!

スーパーナニーをよく見ると少し分かって来る。 
自力で考えるスペースを持ち慣れている子と、 強引に無理やり理屈無しに一方的な説明で何となく押さえ付けられた状態で納得させられて居る子だ。 自分の力で考え、そのスペースで考えられる限りを理解し、行動に出来るか出来ないかで変わるのだ。

さて、難しい事を何時までもとやかく説明するのはこの辺にして、

人間関係は触れ合う事から始まる訳で、それがすれ違いの人であってもそこから始まる。

ある日のショッピングモールでの話をしよう。
 白人の家族がモールを公園替わりに子供を遊ばせている所に出くわした。
ムスメ達は8~10歳位の可愛いキャシャな2人だった。 どうやら友達家族と一緒だった。
ムスメ達はローラーブレードを履いていて、滑って遊んでいた。

一人の子が水を飲む為ヘルメットを通り道のど真ん中に仰向けに脱ぎ捨てて、その場から離れた  その時、
出た〜! 口が勝手に滑り出した。
[あっ!そんな真ん中に置いちゃダメだよ。]
女の子はオレの方を見て こう言った。
[なんで?良いじゃない !] 解らないのはしょうが無い。
なので例えを出した。
[じゃ、誰かが知らずにあなたのヘルメットに足を突っ込んで踏んだら、それ又かぶるの? その人も転んでケガするかもよ。] 彼女はハッとした。
[被りたくない、そうだね。]と彼女は言うとそれを直ぐに除けた。
その間少し離れていた両親はオレに敵意を抱き、こちらに向かっていたが、
その子とオレはもう既に承諾済みの状態だっため、両親は間に合わず、ちょっと不満そうに オレを目で追っていた。 
でも女の子はニコニコしながらオレに手を振っていた。 
注意をして止めさせる事だけに集中し過ぎると、肝心な事の繋がりを無視しがちで伝わりにくい。
 [人が通る所だから危ないでしょ?] でも良いのかもしれないが、もっと物事はなるべく砕いて簡単に伝わりやすくする方が道は近い。

有る時はアフリカ系のアメリカ人のおばさんはレジ打ちの仕事をしていた。 かねちゃんはお買い物をしていたので、そのレジに行った。 その時の彼女の態度の悪さはかなりのものだった。 かねちゃんはかなりムカついたが 喧嘩しても面白くない一日を過ごす事に成ると思ったので、ちょっと茶目っ気を出してみた。 
『今朝出掛けに旦那と喧嘩でもしたの?』っと聞いた瞬間その人の顔はほころび、
『そんなことないわよ~!』っと大きく手を振った。 その後二人して大笑いした。 喧嘩したいわけでは無いが人の心は影響しやすい。 イライラしている人がそばに居ると心地悪いのはそのせいだ。まして数分でもそれと関わらなければならない場合、 あまり黙ってやり過ごす事が得意でないかねちゃんは ちょっかいを出してしまう訳なのだ。

さて、目的を探してみよう。 機嫌の悪い人をどうしたいのか?

喧嘩して負けさせてギャフンと言わせたいので無ければ、機嫌を治してあげたい訳だ。自分の心の状態の為にも、
 ただその前に変な情報や、疑惑が混ざり、コイツ差別してバカにしてんのか?などの疑問が食らいついて来る。 しかしこれはおうおにして間違いで、小さなトラウマの様なものかも知れない。  出来るだけ簡単に楽しげに状態を変えられるならそれに越したことはない。

その様に常日頃から人間関係の根本をみる。 それに付いてくるイメージや小さいトラウマを見るのでは無い。

なるべく簡単な内に疑問をぶつけるのはこの為だ。

長くなってしまったけれど、人間関係は複雑なようで結構単純なのだ。
 呼吸をしっかり整えて(萎縮せず)、 状況判断を怠らず、落ち着いだ状態で、物事が単純な内に、あっさり、カラーンと片付けちゃえば 結構素敵な時間が増えて来る。
 どうしたもんじゃろ? などと何時までもその腕に抱えて、もう変形している問題は、捨てる。 てか、新しく起こる事の準備をしよう。

っと言うお話でした。

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