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冷たい頬

この作品は、リレー小説企画『片想い~l'amour non partagé~』の追加仕様である『片想い~Deus ex machina~』参加作品です。

片想いのお話の9話目『ファインダー越しの恋』の主人公、加倉井美希さんのハッピーエンドバージョンです。

登場人物については最後に掲載します。

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『冷たい頬』

 立春を過ぎた都心の公園はまだまだ冷たい空気に包まれてはいたが、それでも天気の良い穏やかな週末の昼下がりには、親子連れやジョギングをする人などでそれなりの賑わいを見せていた。

 引きこもりがちだった私を表に出させてくれたのは、この相棒の赤いコンデジと……前島紘三さんだ。先日暴漢に襲われそうになったところを助けてもらったお礼にと、菓子折りを持ってやっとのことで声をかけ、なんとか名前を聞き出すことができた。前島さんは、はっきり言ってかなり年上のオジサマだ。私の父ぐらいの年齢だということもその時聞いた。でも、それだけ。会えば挨拶ぐらいは交わす仲にはなったが、私は遠くから彼を見ているだけ。でもそれでいい。つきあうとか告白するとか、そういったことは全く望んでいない。私は生身の男性が苦手だし、何ならちょっと怖いとも思っている。それは男性だからというより、人全体に対しての私のスタンスだ。他人とは一定の距離をおきたいと思っている。学生時代に何人かと付き合って色々失敗をし……つまり懲りたのだ。

「ふぅ……。」

 ベンチに腰掛けて、家から持ってきた温かいお茶を飲みながら、撮った写真を確認する。

「わっ!!」

「……こんにちは。野原さん。」

 私を驚かせようとしているのだろうが、何度もそんな手で声をかけてくるので、いい加減もう慣れてしまった。この近くに住む大学生の野原歩くん。いつも私の写真にワザとおどけたような格好で写り込んでくる。

「ちぇーっ、驚いてくんないんすか。はぁ~、もう完全に読まれてるんすね、僕の行動。」

そう言いつつ隣に腰掛けてくる。

「ワンパターンだもんね。」

と思わず笑いながら言うと、プクーとふくれつつもいたずらっぽい目でこちらを見てくる。……なんとも子犬のようだ。

「あっ、聞いて下さいよ!市民マラソンの結果!」
「おっ、何位だったの?」

私はカメラの中の写真を確認していた手を止め、尋ねる。

「なんと!!……続きはウェブで!」
「あー、はいはい。」
「ちょっとぉ、もう少し僕に興味持って下さいよ。」
「持ってるよ。面白い子だなぁって。」
「何だよ……僕、からかわれてるのか……はぁ~。」
「ごめんごめん。で、何位だったの?」

ん?ピース?あ、2位ってことか。

「すごいじゃない!おめでとう。」
「……ありがとうございます。」
「なに、あまり嬉しそうじゃないのね…。」
「まぁ、狙ってましたからね……優勝を。」
「そうだったんだ。でも2位だってすごいじゃない。」

 私がそう言うと、野原歩君は夕日のオレンジ色に頬を染めながら真っ直ぐ前の宙を見つめていた。いつもおどけてばかりの彼を、ちょっと侮っていたのかもしれない。

「僕、優勝したかったんです。優勝して……そしたら、そしたらあなたに言いたかった。」

彼の頬は紅潮していた。

「……?」
「あなたが……」
(……!)
「待って!」
「えっ……」
「私……あの……」

口ごもっていると、野原氏は急に大人びた顔になって、こう言った。

「好きな人がいるんですよね……。」
「えっ……何…で?」
「見てたら分かります。だけど…。」
「だけど?」
「あなたは相手の方に想いを伝える気がないことも、僕には分かっています。」
「な……何で……?」
目が泳いでしまう。

 野原氏は私の顔を覗き込んできてこう言った。

「あなたが好きだから。僕じゃダメですか?」

参った……。油断した。もっとうまく回避できた筈なのに。

「ごめんね、年下には興味ないんだ。弟みたいで可愛いとは思うけど。」

そう言って立ち上がろうとすると、

「僕じゃ頼りないですか?年下だけど、頼りになる男になれる自信ありますよ。美希さんのためなら……。」

「別にあなたが頼りになるかどうかじゃないから。私今は別に誰ともつきあう気がないから。それだけよ。ごめんね。」

そう言ってその日私はさっさと家に帰ってしまった。

 野原氏は追いかけてこなかった。良かった。ガンガン来られると正直しんどい。

(それに……男の人はやっぱり怖い。)

 そんなことがあった後ではあったが、祝日の今日、やっぱり暇を持て余していた私は、気がつくと公園に向かっていた。いつもより早い時間帯だからか、ジョギングの人達の姿が多く見られる。

(今日は流石にいないか…。)

そう思いながら何枚か写真を撮っていたら、不意に後ろから声をかけられた。

「こんにちは。加倉井さん」
振り返ると、それは前島紘三さんだった。

「あっ…こんにちは。」
思わず顔がほころぶ。

「少し、お話ししながら散歩でもしませんか?」
前島さんの方からそう言ってきたので、

「あ、はい。喜んで!」
と即答していた。

 話は取り留めもない世間話からはじまり、徐々に前島さん自身の話になった。5年前に奥様を亡くされたこと、消防隊員をしていたが定年を迎え、今はあのときの野良猫と静かに暮らしていること……などなど。

「こんなジジイの話なんてつまらないですよね。加倉井さんの話も聞かせて下さいよ。」

「あ、いえ、私は話すようなことは何もなくて……。私の方こそつまらない日常を送っていますよ、普段は。」

「そうですか…。失礼を承知で言ってもいいですか? なんだか加倉井さんと話していると、落ち着かれているせいか、若い人と話している感じがしないんです。なんというか……世捨て人みたいだ。」

「世捨て人……。」

「あなたのそのカメラの中にはどんな色彩が詰まっていますか? 私は絵を描くので、とても色彩というものが気になるのです。四季折々に移ろうこの公園の景色も何度見ても、何度描いても飽きるということがない。それは風景というのは常に変化するからです。そこには微妙な色彩の妙がある。刻一刻とそれは移ろってしまう。だから、できるだけそれを描きとめようと努力しているんだけれども、まだまだ、私の力不足でね、難しいのですよ。でも、だから面白いのです。」

「……はぁ。」

「あなたは、写真が趣味のようなので、なんとなく分かっていただけるかと思ってこんな話を長々としてしまい、すみません。けれどどうしても気になってしまって……。」

「何が……ですか?」

「あなた自身に色彩というものがあまり感じられないことを。いや、正確ではないかな……色彩を帯びぬよう息を潜めている感じ、といった方がよいか。出過ぎたことを申し上げて、お気を悪くなさらないで下さい。」

「あ、いえ……。」

「ジジイですが老婆心ながら、こんな説教じみたことを…すみませんね。あ、今の笑う所です。あなたが安心して心から人生を楽しめているのか気がかりだったものでつい…。」

 私が襲われそうになったところを助けてくれた後も、前島さんは私のことを気にかけてくださっていたようだ。

 私には色彩がない。

 いや、色彩を帯びぬように息を潜めている……か。ちょっとショックだ。

 痛いところをつかれたけれども、自分でもどうすることもできない。

 前島さんがお昼頃帰って行った後も、私はしばし公園のベンチから動けずにいた。

 するとそこへ、野原氏が走ってやってきた。

「こんにちは。隣、いいですか?」
「ええ、どうぞ。」
「この前は僕、フられちゃったわけですけど……あれから一所懸命考えたんですよ。無い頭絞ってこう……。」
そう言いながら野原氏はこめかみをグリグリするポーズをして見せた。

「ええ。」
「そして、分かったことが1つあります。」
「なんですか?」
「僕はやっぱり美希さんが好きです。あ、分かってます。僕はふられたんだって。でも、美希さんの言葉を思い出して……『今は別に誰ともつきあう気がない』って言いましたよね?」
「確かに言いましたけど。」
「だから、あなたのことを想っててもいいですか?ご迷惑でなければ。」
「でも、想っててもらっても私は……。」
「別にいいんです。言わないと後悔するって思って思いきって言っちゃいましたし、それで良かったと思ってます。それにふられたからってあなたのことすぐに忘れられるわけでもないし、あなたに特別な人もいないなら、僕の諦めがつくまで勝手に想っているのは構いませんよね?……僕、気持ち悪いですか?」

私は泣いていた。

「え?え?すみません。やっぱ気持ち悪いですよね。ごめんなさい。ああ……泣かないで……。」
「いえ、大丈夫です。気持ち悪くないです。おつきあいする気はやっぱり今は無いですけど、構わないです……想ってもらってても。」
野原氏の頬が緩む。
「あ、あの、じゃあ、あの、いっしょにこれ行ってくれませんか?」
そう言って差し出されたのはライブチケットだった。

「明後日なんで、もう予定とかあったら無理しなくていいんですけど。バレンタインイブだし……。」
「行けます。大丈夫です。予定ありませんから。」
「マジか……。」

歩君は「マジかマジか」を連発しながらチケットを私の手に残し、そのまま公園内のランニングロードを走りに行ってしまった。

風に吹かれて冷たくなった私の頬に、冬の弱く柔らかな太陽の光が当たっている。私は相棒の赤いコンデジを持って立ち上がった。

冬枯れの色彩がなく見える景色にも色はある。

春を待つ色が。

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【登場人物】

加倉井美希(かくらい みき)

25歳。デザイン事務所に一般事務として勤務。学生時代から痴漢に遭ったり、女友達に陰口をたたかれたりして、男性不信、人間不信気味。ちょっとやさぐれている。社会人になってからは彼氏なし。趣味は写真を撮ること。

野原歩(のはら あゆむ)

20歳。平均的な大学生。市民マラソンに参加するために公園で自主トレに励んでいた。マラソンの結果は2位だった。

前島紘三(まえじま こうぞう)

61歳。仕事(公務員・消防士)を定年退職したばかり。趣味は水彩画。
子どもが見れば泣くほどのいかめしい顔で、ご近所付き合いも下手。連れ添った妻とは5年前に死に別れた。
動物は嫌いだと公言しているが、動物を見る目はどことなく優しい。

ありがとうございますサポートくださると喜んで次の作品を頑張ります!多分。