相手の気持ちになって考えてみた話
子供の頃、割と多くの人が親からこう教わったんじゃないだろうか。
「自分がされて嫌なことは相手にもしないこと」
とか、
「相手の気持ちになって考えてみなさい」
とか。
少し長めの思い出話をする。読める人だけ読んでけろ。
私が小学3年生の時、クラスでするレクで、クラスを赤白2つのチームに分けて、野球の試合をする事になったのだが、勿論全員が試合に出られるわけじゃないから、女子は同じチームの男子の応援をするという事になった。
「じゃあそれぞれどんな応援をするのか、女子はそれぞれグループに分かれて話し合いなさい」と先生に言われたので、女子7〜8人で話し合った結果、私たち赤組はすずらんテープでポンポンを作って応援しよう、というところまでその日は話し合って終わったのだった。
翌日になって、早速、赤色のすずらんテープを先生にお願いして調達しようと計画していると、急に話しかけられた。
「ちょっと!ねえ!あたし達の真似しないでよ!」
「はぁ?」
「ポンポンで応援することは私達が先に決めた事なの。勝手に私達の真似しないで!!違う応援の仕方にしてよ!」
そうまくしたてられたのだった。白組の女子に。
「あ、いや、でも、私達も昨日話し合って決めたんだよ。そっちが何にしたのかは知らなかったし」
と言い返してみた。それでも向こうのリーダー格の女子は目をキッと釣り上げたまま、
「真似しないで!泥棒!」
と言ってきたので、思わずカチンときて
「真似じゃないよ!こっちでも昨日話し合って決まったんだから!」
と返すと、
「分かった。いいわ、真似しても。そのかわりそっちが負けたらあなた、逆立ちで校庭一周してね!」
と言われたので、
「いいよ!分かった!じゃあ、そっちが負けたらそっちが逆立ちで校庭一周ね!」
と売り言葉に買い言葉みたいになってしまったのだった。その時周りの子がどんな顔をしていたかは全く記憶にない。今考えてみても同じで何故悪いのか本当によくわからない。
それから1日か2日経ったある日。私の下駄箱に匿名の手紙が入っていた。
その手紙の内容は、
「ポンポンの先に毛糸玉か鈴を付けて白組のものとは違うデザインにしてみてはどうでしょうか。これなら真似と言われないのでは?」
という提案だった。子どもの字ではあるけれど、書道のお手本みたいなすごくきれいな字で図解付きで(絵も上手い)そのアイデアが記されていたのだった。
差出人のところには「赤組の人より」とあった。
しかし、私は「ふ〜ん」と思って、それをランドセルにしまって無視する事に決めた。
手紙の文面は、親切な風を装ってて、より良いプランの提案みたいに書いてあるけれど。
そして、同じ「赤組の仲間」からみたいに書いてあるけれど。
要するに、
納得いかなかったのだ。
なんで私達が折れなくてはいけないのか、理由が分からないし、ただポンポンを作るよりその提案の方が手間だ。そんなの、意地でもしない。大体、この手紙自体本当に同じ赤組の仲間が書いたか怪しいものだ……。
そうこうしているうちに、いよいよレク当日となった。
私達は応援を頑張った。決めた応援のセリフもリズムに乗せてみんなで声を合わせて言ったし、ポンポンを持ってのダンスも息ピッタリに仕上げて臨んだ。
だけど、結果は負けだった。
何対何だったかは忘れたけれど、赤組は惜しくも負けたのだ。
私は大変に焦った。今更ながら、逆立ちで歩けるはずもない。誰かに足をつかんでもらわなければ逆立ちだって無理だ。
今思い出してみてもどうしたかよく分からない。覚えていない。
逆立ちで校庭を一周した記憶もないことから、その罰ゲームはなんだかんだで流れたような気もする。どうやってその難を逃れたのか全く思い出せないが、とにかく、それは終わったのだった。
その後クラスで誰かと対立したり、何かイジワルされた記憶もないので(私が鈍感なだけかも……いやいや、やはりそういうことは無かったのだと思う)、次第にその事は忘れてしまった。
5年生になる時、私は転校して別の土地に引っ越したのだが、このときもらった匿名の手紙はなぜか捨てられずにずっととってあったのだった。引っ越し先で自分の荷物からそれを見つけたとき、なんとも不思議な気持ちがしたのは今もよく覚えている。もしかしたら今もどこかに捨てずにしまってあるのかもしれないが、どこに行ったか分からない。さすがに捨てたかもしれない。まぁ別にそれはいいけど。
で、冒頭の例の言葉に戻る。
「自分がされて嫌な事は相手にもしない」
「相手の気持ちになって考えてみる」
これ。この「真似すんな」と言われた当日もこのシミュレーションを散々やってみたのだ。もし自分だったら?相手チームの応援と方法が被ってる。許せない?そうかな?んー……?
で、結論として、いくら考えても私は相手に同じ事はしないだろうと思った。大体、よく考えたら、ポンポンを持って応援する、なんてありふれた応援スタイルだ。それ自体が先人達の応援スタイルの模倣であって、私達それぞれのチームの独自のものではない。つまり、そんなイチャモンは意味がない。あの時は子どもだったから、そこは気づけなかったが、その応援スタイル真似だからやめて!と逆の立場でも言わない。実に馬鹿馬鹿しいとすら思う。
結論として。
「自分がされて嫌なことは相手にもしない」
「相手の気持ちになって考える」
では、うまくいかないことがあるという事だ。
勿論、相手の立場に立って物事を考えてみる事は大切なことだ。それをしないで傍若無人に振舞うことは、人としてどうなのか、とも思う。しかし、それではカバーできないことが世の中にはいっぱいあるのだ。世の中には色んな考えの人がいるのだ。寄り添いきれない案件もある。その時は仕方ない。
私はこの一件でそういう事を学んだ。大体そんなに相手のことなど分からない。分かると思ってるとすればそれは驕りだ。
そして少なくとも、このようなイチャモンをつけるような事は、私はされたくないのでしないように気をつけよう、と思った。
以上、下書きに入ってた文の虫干しでした。
ありがとうございますサポートくださると喜んで次の作品を頑張ります!多分。