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閉店は突然に(2020.1~4振り返り)

年の瀬ということで、2020年道の駅ほっとぱーく浅科の振り返りをします。もう記憶があやふやになってしまっている部分もありますが…。無理なく続けられるように、調べなおしません!売上などの数字は調べなおします!

準備期間(2020.1~3)

道の駅を運営することが2019年下半期に決まり、年が明けた頃からいよいよ本格的に営業開始に向け準備することになった。前管理者からの引継ぎや重要ではないが、やらなければならないことをやっていた記憶が強い。とはいえ、12~2月上旬は別の仕事をしながらだったので、そっちの方で手一杯だったのは噓偽りない事実。それで本格的な準備は2月中旬から行うことにしていた。2月時点ではコロナに関してもまだ楽観的だったと思う。生産者さんに向けた説明会も3月に設定していたが、説明会は中止にして書類を渡すだけに留めた。

さて、この準備期間を今振り返って一番の成果は、似顔絵師でもある磯村二葉さんというスタッフのスカウトに成功したことだ!厳密にいえば、私は飲んだくれてたので、共同代表の加藤さんが仕事内容を説明してくれてたように思う。

開店~すぐ閉店(2020.4)

それはそれはもう波乱のスタートとなった。4月は書くことがたくさんある。まずコロナ禍でお客さんが少ない。行きかう車も少ない。そして、開店から僅か20日間程度で長野県も緊急事態宣言が発令され、閉店になった。緊急事態宣言が出た夜に市観光課から連絡があり、出来るだけ早く2日後には閉めて欲しいと連絡があった。翌日、道の駅に出品してくれてる方達に一斉に電話・メール。トータル200件は連絡したはず。連絡が行きわたらず、商品が駄目になってしまい、道の駅で負担を強いられる物もあった。でも、なぜか隣の道の駅の閉店は4日後だった。

閉店後~(2020.4.20~)

当道の駅は売上から水道代・光熱費を支払っている。24時間開放しているトイレもだ。閉店すれば売り上げが無いのでそれらを支払えない、それに駐車場やトイレを営業時みたいに管理できないからコロナ対策として全部閉じようと考え、閉店初日の日曜日に全部閉鎖した。その後、土地建物の所有者である行政機関とすったもんだありトイレと駐車場を開放することになる。そしてその後、またすったもんだあり駐車場・休憩室を一部閉鎖した。

右往左往した駐車場事件だが、特に何も被害報告は無かったので良かった。が、これが誰かの命に直結する問題だったら…道の駅営業時みたいに管理できないトイレ・駐車場・休憩室でコロナが感染していたら…と思うと振り返ってみて少し恐ろしくなった。

ポンコツ駅長の推測では緊急事態宣言直後は休校だとか、もっと大掛かりで重要な方で忙しく行政機関の上層部に取り次ぎ出来なかったので、中層部でとりあえず現状機能維持を判断し、私達が日曜日に閉鎖した駐車場とトイレを全て開放→上層部の判断で駐車場を一部閉鎖となったのだと思う。佐久市役所約730人、長野県は行政職だけで約5260人、行政機関は長野県内で随一の巨大組織だ。今までに無いコロナ対応を迫られる中で、選挙で選ばれた首長の確認を取る必要もあるのだろう、どこまで中層部で判断して良いのかも難しいのだろう、行政組織の外から公共施設を管理している民間の私達が意見を通すには骨が折れることを学んだ一件だった。

少しさかのぼって、駐車場とトイレを全て開放となった時にはもう辞めようかとも思った。行政が補償するという話もあったが、額も時期も未定。そんな中で売り上げが無いのに光熱費を負担するなんて、生活出来ない。でも私は直ぐに近隣の米農家であるファーム中鶴さんに駆け込み、とりあえず週6ぐらいアルバイトをさせて貰うことにした。有難かった。これは本当に。でも5月を目前にして運転資金も底をつき、個人の貯金から50万円を回した。次回へ続く…。

売上、お客様の数、品揃え(2020.4)

4月の売上は1,297,265円だった。閉店直後に市役所や生産者の方々が1~2週間で賞味期限切れしてしまう商品を一部買って頂いたのを含めてである。これも有難かった。

当道の駅は小売り業なので、基本的には生産者さんが出品した物が売れたら販売手数料として約20%頂く。つまり、私達の売上はざっくりと259,453円だった。

そこから4月の光熱費約15万円や電話・警備費などの施設管理費7万円、トイレットペーパーなどの消耗品費を引いたら赤字になってしまった。お金が足りなくなるわけである。暗雲が立ち込める。

お客さんの数はトータルで1,058人。1日平均50人前後だった。

売店の品目数はこの時点で約700品目。

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