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ランボルギーニを10台持つ男は、サンタガータの本社へ単身乗り込んだ

 最近のランボルギーニ・ジャパンは、顧客向けのイベントを精力的に開催している。
 富士や鈴鹿で各種のサーキットイベントを頻繁に行うだけでなく、ランボルギーニを運転して歴史的な土地を訪ねるツーリング『LAMBORGHINI GIRO JAPAN』を日本各地で実施している。関西地区の顧客を対象とした同イベントに同行してきた。
 大阪をスタートし、淡路島から香川県へと瀬戸内海沿いの風光明媚な道を走り、有名なこんぴら温泉郷に宿泊し、翌日は別のルートを通って大阪に戻ってくるという旅程だった。
 途中にはさまざまなアクティビティが用意され、土地々々の美味しいものを堪能し、名湯に浸かってランボルギーニ愛好家たちと親睦を深める。
 ランボルギーニ・ジャパンは、このイベントを顧客満足度を向上させ、ブランド認知を高めるための重要な取り組みと位置付けており、多大なリソースを投入している。


 無事に初日のドライブを終え、ホテルにチェックインし、パーティが始まった。フランチェスコ・クレシ社長の乾杯から始まり、関西地区のマネージャーなどのスピーチが済み、ディナータイムへと移っていった。
 突然、坊主頭で浴衣姿の参加者の男性がマイクを握り、喋り始めた。
「みなさん、今日はお疲れさまでした。無事に辿り着いて良かったです。でも、みなさん、あんなツーリングで本当に楽しかったのですか?」
 会場は一瞬、静まり返った。“この男は、いったい何を言いたいんだ?”という不穏な気配が宴会場を支配した。
 ツーリングを終え、温泉に入ってスッキリし、四国の山海の珍味と美酒が目の前に続々と運ばれて来ているところへ、男性の問い掛けは明らかな波風を巻き起こしていた。男性は続けて畳み掛けた。
「ランボルギーニの良さって、今日みたいにつながってトロトロ走り続けたってわかるものじゃないですよね!? そう思いませんか!?」
 誰かが「そうだ!」と力強く賛同し、空気は一変した。それに続き、「その通り」「先導車は要らない」などといった声が上がっていった。
 実は、この日のツーリングでは、参加したランボルギーニのオーナーたちはイベントのスタッフから「先導するアウディA3に従って、一列に連なって走るように」と申し伝えられていたのだ。
 不慣れなアウディA3はゆっくりと走り続け、ほとんどのランボルギーニはそれに従ったために、派手なランボルギーニが葬列のようにゆっくり延々と続いて走っていた。
 たしかに、男性が言う通りあんな走り方をしていてはランボルギーニの良さは少しも感じることはできないし、面白いわけがない。隊列を組んで走ること自体がナンセンスだと僕は思った。
 大阪や神戸などの交通量が増える区間では隊列走行は危険でもある。カーナビがあるのだから、各自のペースで走り、あらかじめ指定されている集合地点ごとに集まれば良いのである。多少の前後も気にしなくたって構わない。僕は、浴衣の男性の問題提起に大いに賛同した。
 それを告げようとすると、すでに彼は宴会場のあちこちで乾杯を繰り広げ、さっきの神妙な雰囲気は雲散霧消し、和気藹々とみんなと宴を楽しんでいるではないか!

 彼と一緒に参加して来ていた男性と話ができた。
「彼がああ言ったのは、ランボルギーニが本当に好きだからなんですよ。10台持っていますからね。それほど愛しているんですよ」
 ええっ、10台!?
 ランボルギーニのような刺激の強いクルマを10台も持つとは、いったいどんな人なのだろう?
 翌朝、酔いが覚めたであろう頃を見計らって取材を申し込んだら、その場で快諾してくれた。
 約束の日に大阪を訪れると、“浴衣の男”こと板倉 剛さん(48歳)は準備を整えて待ってくれていた。
 まず、10台のうち7台を置いてあるガレージに案内してくれた。大きな倉庫には、ピカピカに磨き上げられた7台のランボルギーニが黒い専用カバーに覆われ、停められていた。1台ずつ剥がしていくと、一番奥にイベントに板倉さんが乗って来ていた黒のアヴェンタドールSが停められていた。
 その隣から白のアヴェンタドールSV(2016年)、黒のアヴェンタドール50周年アニバーサリー(2013年)、黄色のディアブロGT(2000年)、白のディアブロSV(1999年)、赤のカウンタック25周年アニバーサリー(1998年)。
 そして、それらの向かいには、この週末にここから富士スピードウェイに向けて出撃するトロフェオレース用のウラカン(2017年)。板倉さんは、今シーズン自らのチームを作って参戦し、全国を転戦している。日本とタイの若手ドライバーを擁し、板倉さんがチームオーナー兼監督だ。
「なんとしてでもシリーズチャンピオンを獲って、アジア代表チームとして11月のイモラ(イタリア)での世界一決定戦に出場したいんですよ」


 7台を見せてくれた後、倉庫を出て、クルマで15分ぐらい離れた修理工場へ案内してくれた。ドバイの中古車店から買って来たムルシエラゴSVの塗装と補修作業を行なっている。
「350台限定のクルマで、ようやく見付けました」
 塗装の状態が良くなく、改造も行われていたので、元に戻すのだ。板倉さんは、オリジナル主義者である。
「自動車メーカーが開発に開発を重ねて造り上げたのですから、それがベストだと信じています。改造しないこともないですが、ずっとコレクションしたいクルマは必ずノーマルに戻しています」
 最近の日本のランボルギーニ・オーナーの中には、改造を頻繁に行う人も珍しくない。ノーマルの刺激に麻痺してしまうのだろうか。しかし、板倉さんは違う。
 次に案内されたのが、ランボルギーニ大阪の工場。アランチョアトラスという鮮やかなオレンジ色のディアブロVTのレストアを依頼している。ダンパー、クラッチ、ウェザーストリップなどを交換する。コンディションは悪くなかったが、万全を期して工場に入れた。
「最終型となる“6.0”の正規輸入車で、フルノーマルという貴重な個体です」
 最後に案内されたのが、国道沿いの中古車店だった。ショールームの中心に置かれているウラカンLP580-2を売りに出している。
たった4979kmしか走っていない。
「ウラカンは昨年、アヴェンタドールSが納車されるまでの間に乗ろうと買いましたが、あまりにも乗りやす過ぎて面白くないので手放します。完成度が高く、いいクルマであることは間違いないのですが、アヴェンタドールとは全然違うクルマですね」

 10台それぞれ違うモデルだったが、改めて、ランボルギーニの魅力とはどこにあるのだろうか?
「まず、力強さ。ランボルギーニには、力強さがありますね」
 最新のアヴェンタドールSの最高出力は740馬力にも達している。もちろん、ライバルとなるフェラーリやマクラーレンなども同じくらい強力なエンジンを搭載する時代だから、ランボルギーニだけが際立っているわけではない。しかし、板倉さんが“力強さ”というイメージはとてもよくわかる。あのスタイリングと闘牛のイメージは、それを良く表している。
「でも、最新のアヴェンタドールSなんて、スゴく乗りやすいんですよ」
 確かに、アヴェンタドールSはその超高性能とイメージに反して、とても乗りやすい。
「アヴェンタドールシリーズは、それまで硬めだったサスペンションが2013年にガラリと柔らかくなったんです。その上、このアヴェンタドールSには4WS(4輪操舵)が新たに装着されたから、さらに乗りやすくなった。ランボルギーニって、同じモデルでも進化していくんです。ガヤルドもエンジンが直噴化されてパワーとトルクが上がり、レスポンスも向上した上に、ウラカンに代わってからさらに乗りやすくなりました。つねに革新していく姿勢もランボルギーニの魅力ですね」
 アウディ傘下に入ったことによって劇的にクオリティが向上し、乗りやすくなったことは僕も体感している。かつてのディアブロなどはエンジン音も爆発しているように激しく、クラッチもシフトも重く、力を込めないと変速できなかった。
「そうでしたね。乗りにくいクルマでした。それも、カウンタックの乗りにくさ、ディアブロの乗りにくさ、ムルシエラゴの乗りにくさは、それぞれ違うんですよ。でも、乗りにくさも個性のうちだと思っています。乗りにくいランボルギーニを御して乗りこなすことに喜びを感じていますよ」
 まさに、闘牛である。
「それが、この間の『LAMBORGHINI GIRO JAPAN』の晩飯の時に喋った理由ですよ。ダラダラとつながって走ったって、クルマの限界もドライバーの限界もわからないじゃないですか。限界を感じるまでチャレンジしないと面白くないし、ランボルギーニに乗っている意味なんてないですよ」


 現状に満足してしまうことなく、つねにチャレンジ精神を忘れない人なのである。20歳から中古車販売業に携わり、途中から始めた乗用車のシートカバー製造販売で成功を収めた。レースカーに描かれた「Clazzio」というのは、そのブランドネームだ。日本国内マーケットシェアは7割を超え、広くアジア・パシフィック地域にも輸出している。アメリカでもビジネスを開始し、年商40億円にまで成長した。親から引き継いだわけでも、既存の企業を大きくしたわけではない。板倉さんがゼロから築き上げてきたものだ。
 社長室で聞かせてもらったエピソードが、僕は大好きだ。
 2010年に板倉さんがオレンジ色のアヴェンタドールを注文した時のことだ。ランボルギーニ大阪での登録第1号車に乗りたかったから、すぐに注文を入れた。しかし、いくら待っても来ない。
 業を煮やした板倉さんは、サンタガータのランボルギーニ本社にイタリア語通訳を連れて単身乗り込んだ。ランボルギーニ・ジャパンにも知らせず、本社にアポンイントメントも一切取らずに訪問した。
「アヴェンタドールを注文した大阪の板倉だけれども、いったいどうなっているんだ?」
 ランボルギーニの受付嬢も困惑したに違いない。応接室に案内されたが、アポイントメントを取っていなかったので販売の責任者は不在だった。しかし、代わりのスタッフが遅れを謝罪し、理由を説明した。アヴェンタドール用のカーボンファイバーモノコックを当初の予定を変更して内製することになって生産ラインを造るのに時間が掛かってしまっていたのだ。それを聞いて、板倉さんも納得した。その後、敷地や工場を案内してくれた。途中で、開発中のプロトタイプなども見せてくれた。
「爆発寸前の怒りを抱いて乗り込みましたが、説明を聞き、工場を案内される頃には、もう一転してワクワクして来ましたよ。ランボルギーニがもっと好きになりました」
 板倉さんがイタリアまで向かう気になったのは、単に怒っただけではなかった。ランボルギーニが会社としてどんな対応をするのかにも経営者として興味があったから、あえてアポイントメントも取らずに乗り込んでいったのだ。
「“正直な会社やな”、“人間らしくて良い対応だな”って、感心しました。クレームから逃げず、正直に向き合うことの大切さを学ばせてもらったような気がします」
 案内してくれたスタッフともすっかり意気投合し、完成の時期が判明したらメールを送ってくれることになった。
「“クルマが出来上がったら、見に来て下さい”とメールに書いてあったので、また行きましたよ。通訳を連れて」
 再び、はるばるサンタガータを訪ねると、板倉さんの注文したオレンジ色のアヴェンタドールが完成して主人を待っていた。
「僕のように、工場を訪ねた人を助手席に乗せてテストドライバーが近くを回ってくれるんです。門から出る時に、テストドライバーはエンジン全開で出て行くのを見て、感激しました。テストドライバーがランボルギーニの本質をちゃんとわかっていて、それをお客さんに伝えているんです」
 それは、板倉さんが浴衣姿で訴えたかったこと、そのものではないか。エンジン全開とは、相手と真摯に向き合って気持ちを通じ合わせるということだ。
 中途半端を嫌い、これと思ったらやり尽くす。シートカバー事業も、最初は別のメーカーから仕入れて売るだけだった。そのクオリティに満足できず、自らが製造に乗り出し、成功を収めた。板倉さんの中では、ビジネスもランボルギーニを愛好する気持ちも変わらないのではないだろうか。


 8月20日の富士のスーパートロフェオ・アジア第4戦で板倉さんのクラッツィオレーシングは、みごと優勝を飾った。
 板倉さんが自信と誇りにみなぎっているのは、自らの才覚と度胸で仕事と人生を切り開いてきたからだ。ランボルギーニというクルマは、そんな男にこそふさわしい。日本一ランボルギーニが似合う男だった。

(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)
文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho
Special thanks for TopGear Hong Kong http://www.topgearhk.com


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