好青年が持ち帰ったトライアンフ・ヘラルド
もしも20歳の頃に戻れるとしたら、何からやり直すか?
まずは、真剣に勉強するべきだろう。いや、倒れるくらいまでスポーツに打ち込むのもいい。あるいは、複数の外国語をマスターすることを最優先したい。それなら、数年間、外国を働きながら旅すれば難しくないのかもしれない。
はるか昔のことを、ああでもないこうでもないと言い訳することはできる。でも、もう実行は難しい。それが歳を取るということだ。そんなことを考えさせられる若者に出会ったからだ。
待ち合わせ場所の公園に近付いて手を振ると、クルマの脇に立ってこぼれるような笑顔を返してくれた。離れたところからでも、爽やかな好青年ぶりが伝わってくる。
彼、寒竹真也さんは1966年型のトライアンフ・ヘラルドを持っている。クルマの方が自分よりも25歳ぐらい歳上だ。東京大学を卒業し、イギリスの大学院に留学中に買ったヘラルドを日本に持って帰ってきて乗っている。日本でヘラルドは珍しい。トライアンフはオープン2シーターのスピットファイアなどが有名で、イベントでも良く見掛けるけど、ヘラルドの実物を見るのは初めてかもしれない。
小さめの2ドアセダンだが、イタリアのミケロッティによる造形が特徴的で一度見たら忘れられない。特に、屋根がリアガラスを覆う庇のように少し突き出ているのが独特だ。これはヘラルドだけでなく、ミケロッティが手掛けた同時代のトライアンフ1300や同2000などにも同様の造形が施されている。
そんな珍しいクルマをイギリスで買って乗って、日本に持って帰って乗っているのだから、相当なマニアなのだろうか?
そうじゃなかったら、乗らないはずだ。でも、話しているとそんな感じとは違いそうなのだ。
「ヘラルドが欲しくて、探し求めて買ったわけではありません。インターネットでいろいろと見たり調べたりして、実物を見に行って決めました」
休暇にはイギリス国内やヨーロッパもクルマであちこち旅行するつもりだったので、現代のクルマも候補だった。
「日本でもカッコいいなと思っていた(レンジローバー・)イヴォークのマニュアルトランスミッション版を中古車店に見に行ったこともあります。でも、買って乗るなら旧車の方がユニークなのかなと思うようになって」
日本にいる時から、古めのクルマは好きだった。
「ミニやちょっと前のジャガー、ランドローバーのシリーズ3などが好きでしたね。背景となる物語も知りたいですから」
祖父や父がクルマやバイク好きで、家にあった影響も小さくないという。でも、運転免許を取ったのはイギリスに渡ってからなのだ。
「日本では、アメリカンフットボール部の活動が忙しくて取りに行く時間が確保できなかったのです」
このガッシリとした体躯と真っ直ぐ伸びた姿勢はアメリカンフットボールで鍛えられたものだったのか!
コーチとしてクラブに残るために意図的に留年もした。国立大学では珍しくないらしい。
「5年目に就職活動もしましたが、最終的に留学を選びました」
それまでに海外体験があったわけではない。親や親族などが後押ししてくれたわけでもない。留学費用は、留年中に浅草の人力車の俥引きをして稼いだ。
公園の近くの空いた道を走ってもらった。1.2リッターの4気筒エンジンが軽快に回り、寒竹さんはマニュアルシフトを駆使して走る。
「走行4万キロでコンディションが整っていたのも良かったです。大きなトラブルにも見舞われていませんし」
車内のコンディションも、とても良い。良いだけでなく、ハッとさせられる。1966年型のイギリスの小さめのセダンと思って乗り込むと、鮮やかな赤の革シートと内装、横幅一杯までウッドを使ったダッシュパネルなどに驚かされる。
「大衆車なのに、贅沢な感じがするんですよね」
その通りだ。ヘラルドの内装が、こんなになっているなんて、こうして乗せてもらうまでわからなかった。これは絶対に欲しくなる。
ヘラルドを停め、運転を代わった。ありがたいことに、運転してみることを勧めてくれた。昔のクルマに特有の大きな径のステアリングホイールにもすぐに慣れたけれども、2速から3速へ、反対に3速から2速へ入れるのに戸惑うことがあった。H型のシフトパターンが掴みづらかった。
ビックリしたのは最小回転半径の小ささで、方向転換しようとUターンしたら、余地を大きく残して回り切ってしまった。
再び駐車場に停めて、各部分を見せてもらう。
「両側を外さないと開かないんですよ」
寒竹さんは前輪のホイールハウス手前にあるラッチを左右ともに外した。ボンネットフードではなく、ボディカウル全体が丸ごと前に開く。ヘラルドのボディはモノコック構造ではなく、X字型のフレーム構造を採用しているからだ。
前輪とそれを支えるサスペンションもフレームに取り付けられている。現代のクルマのようにさまざまな補機類などがところ狭しと押し込められていないから、前輪の周りには広い空間が空いている。さきほどの小回りを可能にした理由がここにある。これだけ空いていれば、前輪が左右に大きく切れるから、それだけ回転半径も小さくなる。
荷室もバンパーの高さから大きく開いて、中は広い。リアフェンダーの端がボディよりも高く鋭角に跳ねているのも時代を感じさせる造形だ。でも、それが古臭く感じられてしまうのではなく、個性として見事に結実している。
「キャラ出してますよね」
とても個性的で、魅力的だ。良く見付けたと思う。彼が目利きなのか、思いがけない幸運だったのか。どちらにしても、外国で運転免許を取って間もない若者が初めて買うクルマにしては上出来すぎている。
このクルマに決めた理由はもうひとつあった。日本では1973年以降に製造されたクルマはすべて排ガス検査を受け、基準に達していなければナンバープレートの交付を受けられない。逆に、1972年以前のクルマだったら、その限りではない。ヘラルドは1966年に造られたから、排ガス検査を受けなくても構わない。面倒臭く、費用と時間を要する過程を省くことができる。
他にも、イギリスで購入した古いクルマを日本に持ち帰って乗るのには何が必要なのか、彼はインターネットを調べ尽くしてもわからなかったことを日本の陸運局に国際電話を何十本も掛けてひとつひとつ解決していった。
「輸送や通関の業者に任せれば簡単なのでしょうけど、僕はおカネを掛けられない分、いろいろな人からアドバイスをもらって自分で行いました」
ヘラルドの購入代金は7700ポンド。イギリスから日本へのコンテナ運搬料が約20万円、コンテナを開けてヘラルドを出し、コンテナを返す手数料が約7万円、仮ナンバー代が800円。重量税約5000円を納付して、正式ナンバーを付けられたから、総額で135万円あまり。良い出費だったのではないか。
良い思い出といえば、留学中に日本から家族が遊びに来た。パリのシャルルドゴール空港で待ち合わせ、オランダとベルギーまで足を伸ばして6日間の自動車旅行をした。オランダでは、写真家に声を掛けられ、ヘラルドと一緒に即席モデルを務めるというハプニングもあって楽しかった。
ちょうどこの日は休日で、ご両親も自宅にいるというのでお邪魔した。昔のアルバムを見せていただくと、お祖父さんがモノクロ写真の中でルノー4CVや日産ブルーバード、フォルクスワーゲン・ビートルなどと写っている。カラー写真になるとお父さんも登場し、丸型4灯の初代アウディ80と写っている。子供の頃の真也さんは、お父さんのスポーツバイクにまたがってライディングフォームをキメている。クルマとともにある家族の歴史の一端を拝見した。
「彼は一生クルマに興味を持たないでいくことになるのかなと案じたこともありました」
18歳どころか、大学を卒業しても運転免許を取らなかったのだから、父親の正人さんからしてみれば少し寂しい思いをしたのかもしれない。
しかし、イギリスで免許を取り、なにやら珍しそうなクルマを持って帰ってきた。
「目覚めたんですね。父としてうれしかったですよ」
幸いに、ヘラルドのコンディションは上々で、それを維持してきている。路上で止まってしまったこともない。
「ずっと乗っていきたいですね。そのためにも、移動するためだけの単なる“足グルマ”にはしたくありません。乗る時は、いつでもワクワクしながら運転したいですからね」
勤務先には電車で通っている。週に一度だけは30kmほど離れた仕事先に乗っていったり、休日のサーフィンにも毎回ではなく何回かに一回の割合で乗っていっている。
「意味なく走行距離を伸ばしたくはないです」
そう考えるには理由がある。早くも、次の持ち主に継承する責任感を感じ始めているのだ。
「ベストの状態で渡したいですからね」
その心意気は、正し過ぎるほど正しい。真也さんの行動力と思慮深さ、センスと爽やかさ。自分が20歳に戻れたとしても、彼のような若者には決してなれないだろう。それほど頼もしい。
文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho(STUDIO VERTICAL)
(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版と中国版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)
文・金子浩久、text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho (STUDIO VERTICAL)
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