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#05_自社工場の設立。

眼鏡職人ブランドのシリーズ拡充と直営店の拡大によって新たな道を切り拓いた金子に達成感はなく、そこにあったのは危機感だけでした。
製造の主導権を中国に奪われ大幅に受注が減少し、経営危機に直面する産地の工場。さらに深刻な人手不足と後継者不足、そして職人の高齢化。危機に瀕する産地に対する杞憂が頭の中をよぎる日々。

いまや眼鏡職人ブランドは屋台骨となり、それが企業としての誇りとなった金子眼鏡。鯖江というこの地でメイド・イン・ジャパンの眼鏡を提供することは自分たちにとっての生命線であり、確固たる信念でもありました。
そして眼鏡の街で生きてきた名うての職人たちとの出会いによって「ものづくり」の素晴らしさに目覚めたのと同時に未来を悲観した金子は、鯖江のものづくり文化をつなぐことを自らの使命とし、ついに動き出します。

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2006(平成18)年、廃業した眼鏡工場の空き家を借りて、職人の育成を兼ねた名もなき工房を立ち上げます。当時、社員の間では『金子工房』と呼ばれていました。金子の意を受け、たった一人の社員の手により始まった眼鏡の製造。

金子眼鏡の歴史において、初めての『ものづくり』が始まりました。セルロイドなどの素材の扱いも、機械の使い方も、製造に関するノウハウがゼロの状態からスタート。熟練の職人から一つずつ手ほどきを受けながら、感覚をつかむために試行錯誤を繰り返す孤独な日々。納得できる品質の眼鏡の完成工程が確立されるまで、必死にもがき続けました。

その後、自社の店舗で勤務するスタッフからの志願や職人を目指す若者が全国から集まり始め、わずか3年目にはスタッフも10人を超えるまでになります。様々な工程においてそれぞれ必要な感覚を体に刻み、最も時間のかかる研磨作業では機械だけでは決して出せない艶に仕上げる。妥協なきものづくりを自分たちの手で実現できる現場を目指しました。
やがて、工房全体に安定した技術力と生産力がついたと判断した金子は「ものづくり」のステージをもう一段階上げることを決意。

2009(平成21)年、本格的な自社工場を竣工し、敷地面積1400平方メートルを超えるプラスチックフレームの工場『BACKSTAGE』(バックステージ)が生まれます。ここは、職人たちが製造に汗を流す作業場と、企画担当やデザイナーが己の知恵とアイデアをぶつけ合うデザインルームが同居する拠点となりました。
卸売商として苦難の道からスタートした金子眼鏡は、自社による企画・デザイン・製造・販売という一貫体制がいよいよ実現したのです。

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ようやく輪郭をした、本当の改革。

金子眼鏡が製造の取り組みを推進する一方で、鯖江のものづくりの状況は悪化の一途を辿っていきます。2009年以降も中国製を中心とする海外製フレームを武器にした低価格眼鏡店の勢いは加速し、市場における海外製フレームのシェアは年々高まるばかり。
そして2010年代後半には、国内で販売される眼鏡フレームの80%を超えるまでになっていました。こうして年々市場を奪われていった鯖江は、プラスチックフレームだけでなくメタルフレーム製造にも深刻な打撃を与えることになりました。

メタルフレーム製造にはプラスチックフレーム製造と比べ数倍の工程数が必要で、各工程の専門業者による分業体制がこの分野を支えていました。しかし海外製フレームに市場を奪われ先細る受注が、鯖江の分業体制を揺るがしました。採算性の低い工程の専門業者から徐々に事業縮小や廃業が始まり、分業体制のほころびが顕在化。一部工程では1〜2社にまで減少、まさに産地のサプライチェーンの危機です。

こうした状況に危機感を感じながらも、メタルフレーム製造には多額の設備投資が必要なだけに、金子眼鏡にとっても大きな障壁となっていました。また、立ち上げから形になるまで最低でも10年の歳月が必要と思われました。そんな中、年々弱体化していく産地の窮状を案じて悩ましい日々を過ごしていた金子のもとへ、2016年の夏のある日、事業の後継者難から会社の承継先を探しているメタルフレーム製造業者の情報が舞い込みます。

産地の企業に共通する問題を感じながらも、事業の承継を決意した金子はこの業者をグループ化。その後、グループのメタルフレーム主力工場『GLASSWORKS』(グラスワークス)として再スタートさせました。長年の悲願であり、同時に大きなハードルとして立ちはだかっていたメタルフレームの製造がこうして一気に始まりました。
プラスチックとメタル両方の製造を手がけるまでに進化した金子眼鏡ですが、2019年には次世代に向けた先進的な製造拠点として『BASEMENT』(ベースメント)を設立します。未来への指針となる、デジタルとアナログを融合したものづくりの模索。ここは金子眼鏡の製造拠点の一つにとどまらず、5年後・10年後には産地のインフラとなることを目指した壮大な試みであり、社運をかけた取り組みです。

代表・金子真也が思い描いた、鯖江における本当の意味での「改革」の全貌。その輪郭が、こうして現れたのです。


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