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石積みは鏡

noteで活躍されているヒスイさんが僕の石積み動画を題材に素敵な投稿をしてくれました。それも2つも(感涙)。

ぜひ紹介させてください!

『おれの義妹は、風の中で石を積む』短編小説・2700字
https://note.com/hisuijade/n/n8f384d67a37b

「積む、くずす、ととのう。流れがヒスイを整える。」
https://note.com/hisuijade/n/n0ea354b81238

改めて石積みがこんな風に人の心に映るのかーと教えてもらう文章でした。アリガタイです。

今回ご紹介いただいたことで「見たもの・出会ったものをどう感じるかはその人の生き方そのものが映し出される」という事を改めて感じました。石積みとの出会いの中にもそれをみることができます。

そう、石積みは鏡なんです。

色々とご縁があって石積みワークショップをやらせてもらってます(時々ね)。誰でも簡単に足元に転がる石ころだけでアートの世界に踏み出すことができますよーということをお伝えするワークショップです。僕はただ積み方をお教えしたりするよりその人がどう目の前の石ころと向かい合っているのか、みたいなところにフォーカスしています。どちらかと言うとお話をメインにしてる感じですかね。そこで色々な方とお話をする機会があるのですが当然ハマる人とハマらない人がいらっしゃるわけですね。

で、ハマる人は「なんか不思議ー」とか「なんか分かんないけど癒されるー」とか、まぁかなり直感的な部分で石を触りにいらっしゃる訳です。

一方ハマらない人は「これ賽の河原ですよね?」とか「無能のひとですよね?」と自分の知っているものに当てはめ、分類して見切った感を出す人が多いです。もうこの事は知っているので僕には必要ない的な。でもなんか流行ってるからいちおう触っておくかみたいなね。でも残念なことにそう言う反応の方の多くは賽の河原の物語をきちんと知らないし、無能のひとがつげ義春原作であることも知りません。

どちらが良いとか悪いとか言うつもないのですが、出会ったものを大して知りもしないことに当てはめ値踏みをしてから石に触る人より「なんか分からないけどワクワクするー」と石に触る人の方が間違いなく人生は楽しそうですよねぇ。

長くなっちゃうので興味のある方はワークショップでお話ししましょう。そう言えば昨年、種子島大学さん(市民大学)でオンライン講座やりました。1,000km以上離れたところで石積みを伝えるのはけっこう面白かったですね。

あ、いかん。営業はさておきですね、ヒスイさんは「ナンジャコリャ〜」と興味を持ってくれる人で、実際の石はきっと立てていないけれど、それと同じようなアプローチをすでに始めているようです。それはヒスイさんの投稿から感じます。

たかが石積み、されど石積み

そんな石を積んでいるだけの投稿が誰かのお役に立てるなんて無常の喜びです。

ヒスイさん、ありがとうございます

そうそう、紹介してもらった動画の完成写真はこちら(^^)

動画とは反対の向きで撮影しています。

因みに僕は作品を作る前に写真に撮るときの大体の背景を決めておきます。太陽の沈む位置も考えないと夕焼けが撮れなくなるので初めての場所ではアプリで確認したりします。なので動画では土台の石を動かしたりしていますがそれも作っている自分の向こうにある風景を気にしながら土台の角度を探してるんですね。全然違う向きなら直ぐに止まってくれるところはあるんですけど、作品が完成したあとで写真にならないのでそこには立ててません。文字書きの人が物語の一行目を書き始めるときはもう結末が見えているのと同じですよね、きっと。

ヒスイさんに取り上げてもらったのが嬉し過ぎて長々と書いてしまいました。僕は石積みで頑張らないといけないのに(^^)

駄文の長文、最後まで読んでくれた人に心から感謝します。ありがとうございました。

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