やりたいことができない人がいるのはなぜか
「やりたいことがない」から「やりたいこと」を見つけたい。
そんな悩みは、自由の獲得と共に生まれた。
やりたいことなんてなくていい。
やりたいことが無ければならないなんて思わない。
やりたいことがなくても楽しく暮らせる。
しかし、やりたいことがあると思っているのに、それができないのはなぜか。
それは、「やりたい」理由と「やりたくない」理由が、総合的に「やりたくない」理由が勝っているから結果、「やらない」という状態が今なんだ。
それは、別に悪いことではなく、「やりたい」と思っている理由と、「やりたくない」理由をしっかりと捉えた上で、その上で自分がやりたくないのであれば、別にやらなくて良いことなので、何も悪い事はない。
つまり結論、「やりたいと言ってやっていない人は、まだやりたくないが勝っているだけで本当はそこまでやりたくない説」
という理論を提唱している同僚がいるが、極論だがとても同感である。
ちなみにこの理論は、奥田理論という。
そして、「やりたい」と思っていて「やっていない」という状態は、自分との約束が守られていないため、自分への信頼度が低下し(自信が無くなり)、自己肯定感も低下し、主体性が失われていく。
主体性が失われていくというのは言い換えれば、
幸福度に大きな影響を与える「自己決定権」が失われていくことでもあり、自分の人生を自分で生きていない感覚になり、幸福度が低下していく。
話を戻すと、奥田理論の状態をもう少し解像度を上げて、
なぜ、やりたいと思えているのに、やれないのかを考えてみる。
・やりたいことはあるが、やりたいことが不明確で行動に繋がらない
・やりたいことが自分のやりたいことなのかが不明確で行動に繋がらない
・やりたいことをやると周りから馬鹿にされるという学生時代のトラウマがある
→やりたいことがなく、マウントを取るだけでしか存在証明ができないやつに潰されてきた
などのような、理由が考えられる。
では、この人たちがやりたいことができるようになるためにはどうすれば良いのだろうか。
・自分がやりたいことの解像度を上げる
・過去の認識を捨て、本当にやりたいことができる、自己開示ができる関係性、環境を作る
などの選択肢が考えられるが、これが勝手にできるなら誰も壁にはぶつからない。
となると、これが出来ている人たちのトリガーは何なのだろうか。
・挫折経験がある
※経験則
・モラトリアムがある
※例)フィンランド教育、フォルケ等
これらの共通点は、フラットに物事、自分自身を眺める時間と機会があることである。
それが、イトマの活動が作りたい時間、機会なのかもしれない。
実感と実践と意識をくりかえすことで、 自分のイトマの解像度が上がっていく。
これを行うためにはエネルギーが必要であり、そのエネルギーは、やっていること、言っていること、思っていることの一致の積み重ねで生まれる。
これは逆も然りで、やっていること、言っていること、思っていることが不一致(ギャップ)が大きくなると、エネルギーが抑制、減少していく。
また、これら3つを一致していくよう努めるためには、つながり(仲間)と愛が大切である。
つまり、実感と実践と意識には、エネルギーが必要であり、そのエネルギーは、やっていることと言っていることと、思っていることが一致していく過程で生まれてくるものであり、継続性、拡大性をもつためには、つながりと愛が必要なのではないか。
という仮説を金子理論としたい。笑
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?