ぼんぼん社長⑮ 浪人時代~ 毎日note連続1055日目
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ぼんぼん社長⑮ 浪人時代~ 毎日note連続1055日目


皆さんこんにちは、ぼんぼん社長井上 剛典です。

前回はどんな高校時代だったかをお伝えしましたが、今回は高校を卒業し浪人時代の状況を書いていきますね。


中学高校と暗黒時代だったという話を書きましたが、その最後の締めくくりが浪人時代です。

正直あまり記憶に残したくない期間ですが、相変わらずパチンコばかりしていたのは明確に記憶に残ってるんですよね。

当時の私は高校もあまり行かず遊び歩いているだけで全く勉強しておらず、地元に居てもダメだと思われたのか、浪人は東京でしたらどうだという親のすすめで東京の東進ハイスクールに入ります。


当時の東進ハイスクールは予備校後発ながら、有名講師をそろえ大々的に宣伝をし始めた時期で、飛ぶ鳥を落とす勢いがありました。

人気講師はサテライト教室もいっぱいになる大盛況で、皆さん楽しんで授業を受けていたのではないでしょうか。(あまり行ってないので詳しく知りません)

私も最初は通っていましたが、だんだん足が遠のき吉祥寺のオデオンでパチンコを打つようになり、そのうち吉祥寺にも出ないようになり、花小金井や武蔵小金井あたりでパチンコを打つ毎日でした。


学校は吉祥寺でしたが、寮が花小金井駅から徒歩10分くらいの所にあったんです。

この寮が凄くて、元々は多分どこかの工場の社員寮だったのだと思いますが、築40年くらいの木造で、崩れそうな長屋のような建物に6畳一間の部屋をさらに二つに仕切った3畳の部屋でした。

手を広げると両方の壁に触れる幅で窓際に小さな机と本棚、ベッドとスチール製のロッカーがあるだけの殺風景な部屋で、ここで1年暮らすのかと思うとめちゃ落ち込みましたね~。


トイレと流しが二人の共有で壁は薄く、隣のいびきが聞こえる部屋の中でこんな思いはもうしない「今年こそは頑張ろう」と誓いました。

そんな誓いが続いたのも最初の2週間だけで、結局毎日パチンコ三昧になっていくんですよね。

同じ寮に既に三浪に入っている方や二浪目の先輩も多く、そういった先輩から飲みに行こうぜと誘われ、近所の居酒屋に定期的に行くようになります。


というのも、その寮は部屋も部屋でしたが、もっと残念だったのが食事でだったんです。私は基本的に好き嫌いは無く何でも食べるんのですがこの寮の食事は食べられませんでした。

特に米がひどく、古米どころではなく古古米だと思いますが、糊のようにくっついて酸化した匂いのするもので、多くの寮生が主食だけ自分で用意するという状態でした。

さすがにクレームになったようで久しぶりに食べたら改善されていましたが、そのころには寮では食べない生活になっていたので、記憶の中では猛烈にまずい米のイメージしかありませんね。


浪人生は夏休み頃になるとスイッチが入る人間と、そうでない人間が明確に分かれます。

私は明らかに後者で、その頃になると行動範囲が広がり高田馬場や新宿まで出てパチンコを打つようになりました。

高田馬場で当時の愛読書「パチンコ必勝ガイド」の編集長を見つけ、バイトをさせてくれとお願いし、データ取りのバイトをしたりしてましたが、浪人生の行動ではないですね。

高校の同級生のI君が池袋で浪人をしていたので、池袋にも定期的に訪問し浪人生活をエンジョイしていました。


この頃の頭の中は、「何とかしないといけない」「なるようにしかならない」という二つの考えがぐるぐるしていましたね。

さすがに二浪して、どこも行けないのではまずいという気持ちと、今からやったところでどうせ受からないという諦めの気持ちです。

一応言いわけのように書いておきますが、当時は団塊ジュニア世代で不合格率が4割くらいあった時代です。

今より確実に2ランクは偏差値が高く、大変だったんです。

こちらのサイトに詳しく書いてありました。

当時は10校くらい受けるのはざらで、多い人は20校ぐらい受験していたのではないでしょうか。


まあ、半ばあきらめながら受験しましたが、受かるはずもなくどうしようかと考えていると、母から留学でもしてみたらと天の声が聞こえます。

どうせこのままやっていても全く良い方向に行く可能性が見えないのならと留学を決意しました。

結局逃げるように海外に行くのですが、それはまた次回の話にしておきます。


今までの私は何かあると楽な方に逃げるという選択ばかりしていましたが、この時も楽に逃げる選択を選んだんですよね。大学受験は早々に諦めました。

まあそれでも人生は何とかなるもので、逃げる方を選択してもすぐに問題が起きるわけではありません。楽な道を選択しても親がすべてフォローしてくれていたんですよね。

こうやって何とか次に進んでいたのも親のおかげだと気が付くのに、30年かかりましたが、当時は自分は運がいいと思っていました。


確かに問題があってもどうにかなる運の良さはありましたが、楽な道を選ぶことは結果として未来の可能性を小さくしていく選択なんですよね。

自分で選択し未来を切り開き、努力をしていけば未来は明るくなっていきますが、目の前にある楽な選択を選びつけると未来は確実に狭く小さくなっていきます。

当時はそんな事にも気が付かず、ただただ楽な道を選択し進んでいました。


今この歳になってようやく、楽な道と厳しい道があった時に2回に1回は厳しい道を選択できるようになりましたが、当時は全くわかっていませんでしたね。

昔の自分に言ってやりたいのですが、逆に言えばその経験があったので今は厳しい道を選べるようになったんですよね。

年齢的にはかなり遅くなりましたが、ここから挽回していくと誓い、今は行動ができています。

また、幸いなことに若いうちに十分遊んだので、しばらくは仕事漬けの生活を指定も燃料は尽きず走り切れると思います。


皆さんも楽な道と厳しい道があった時は、時に厳しい道を進んでみることをおすすめします。

今日の一言
楽な道ばかり選び続けては未来が狭く小さくなるので厳しい道を選ぶ
成長するための実践行動
・楽な道と厳しい道の選択がある時は厳しい道を選ぶ
・楽な道の未来は縮小していく
・厳しい道を選択することで未来が開けていく

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二代目社長の伴走者 井上 剛典

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実家の倒産・自分の会社の乗っ取りを経て「二代目社長の伴走者」として、経営者にとにかく寄り添うサポートを行っています。皆さんのQOL(=人生の質)が向上する情報を毎日配信中。コンサルとコワーキングスペースの運営の二足のわらじで皆さまが幸せになるお手伝いをします