見出し画像

お母さん、ごめんね。【#二度と手に入らないもの選手権】

きっとあれは、高度経済成長期だったのでしょう。

川崎の住宅街で育った私は、1歳上のえい子ちゃんと遊ぶのが好きでした。家の中で遊ぶ時は定番の「リカちゃん人形」、外で遊ぶ時は近くの公園で日が暮れるまで遊んだものです。

小学校1年生の頃だったと思います。

ある日、えい子ちゃんはえい子ちゃんのお友達数人と、ちょっと離れた場所で、「宝物探しごっご」をするというのです。

「今日はちょっと遠くに行くから、nuricoちゃんはまだ小さいし、宝物も必要だから、今日は遊べないな。」

「ううん、遊ぶ!私、小さくないもん!!だから、遠くに行っても大丈夫だよ。家から宝物持ってくるから、待っててね。いっしょに、連れてって!」


当時、1歳上の子たちの集まりに入れてもらうためには、それなりのインパクトが必要だと思ったのだと思います。

同時に「宝物」という響きに、「本当の宝物」ではなければならないと思ったようで・・・なんと、母親が大切にしている、ダイヤの指輪を持ち出したのでした。(今思うと、考えられませんね・・)

そして私は悠々とそれを持って、えい子ちゃんやそのお友達に見せたんです。すると「すごーい!本当の宝物だ!」って、みんな大騒ぎ!!

しかしみんなの宝物を見ると、お気に入りのシールとか、なんかの石とか、ビーズとかだし・・・

「うそっ!?これが宝物なの??」と思いましたが、時は既にもう遅し。引き下がることができなくなりました・・・


そして初めていく場所は、小学校とは反対方向の(その後、大きなマンションが建ち並ぶ場所になるのですが)、広~~い田んぼだし。

えっ!ここが、宝物探しごっこの会場だって~?!

田植えの前なのか、その後だったか忘れましたが、泥んこいっぱいになって、各自の宝物を埋めることになったのです・・・


はい、ご察しのごとく、一生懸命埋めて、一生懸命探したのですが、他の宝物は簡単に見つかっても、母のダイヤだけは見つかりませんでした。


チョ~~怒られたのは覚えてます。

そして、あの田んぼの風景は、今でも目の前に拡がります。


その後、そこが中学校への通学路になった時、横目で見ながら「まだあの辺に、お母さんのダイヤの指輪が眠っていると思うんだけどな。何千年後かに、遺跡で発掘されるのかな・・・」などなど、行き返りに妄想を膨らましていました。

今こうして考えてみると、あの時に土地に対する「見方」が養われたような気がしますね。

普通の田んぼがマンションになっていく過程や、この場所が今後どう変化していくのか、そして未来の人たちがあの場所で母のダイヤを発掘することもあるのだろうかなど、過去・現在・未来における「土地の神秘性」とでも言いましょうか。

だから私は「地理」が、好きになったのかもしれません(笑)


おっと、そういうことではなくて・・・

あの母親のダイヤの指輪は、二度と手に入ることのないモノになってしまいました。


おかあさ~ん、ごめんねぇ~!!

だけどあの事件を通して、今の私があるみたいなので・・ありがとう~!!

でもやっぱり、ノー天気な娘で、随分ご心配おかけしました・・・

どうかあの世で、あの時よりももっと良いダイヤの指輪をして下さいませ♡



拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡