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年末年始なんだよね?!

いつもこの時期になると思うことは、一年が終わるということを意識しておかないと、いつの間にやら年明けちゃってるかも?!ということなんです。

それはこの国が旧正月でお祝いするので、今回は2月5日になるんですね。

結局、ここでは1月1日だけが公休日で、31日も2日からも「普通の日」なんですよ。

学校は、今年は28日に終業式でした。そして長い冬休みが1月31日までで、2月1日一日だけ学校に行けば2日から6日まで「旧正月休み」です。

心の中では、毎年お正月が2回あるような・・・

いやいや~逆に、なんとなく両方とも中途半端になって、お正月気分がないような・・・

この微妙な誤差が、海外生活の魅力ではありますね~♪

そこで、そういえば日本はいつから太陽暦(グレゴリオ暦)になったのかなと思って、ちょっと調べてみると・・

日本では、明治5年(ほぼ西暦1872年に当たる)に、従来の太陰太陽暦を廃して翌年から太陽暦を採用することが布告された。(略)この布告は年も押し迫った明治5年11月9日 (旧暦)(新暦の1872年12月9日に当たる)に公布されたため、社会的な混乱を来した。(Wikipedia「グレゴリオ暦」から)

なるほど~やっぱり、明治維新以降の近代化の流れで「西洋化」されたんですね。今使ってる暦も、ほんの150年前からだということですね・・

じゃあ~そんな社会的混乱を招きながらも、なぜ変えたのでしょう?

これほど急な新暦導入が行われた理由として、明治政府の財政状況が逼迫していたことが挙げられる。当時参議であった大隈重信の回顧録『大隈伯昔日譚』によれば、旧暦のままでは明治6年は閏月があるため、13か月となる。すると、月給制に移行したばかりの官吏への報酬を、1年間に13回支給しなければならない。これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり、12か月分の支給ですむ。また、明治5年12月は2日しかないことを理由に支給を免れ、結局11か月分しか給料を支給せずに済ますことができる。 (同上)

あらららら~!!まぁ~国家づくりのために、いろいろ厳しかったですからねぇ。お給料も、節約したいところでしょう(笑)

またグレゴリオ暦の導入国家の順は、1582年にイタリア・スペイン・ポルトガル・フランスなど、1583~1587年にはドイツ・スイスなどのカトリック都市と、1700年代になってドイツのプロテスタント地域と、1752年にイギリスだそうです。最近では2016年に、サウジアラビアが導入したようです。

一方、日本では長い間使ってきた太陰太陽暦ですが・・・

世界で最も古くから「太陰暦」を用いていたのは、メソポタミア文明をつくったシュメール人である。(Wikipedia「太陰太陽暦」から)

へぇ~!まぁ、女性としては体になじみやすいのは、太陰暦ですもんね。

なんて、話は大きくなってしまいましたが・・・

大きく分けて「太陽暦」と「太陰暦」・・・

新しい時代には、どちらがより良いのでしょうね~?!

拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡