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8月31日の夜に。

学校なんて、なんであるの?

なんで学校に行かないといけないって、親は言うの?

その親なんか、こんなにつらい世界に、なんで私を生んだの?

どうせ自分たちの辛さを紛らわすために、ただ産んじゃっただけでしょう?

なんでこんな、へんな世界は無くならないの?

こんなへんな世界なんて、一気に核爆弾で無くなってしまえばいいじゃん?

・・・なんて思っていた、10代。 だから、死のうと思っていた。


死のうとばかり思って、地面を見て歩いていた。

すると一匹のアリが傷を負って、よたよたしながら這っていた。

「このアリ、生きようとしている・・・」

そして、そのアリを指さした自分の手首には、紫色の血管があった。

「なにこれ、勝手に流れてる・・・」

私が知らないうちに、血液が体中を回って、私が生きていた。

私は生きたいと思ってなくても、生きていた。


私の体の中は、血液が流れ、酸素が送られ、細胞が生まれて、また細胞が死んでいた。

このアリのように、私が知らない私は生きていた。

だから私が意識しなくても、勝手に動いている機能があった。

私がいつもしている「考える」の他に、見る・聞く・話す・歩く・座るなどなど、たくさんのことをしていた。

私が意識したり考えたりすることって、その機能の中の何十万分の1にしかならなかった。

「~はこうだ」と考えている自分が、実は全部だと思ってたけど、ただ単に機能している自分の方が実は全部だった。

考えの自分はあくまでも考えでしかないから、幻想の自分だった。


そうして観た時、空も木も水も土も、ありのままそこにあって・・

虫も犬も猫も鳥も、なんだかそのまま生きていた。

実は私もそれらと一緒に、そのままいただけだった。

そのままいれないようにしていたのは、考えにがんじがらめになっていた幻想の自分だったんだ。


今ここ、この一瞬間で、細胞が生きて細胞が死んで、また生きている。

一瞬一瞬で、全てが生まれて死んで、生まれて死んでの繰り返し。

自分を含めて身の回りのすべてにとって、まるっきり同じ瞬間なんてない。

全ては変化していたんだよね。

変わらないものがないことこそが、変わらないことだったんだよね。


ほらっ、この一瞬で、一秒前の全てと、今ある全てが変わったの。

だったら、今この一瞬しかない一瞬を、わっと最大限に出会っちゃえばいいじゃんってなった。

幻想の考えではない、見たり、聞いたり、感じたりした方がいいじゃんってなった。


そしたらね・・・・

風が気持ちよく、ささやいてきてくれたの。

太陽の光がきらきらと、語りかけてくれたの。

空の雲が流れながら、手を振ってくれたの。

みんな「感じてくれてありがとう~大好きだよっ!」て、言いながらね。

大好きだよって、いってたの。

自分以外の全てから、大好きだよっていわれたの。

今までもこれからも、大好きだよっていうの。

ただ幻想の自分が、五感をふさいでいただけだったの。


だから、探してみようよ。

大好きだよってささやいている、あらゆる声を。

過去もない、未来もない、今ここしかないんだから。

最大限、出会いの機能をオープンしてみようよ。


そしたら、そこに

自分が考えていた自分じゃない、本当の自分がいるかもしれないよ。





拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡