見出し画像

中国の経済発展の背後には・・

BS1スペシャル「中国”改革開放”を支えた日本人」を見た。

本放送は今年2月10日だったが、ワールドプレミアムでは先日放映された。この題名を見た瞬間「やっぱり!」と思い、数日前から楽しみにしていた。


以前から、私の中で疑問だったのが「なぜ中国は社会主義国家なのに、経済大国まで這い上がれたのだろう?その裏には、いったい何があったんだろう??」だった。

それは特に、台湾のエッセイを書きながら、戦後、中国と台湾であまりにも大きな経済的な「違い」があったことを知っていたからだ。

例えばこんな話がある。

戦後日本が引き揚げた後、蒋介石率いる国民党軍が台湾にきた時、共産党軍との激しい戦いに疲れ果てた軍人が、一般家庭の蛇口を盗んで本土に持ち帰り取り付けたところ「水が出ないではないか!」と怒ったそうである。当時中国ではまだ、上下水道が一般的ではなかったのだろう。この話ひとつを見ても、どれだけの違いがあったのかが予想できる。


また朝鮮戦争後の韓国も当時、世界的にどん底を這うような経済状況だったところを、現在のPOSCO(浦項総合製鉄)が韓国の経済成長を支えていた。

その背後に新日鉄があったことは、韓国人なら知っている。


この番組を見る前「もしかして、中国にも新日鉄の稲山会長が?いやいや、それは簡単ではないだろう・・」だったが、「やはり!!」だった。


中国で、社会主義市場経済の導入を図った壮大な実験「改革開放」が始まって40年。いまや中国は、GDP世界第2位の経済大国に発展した。実は、そのモデルとしたのが日本であった。政財界のトップから建設の現場まで、官民を挙げて改革開放を支援した無数の日本人たち。小松製作所や新日本製鉄などのケースを中心に、日中両国での取材から、知られざる秘話に迫る。(NHKサイト「もっとNHKドキュメンタリー」から)


文化大革命が終わったあと、77年に中国から極秘で「鉄鋼代表団」が日本に送られてきたという。

鉄鋼鋼材は産業の米と言われ、中国の宝山製鉄所つくりのためにプロジェクトが立ち上がる。

しかし中国側の現状の変化により、プロジェクトを中断しようと中国から申し出た時、日本側から・・

稲山会長が「考え方がマイナスになってはいけない」とし、顧問の大来佐武郎氏が「将来を犠牲にするのではなく、対外開放したのだから外国とのつながりを生かして、いい方法を考えましょう。」と、諦めず積極的に支援していたのだった。

驚いた。

そんな日本の人たちによって、今の中国があった!

関わった人の証言には、「中国残留孤児として、中国の方が拾ってくれたので生きてこれた。いつか中国の発展のために寄与したいと思っていたので、プロジェクトに参加できて本当に嬉しかった。」とか、「日本が長い歴史の中で中国から学んできたことを、初めて返すことができたケースだと思う。」などがあった。

感動した。

本当に素晴らしい日本人がいたんだと、誇りに思えた!!


最後には、大来氏の言葉で終わっていた。

「未来永劫に渡って、隣国同士として仲良くしなければならない。そのことが両国双方にとって、利益になることだ。」


これら素敵な先人たちの意志を、無駄にしてはいけない・・・そう思った。






拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡