「誹風柳多留」六篇③ 蛙とぶ池は「ふかみ」の折句なり
世界では、文字が読めない人がたくさんいる。
江戸時代の人は、寺子屋で読み書きそろばんを習っていたから文字が読める人が多かった。当時の「世界」では文字の読める人の数は、日本はめちゃくちゃ多い。世界一の識字率だといわれる。文字が読めるから、本もたくさん読んでいる。本を買うには値段が高いので、貸本屋がたくさんあったのも江戸の町だ。
江戸の町の人々は、歌舞伎や浄瑠璃といった演芸もよく見て聞いて、知っていた。人々の知恵というのは演芸からきたものが多い。原本を知っているというより、それを脚色した物語を知っていた。現代の我々が事件そのものよりも、ワイドショーの再現ドラマで事件を知った気になっているのと同じだ。
そんな人々が、いろんなものに興味を持って五七五にしている。
409 風呂しきを とくとかけ出す真桑瓜 見合にけり見合にけり
風呂敷からマクワウリがコロコロころがる。
メロンと呼ばれる甘ったるいものより、私はマクワウリの方が好きだ。こっちもけっこう甘い。マクワウリは地域によっていろんな種類があったけど、だんだん全国統一されていく。食に関しても、現代よりも江戸時代の方が品種も多く豊かだったかもしれない。
425 蛙とぶ池は ふかみの折句なり くらべこそすれくらべこそすれ
松尾芭蕉の「ふる池や蛙とびこむ水の音」は江戸時代でもよく知られていた。その五七五の各句の最初の言葉は「ふるいけやかわずとびこむみずのおと」で「ふ・か・み」となる。「句」とは、五七五のひとまとまりも「句」だが、五とか七の言葉のまとまりも「句」という。ここでは、五七五それぞれのまとまりのこと。句の最初に言葉を入れることを「折句」という。昔はテレビの大喜利でよくやっていた。
note「のおと」なら、「の、のんびりと お、思いをつづる と、時のまま」。自作は、あんまりよくない。「川柳=せんりゅう」ではどうだ。「せん、先祖から りゅ、流行告げる う、歌とどく」。うーん、自作では何のことやら意味わからん。
有名な折句といえば「かきつばた」の歌(短歌)がある。(「かきつはた」となる)
から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
たいへんだけど…
かわいぃから
しかたなぃよね
あそびまくって
いっぱいねて
しんどいくらい喧嘩してでも、
てをつないで、寝て
る
ずーー
っ
と
というインスタもあったなあ。これも折句ですね。
466 しかられて枕へ戻る やみあがり こわひことかなこわひことかな
病み上がりの夫が、夜、女房の布団へ行くと、「まだ早い」と叱られ、すごすご自分の枕へ戻る。
467 田舎不義 とう丸籠が 二つ出来 こわひことかなこわひことかな
唐丸籠は、罪人を護送する駕籠。この罪人は、不義密通、不倫をしたのだ。江戸では五両出せば示談にもできるが、田舎では罪人として護送された。
622 為になる間男だから したといひ ちゑなことかなちゑなことかな
間男は浮気相手の男のこと。それが「ためになる」からエッチしたし、「知恵がある」ことといっている。浮気の示談はだいたい五両で、五両は大金。だから五両を手に入れるために、わざと浮気をする。もちろん夫も共謀。つまり美人局を夫婦でしている。
489 酔た あす 女房のまねる はづかしさ あんまりな事あんまりな事
545 道ならぬ恋に明店弐けん(二軒)出来 うかりうかりとうかりうかりと
隣同士の不倫が発覚し、残された夫と妻は引っ越しして、空き家が二軒できた。
630 屁をひつて嫁は雪隠出にくがり はつきりとするはつきりとする
トイレで屁が出た若いヨメは、恥ずかしくてトイレから出てこれない。そんな時代もあったんだろう。
江戸庶民の生活を映す「誹風柳多留」六篇は、ここまで。
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