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うっせぇわ

 yahooニュースに「『うっせぇわ』は子どもに歌わせない」という親たちに伝えたいこと(現代ビジネス)という記事が載っていた。あれっ、こんなことが話題になっているんだと思って読んだ。
 Adoの「うっせぇわ」は今気に入っている曲だ。ジジイの自分でも好きになる。あっ、おもしろい、いいね、となっている。声に出さなくても、心の中で「♪うっせぇうっせぇうっせぇわ」と歌っている。


 歌っているのが女子高生だなんて知らなかった。メジャーデビュー曲だとも知らなかった。作者がsyudouという人だということも知らなかった。そんなの関係ねぇ。歌が気に入っている。コロナの閉塞感をぶっとばしてくれる。いいねと思って聞くと、クセのあるイラストもいいねと思えてくる。他のAdoの曲も聞きたくなる。

 歌詞がどうのこうのという人もいるけど、人はそんなに歌詞にこだわって歌を聞くのだろうか。気に入った曲は、さらにふみこんで歌詞にも思いをはせるだろうが、パッと耳に入ったときには、ひとつひとつの歌詞なんて気にならない。「♪うっせぇうっせぇうっせぇわ」だけが心に残る。
 ビートルズの曲の歌詞の意味なんて知らない。でも、メロディーと歌声にいいねと思ってしまう。英語の意味がわからない人も大多数いる世界中に広がった。日本の当時の女性ファンが、歌の意味をわかってキャーキャー言っていたのかどうか。
 PPAPのPen-Pineapple-Apple-Penの意味なんて考えずに、「♪Pen-Pineapple-Apple-Pen」の曲と言葉のリズムに世界中がいいねを押したのだ。

 3月1日の段階でYouTubeは84,570,000 回視聴されている。8000万だよ。Noteの一番読まれている文章が何回だろう。ベストセラーの書籍はどれだけ売れているのだろう。文句言ってる人がどれだけいるかわからないが、これだけの人が見て聞いている。嫌な歌だと思いながら見た人もいるかもわからないが、チャンネル登録した人だけでも100万人を越えている。少なくとも100万人以上の人が支持しているのだ。「うっせぇわ」という言葉以外に歌詞にそんなにヒドイ言葉はないと思うが……。
 「うっせぇわ」と常に言う子どもがいれば、それは普段は使ってはいけない言葉だと教えればよい。歌の中だけの言葉だと教えればよい。歌謡曲の歌詞なんて、もっとひどいものがいっぱいある。けれど、それは歌の中の言葉だ。現実とは違う。そう思ってみんな聞いている。

 子どもは「ウンチ」という言葉をよく使う。「ウンチ」と言えば大人がうろたえるから、おもしろがってまた「ウンチ」と言う。「うっせぇわ」と言えば、これまた大人がうろたえる。そこでまた「うっせぇわ」と言う。
 「ウンチウンチ」と言っていた子どもが、大人になって「ウンチ」と言っているか。変態になっているか。そんなことはない。ほんのごくごく一部の人は大人になっても「ウンチ」と言っているかもわからないが、その人はもともとそういう人だったのだ。

 かつてお下劣といわれたウンチも、今やうんこドリルが当たり前になっている。コロナで亡くなった志村けんは、お下劣なコントを連発していたのに、亡くなると日本を代表するコメディアンとなってしまう。
 歌は世につれ世は歌につれだ。

 AIは全てを分析して結果を出す。人間は感性と直感で結果を出す。歌を聞いてすぐにいいねと思ってしまう。分析は後からする。結果が先にある。
 ○○だからダメと決めつけるのではなく、感性で好き嫌いを感じてしまう。「うっせぇわ」が嫌だと思った人は、そういう感じ方をしただけ。いいねと思った人は、そう感じた。自分の感性に訴えかけるものがあったと思ったのだ。
 「うっせぇわ」を否定的に見るだけでなく、どうして8000万人以上の人が聞いているのか、そのことこそ考えなければならないことだろう。その理由を調べなければならないだろう。

 否定の言葉ばかり投げかけ命まで奪った木村花さんの事件は、もう終わったことなのだろうか。自分とは関係ない事件だろうか。責めて責めて死ぬまで責める。一方的に否定する風潮が最近とみに強まった気がする。

 自民党のすることは全て否定。内閣のすることは全て否定。
 自民党が多数に支持されているから今の日本は自民党政権のわけだ。支持されている政党、権力者への批判は当然あってしかるべきだが、今は救いのない批判のための批判をしているようにしか見えない。罪を憎んで人を憎まずではなく、人を憎んで憎んで、これでもかこれでもかと責め立てる。その人がこの世から消滅するまで責め立てる。自民党を責めるだけでなく、自民党を支持している人も全否定しているように見えてしまう。

 自分の考えと違うものを全て否定してしまえば、それは民主主義ではなく独裁だ。私自身、野党に腹が立つし、与党自民党にも当然腹が立つ。「うっせぇうっせぇうっせぇわ」と叫びたくなってしまう。「うっせぇわ」は、そんな時代だからこそ受け入れられるのかもしれない。

 もう1回「うっせぇわ」を聞いてみよう。

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