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メタモルフォーゼ~桑の実を食べると人は変われるのか

 アサガオやツタの葉は、三つに分かれた葉と、丸いままの葉がある。一つの木に違った形の葉が一緒についている。クリスマスの飾り付けに使うヒイラギの葉は、触ると痛いトゲがある。トゲのある葉だけでなく、トゲのない丸い葉もある。ヒイラギの葉はギザギザだと思っていたら丸い葉があり、あれっ、病気か、と思ったりする。

柊


 三つに分かれた葉と丸い葉がはっきりしているのはクワの葉だ。
 クワなんて見たこともないという人もいるだろう。クワの木がないので、山へ行くとヤマグワがある。葉質は全然違うが、同じような形をして、同じような実ができる。この葉も、丸い葉だけでなく、三つに分かれた葉もある。山へ行ったら、木の葉を見てみよう。ヤマグワだけでなく、同じ木なのに、違う形の葉がついている木がたくさんある。

木の葉

 木の葉は、環境によって姿を変える。ビニールハウスの快適な環境で育った木や草は、みんな同じ姿をしているが、野生の木や草は、その環境に合わせて姿を変えていく。
 三つに分かれたり、ギザギザをつけた葉は、風の通りがよくなり、光合成をしやすくなるようだ。とげのある葉は、動物に食べられないようにしている。日本に住む動物の背が届かない高さまで成長すると、トゲがなくなる。そんな木もある。ヒイラギは、高い枝の葉が丸くなっている。
 形を変えるにはエネルギーを使うので、本当は丸いままで生きていたい。でも環境によって、三つに分かれたり、ギザギザをつけたりする。
 ギザギザの葉は、タンポポでも見られる。タンポポでも、ギザギザの多い苗と、少ない、ギザギザの小さい葉がある。ギザギザがなく、丸い葉もある。


 昔は桑畑がたくさんあった。桑の葉をカイコに食べさせる養蚕が盛んだったからだ。カイコは桑の葉を食べ成長し、サナギになってマユを作る。このマユがシルク、絹となる。


 桑の木には桑の実がなる。それをよく食べた。赤い実は酸っぱくて食べられない。黒くなった実がおいしい。黒い桑の実は、ブラックベリーと同じような姿をしている。小さいつぶつぶがいっぱいついた実だ。

夕やけ小やけの赤とんぼ
負われて見たのはいつの日か
山の畑の桑の実を
小篭に摘んだはまぼろしか  (「赤とんぼ」作詞:三木露風)

 昔の子どもはみんな、桑の実を食べていた。

 桑畑は葉を摘むので、人の高さにそろえてある。
 伸びてきた太い木を切ると、切り株の横から細い枝がたくさん出てくる。そうすると、たくさんの枝に葉がついて、たくさんの葉が収穫できる。
 太い幹がなくなると、細い枝をたくさん作り、桑の木は新しい環境で生きようとする。たくさんの葉を作り、多くの光合成をしようとする。それを人間が利用しているのだ。

 養蚕をしなくなり、手入れをされなくなった桑畑は、桑の木がどんどん大きくなる。
 養蚕をしなくなって何十年もすると、ほっておかれた桑の木は巨木となる。本来は大きくなる木を、桑畑では人の背の高さにしてきていたのだ。
 環境によって木は姿を変えていく。


 メタモルフォーゼとは、変身することだ。
 人は、自分とは違う別のものになることを夢見てきた。今の自分を変えたいと思ってきた。
 メタモルフォーゼとは、昆虫などの変態のこともいう。昆虫は、タマゴから幼虫になり、サナギになり成虫となる。全く違う姿に変身しながら成長する。これが変態だ。

 鳥のヒナは親とは違う姿をしている。シカやイノシシの子は親にはない模様をつけている。昆虫ほどの変化はなくとも、成長に合わせて姿を変える。

 そんな大きな変化はなくても、植物の葉は環境によって姿を変える。環境に合わせた姿に変わっていく。


 人も同じだ。環境によって変わっていかなくてはならない。

 赤とんぼを聞きながら桑の実を食べたくても、桑畑がないから桑の実もない。いくら食べたくても、なければ、その環境で別のものを食べて生きなければならない。
 桑の実を食べていた人は、「食べる」ということができないので、嫌でも変わらなければならない。よく似たブラックベリーを食べてもいいし、もう食べることをあきらめてもいい。環境が変われば、そこに適応しなければならない。新しい環境で生きなければならない。

 桑の木も、桑畑はなくなったけど、かつてのその実を小鳥でも運んだのか、意外な場所で桑の木を見つけることがある。新しい環境に適応して芽を出し、生き延びている。
 人も同じ。人は、変わろうと思えば変われるのだ。

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