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恋は言葉のやりとりからはじまって~万葉集の相聞歌からコロナ禍の現代まで

 万葉集には相聞(そうもん)と呼ばれる歌がある。男女の恋のやりとりの歌だ。
 大津皇子(おおつのみこ)と石川郎女(いしかわのいらつめ)の歌は有名。


あしひきの山のしづくに妹(いも)待つと我(われ)立ち濡れぬ山のしづくに

 山のしずくの中で、あなたを待ち続けて、私はすっかり濡れてしまったよ。
 デートをすっぽかされた大津皇子が石川郎女に呼びかけた歌だ。
 「あしひきの」は「山」を出すための枕言葉(まくらことば)。「あしひきの」ときたら「山」となる。「妹(いも)」は、男性から女性に呼びかける語。「マイ、ハニー」みたいな語。妹ではない。逆に、女性から男性に「ダーリン」みたいに呼びかける語は「背(せ)」。二つをくっつけた「妹背(いもせ)」は、夫婦のこと。大津皇子と石川郎女は夫婦ではない。だって、人目をしのんで山の中でデートしている。

 この歌に対して石川郎女が返した歌。

吾(あ)を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくに成らましものを

 私を待ってあなたが濡れたという山のしずくになれたらよかった。山のしずくになって、あなたを包み込みたいわ。
 歌を返すときには、相手の歌の言葉の一部を使うという約束がある。「あしひきの山のしずく」という言葉を使って、うまくすっぽかした言い訳をしている。
 こんなやりとりをしながら恋を育てていく。


 この歌は万葉集に入っているが、万葉集の時代は日本に文字がなかったので、中国の漢字を使って日本語の五七五七七を表現していた。漢字で「かな」を書くので「万葉仮名(まんようがな)」と呼ばれる。当時の人々は漢字なんて知らない。よほどの博士でなければ漢字を知らない。大津皇子は王子で、天皇の息子だが、文字を知っていたかどうかはわからない。一般の人々の歌も万葉集に載っている。兵士や農民の歌もある。もちろん文字を知らない。ではどうしていたか。頭の中で歌を作り、口伝えで呼びかけるのだ。王子や貴族は、使いの者に口伝えで歌を教え、相手のところへ届けさせた。人間ボイスレコーダーだ。そうして恋が始まる。
 天武天皇の息子である大津皇子は、後に謀反の疑いで24歳で殺される悲劇の王子。彼のもっと若かりし日の恋の歌。人にはいろんな歴史がある。他の歌を見ると、そっけなくされた石川郎女とはうまく逢えたようだ。

 当時の農民も歌垣(うたがき、かがい)というものがあった。若い男女が集まり、歌を詠み合って男女のペアを決める、集団見合いのようなものだ。男女の恋には歌が必要だった。


 万葉集の後には、仮名が発明され、スラスラっと紙に筆で歌を書き、それを男女でやりとりするようになった。そうすると、文字を知らない一般人の歌はだんだんすたれていく。一般人は歌がなくても、会話によって恋が始まる。会話は、短歌の言葉とも違う。会話のための言葉で話される。無言で恋は始まらない。
 文字を貴族や坊主が使えるようになると、文章のための言葉が発達する。会話とは別の、文章だけの言葉が生まれたが、会話は会話で男女の間をとりもった。


 コロナ禍で会話の機会がぐっと減った。新しい出会いもできにくくなった。言葉を聞く機会が減ってきた。だからこそ会話の大切さが見直されてくる。話せるときに話さなければ、もう話すことができなくなるかもわからない。

 男女の間だけではない。男女以外の恋だけでもない。人と人とのつながりも、すべて言葉によって始まる。言葉のやり取りを会話という。

 会話がなければ何も始まらない。


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