見出し画像

七月七日は織姫彦星天の川、キラキラと七夕の夜に星が見えない

 天の神様をまとめている天帝、その娘、織姫(おりひめ)は仕事ばかりしていて、特に趣味もなかった。仕事は機織り(はたおり)、糸から布を織って服を作る仕事だ。神様たちの服を一手に作り、喜ばれ、それが彼女の生きがいだった。
 そんな娘を見ていた父の天帝は、青春を仕事だけにしばられている娘が不憫で、よい夫を見つけようと探すと、牛飼いの彦星(ひこぼし)という真面目な男がいた。二人を会わすと、なんと意気投合し、夫婦となった。
 それまで仕事が生きがいだった二人は、初めての異性に興奮し、夫婦二人の生活におぼれ、ついには仕事もしなくなった。
 神の世界では一人一役で、織姫がいないと服が作れない。彦星がいないと牛の世話ができない。天帝は二人に、ちゃんと仕事をするように言うのだが、「はいはい」と返事だけで、二人は二人の世界に入りっぱなし。
 怒った天帝は、二人を天の川の両岸に別れさせてしまった。
 大きな天の川なので、二人は互いの姿を見ることもできない。落ち込んだ二人は仕事もさらに手につかない。仕事をしないと困るので、天帝は妥協案として、ちゃんと仕事に精を出せば、一年に一回、七月七日に逢うことを許した。
 そこでやっと二人も仕事をするようになった。

というのが七夕のお話。
 年に一度の逢瀬も雨が降れば天の川の水かさが増し、川を渡れない。

 7月7日は七夕だが、7月7日というのは本来は旧暦の7月7日のこと。旧暦は月の動きでできた暦なので、7日は月齢七日の夜。ちょうど半月、上弦の月の頃。上弦の半月は船の形をしている。昔の人は、天の川を渡る船だと考えたのだろう。


 私が子どもの頃、笹の葉に願い事を書いた短冊をつるし、スイカを食べ、笹を川へ流していた。今はもう6月にはスイカが出るが、昔は6月や7月の初めににスイカはなかった。スイカを食べたのは、旧暦の七夕の思い出なのかな。記憶があいまいになっている。それはともかく、スイカは品種改良やビニールハウス栽培でどんどん収穫の時期を早めている。秋の味覚の代表、ブドウだってもう出回っている。早く売った方が高く売れるから、季節感なんて関係ない。どんどん果物が早く作られる。
 七夕自体が旧暦7月7日なので、旧暦では、1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋になる。そのため「七夕」は俳句では秋の季語となる。スイカの方も旬は7月頃。旧暦では8月、秋真っ盛りで、「スイカ」も俳句の季語は秋となる。

 笹の葉に飾る短冊は、

♪五色の短冊 私が書いた お星様きらきら空から見てる  (権藤はなよ詞「たなばたさま」)

と歌われる。
 五色の短冊は、緑・紅・黄・白・黒の五色のこと。戦隊ものシリーズのようだが、これは古代中国の五行説にもとづいている。
 この世は全て木・火・土・金・水の五種類から成り立っているというのが五行説だ。その色が、木の緑(青)、火の赤(紅)、土の黄土色(黄)、金属の輝く白、水はなぜか黒。五種類にわけられている。
 五行は曜日や太陽系の星にも名付けられている。日曜日は太陽(お日様)、月曜日は月だが、後は火星、水星、木星、金星、土星と星の名になっている。
 龍の色も五行で違っており、青い青龍は、朱雀、玄武、白虎と並ぶ四神の一つと考えられた。白龍は天帝に仕えていた。口から炎を出すのは、火から生まれたとされる赤龍。残念ながらモモの助が変身するピンクの龍はいないようだ。龍はドラゴンボールやワンピースのマンガで現在も活躍している。

 七夕の行事は今も家庭でやっているのかな。やっているにしても、七夕の季節感はなくなった。そもそも天の川が見えない。
 空を見上げたってミルキーウエイは見えない。
 そこにあるのに見えない。星のかたまり、天の川はあるのだけれど空が明るくてたくさんの星が見えない。
 あるのに見えないって、こういうことなんだ。金子みすゞみたいだ。

見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ  (金子みすゞ「星とたんぽぽ」)


 星が見えないから流星もあまり見えない。
 七夕の夜は、昔は天の川がくっきり見える空をながめたものだ。すると、きらきら輝く星のあいだから一筋星が流れたりしたものだ。

 流れ星もしばらく見てないなあ。

 でも、2001年11月19日のしし座流星群の流星雨を見たので、満足している。
 あんな流星雨はもう死ぬまでにやってこない。見ていない人に対して、ちょっと優越感を覚える。
 外に出ていたとき、1600個まで流星の数をカウントしたけど、まだまだ星は流れていた。





 そんな思い出をもって、今夜は夜の空を見てみよう。……今夜も曇り空。

使わせてもらった見出し画像は、本来は縦長のきれいな画です。作者名をクリックすると元の画像が見られます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?