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「誹風柳多留」六篇② 浪人は長いものから食い始め

 士農工商の身分制度があった江戸時代。武士の次に農民がきているが、農民が年貢をはじめ、一番しぼりとられている。四番目の身分の商人が一番裕福で、武士に金を貸すものもいた。時代劇の、「越後屋、お主もワルよのお」と代官が言いながら小判を受け取っているシーンだ。けれど、商人が金をいくら持っていても、武士が刀を抜いて切りつければ殺される。それが身分社会だ。そんな武士に対する思いを五七五に乗せてつぶやいている。

115 ほれたやつ 見ぐるしい程 つかわれる  じだらくなことじだらくなこと
 惚れた男は、惚れた女にこき使われている。男尊女卑といいながら、すべてがそれでまわっているわけではない。夫婦にはそれぞれの家庭で全然違う状況がある。

118 子が一人 出来て それなりけりになり  じだらくなことじだらくなこと
 仲の悪い夫婦も、子ができると「子はかすがい」、間をとりもってくれる。


165 ぬきん出て となりのじゑき(時疫=じえき)しよつて来る  じだらくなことじだらくなこと
 時疫じえきは流行病。隣の病気をしょってきてうつされたのは、抜きん出て隣の病人の看病をしていたからだ。
 こう並べてくると、今でもそこいらで見る景色だ。世話焼きですぐに首をつっこみたがる人。いるよね。でしゃばりな人もいるけど、そうじゃなく、周りを気にしすぎて、病人が出た家は大変だろうと世話をする人もいる。

168 うらないにさいなん(災難)と出る通りもの  じだらくなことじだらくなこと
 通り物とおりものは、まともな仕事をせずにブラブラしている者。ろくなことをしていない人物が占いをしたら災難と出た。そりゃ当然。

181 すゞみ台ぎしりぎしりと人がふ  じだらくなことじだらくなこと
 涼み台は、タタミ1枚ほどで、四方から座れるようになっている。冷房装置のない時代だから、夕涼みをする。はじめは一人二人だった。それがいつの間にか人が増えてきた。

185 浪人は長いものからくいはじめ  じだらくなことじだらくなこと
 よく知られた句。貧乏な浪人は、槍や刀といった「武士の魂」を質に入れ食費にする。

200 うたゝ寝の書物は風が くつてくって居る  ながめこそすれながめこそすれ
 顔の上の本のページを風がめくっている。よく知られた句。識字率の高い江戸では、一般庶民も、のんびりと読書をしたりしていた。

186 夫婦づれ 女房に先きへ出や という  つくりこそすれつくりこそすれ
 男女が一緒に歩くと、ひやかされたりするので嫌がった。だから、女房に「先に出な」と言い、別々に家を出て、どこかで落ち合っていた。

216 出合茶屋であいじゃや あやうい首が二つ来る  いさみこそすれいさみこそすれ
 出合茶屋であいじゃやは今のラブホテルみたいなもの。不倫の男女が使う。そこを使っている二人は「あやうい首」。不倫だ。不義密通が見つかれば重罪で、首をはねられ命を落とすこともあった。命がけの不倫をしていた。

227 雨乞あまごいも女はたんと口をきゝきき  いさみこそすれいさみこそすれ
 江戸の人はいろんなことを雑学として知っていた。美人で有名な小野小町の短歌(三一文字)で雨が降った話。男の宝井其角(たからいきかく)は十七字の俳句で雨を降らせたといわれる。そういう「話」をよく知っていた。
 平安時代の小町は、「千早ふる神もみまさば立ちさばき天のとがはの樋口あけたまへ」の歌を詠み大雨が降ったといわれる。浄瑠璃や歌舞伎にもなり、そこで使われる「ことはりや日のもとなればてりもせめさりとてはまた天が下とは」という歌の方が有名になっている。
 江戸庶民は、本当かウソかわからない、つくりものの「話」を知っていた。
 江戸時代の俳人・松尾芭蕉の弟子・宝井其角は「夕立や田をみめぐりの神ならば」という句を詠んだといわれる。
 どっちも雨を降らせたという話だが、短歌と俳句では文字数が違う。女の小町の方が文字数が多いじゃないか。男より女の方が口数が多い、というところに目をつけた句。


天慶和句文、天道様_20210722151117

 見出し画像は、山東京伝作画「天慶和句文」の模写。天体を題材とした作品。これは太陽の擬人化。日輪を背負っている。「心学早染草」の天帝も日輪を背負っていた。同じ趣向で描いている。


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