見出し画像

働く仕事がなくなったのなら

 4月になるとスーツ姿の新入社員の通勤姿がよく見られる。それとは逆に、仕事をやめる人もいる。定年退職をしても再就職をしたり、新しい仕事を探す高齢者は多い。働かなければ生活できないという切実な問題もあるが、そもそも我々日本人は働くことが好きなのだろう。
 24時間戦えますか(働けますか)というコマーシャルが昔は流れていた。それを素直に受け入れる土壌が日本にはあったのだろう。


 ヨーロッパの仕組みに習った現代日本は、毎週日曜日は休みになる。昔は日曜日なんてない。毎日が仕事だ。お店は毎日開いている。
 今でも主婦は、24時間働いている。昔の主婦は、働かなくてもいいように、正月はおせち料理を作った。おせちがあれば食事の準備がいらない。少しでも仕事を休ませようという仕組みなのだろう。それだけ仕事をしていた。
 もちろん外へ出る仕事には休みの日もあった。
 天皇は稲作をする。田植えをして稲刈りをするのだ。大部分の仕事は他の人がするにしても、天皇が仕事を自分の勤めの一つとしている。皇后も養蚕ようさんをする。
 外国の王様がこんな肉体労働をするなんて聞いたこともない。
 昔から天皇の仕事としては、新嘗祭にいなめさいがある。神事として穀物を供え、それを食する。国の基本が農作業にあると宣言するものだ。戦いでできた国ではなく、作物を作ることによって国ができたのだと宣言する儀式だ。
 我々日本人は、仕事が、呼吸をするのと同じように日常的なことなのだ。
 日本の国うみ神話にしても、イザナギ、イザナミが地面をかき回す作業をして日本ができている。「光よあれ」と言って国ができたのではない。働いて国を作った。できた国をさらに拡大するのにも労働がともなう。
 神様が国を引っ張る作業を指揮して国土を広げたという「風土記」の国引き神話はこちら、

 日本の国は労働が基本になっている。神様も人間も、働かざる者、生きていけない国なのだ。
 だから、仕事がなくなると辛い。
 われわれ日本人は仕事が好きなのだ。
 勤務時間の制限をすることは大切だが、昔は24時間働いていても、手を抜く方法があった。今は、手も抜かせずにずっと働かせようとする経営者がいるので、強制的に労働時間の制限や基準を決めなければならない。
 それでも我々日本人は働きたいという欲を持っている。天皇も働くことが生活の一部になっているのだから、のんびり暮らすよりも、定年を迎えても自分の体力にあった仕事をしたいという欲をもっている。仕事をすることが趣味にもなる。
 そりゃあ、腹のたつこともいっぱいあるけど、楽しいこともあるから続けられる。
 どうせいつかは働きたくても体が動かなくなる日がやってくる。それならば好きな仕事をいつまでも続けたい。
 定年退職だけでなく、リストラやいろいろな理由で働けなくなることもある。そうなるのは辛い。仕事がないのは辛い。

 今年もなんとか仕事を続けることができた。
 私は、好きな仕事をずっと続けたいというささやかな望みをもって、今日も仕事に行く。
 新年度がはじまった。
 

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?