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敗戦を終戦といい夏は来ぬ

 8月15日は終戦の日。終戦記念日という言い方もある。何か人ごとの言葉のように思える。どっかの戦争が終わったのではない。当事者である自分たちの戦争だ。勝つか負けるかだから、負けたという現実を受け入れなければならない。
 言葉というものは生きている。「終戦」と「敗戦」では大きな違いができる。
 自分たちに直接関係する「戦争」だと思えば、知るべきことはたくさんある。

 8月6日、広島原爆の日。8月9日、長崎原爆の日。人類がたった二度経験した人間への核兵器の使用。
 核兵器だけではない。日々の空襲によって戦闘員ではない老人や女子どもが殺された。男たちは兵士として戦場に行っている。残った人々は雨あられと降る絨毯じゅうたん爆撃による無差別殺戮をうけた。
 兵士として異国へ行った男たちは、異国の地で死に、骨となる。野ざらしの骨となっている。その骨をさがすための遺骨収集。

 そういう現実について書いた。そういう事実を知ってほしい。

 人々の犠牲の上に今の我々がある。
 


 台風7号がコースを西に動かしながら近畿直撃のコースとなった。
 暴風警報を出し、風も強くなってきた。
 嵐がやってくる。
 雨も強くなるだろう。
 
 心配でたまらないけど、戦争中の恐怖はこんなものじゃなかっただろう。想像するしかない。
 戦争を経験していないくせに何を言っているんだと言われるかもしれないが、経験していなくても想像しなければならない。

 人は、想像しながら知恵をたくわえていったのだ。


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