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小沢健二「So kakkoii 宇宙 shows」に感じたこととか喰らったものとか。

 もうあれから1ヵ月が経っているということに気づく。#生活に帰れない わけではないけれど、だらだらと少しずつ思いついたときに文章を書いていたら、1ヵ月が過ぎていた。その間に起きた出来事、見た演劇や映画、聴いた音楽がこの「So kakkoii 宇宙 shows」から全部繋がっている気がした。現在と過去、生と死、時間の存在とかなんとか。何かに手が届きそう、あと一歩でつかめるようでつかめない感覚。

 とはいえだ、本題はそう、2年延期の末、開催された小沢健二さんのコンサートツアー「So kakkoii 宇宙 shows」名古屋公演に行ってきたのです。チケットを取ったのが2019年11月末(発券は翌年2月)だったことを思うと、こんなにもずっと引き出しの中にいたのだ、と。そして待ちに待った瞬間が訪れたのだと。


 いつもはセットリスト順にライブレポート的なものを書いていくのだけど、今回はただ思いつくままなので、最初にセトリを。(メドレーやモノローグは割愛して。はっきり覚えてないのもあるけれど。)


流動体について
飛行する君と僕のために
大人になれば
アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)
いちょう並木のセレナーデ
今夜はブギー・バック/あの大きな心
あらし
フクロウの声が聞こえる
天使たちのシーン
ローラースケート・パーク
東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー
運命、というかUFOに(ドゥイドゥイ)
強い気持ち・強い愛
高い塔
泣いちゃう
ある光
彗星

失敗がいっぱい
ドアをノックするのは誰だ?(イントロ)
ぼくらが旅に出る理由
薫る(労働と学業)
彗星(2022)

 ということで感想を。


 感じること。思い出すこと。胸を突きつけられること。
 小沢コンサートでのメドレーがあまり得意じゃなかった。一曲は一曲で聴きたい感じで。でも今回は違う。ってかコンサート全体が一つの組曲かのように流れていく。畳み掛けていく。長くなるところ、短くなるところ。今とあの頃がつながっていくこと。

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 古川の話、道頓堀になってもおかしくなかった場所。なのに今は日の当たらない感じ…暗渠だ!なんて勝手にそのときは思ったけど、調べたら暗渠ではなかった笑。
 古川の上をなぞるように高速道路が走っていること。
 その話にふっと思い浮かべる。きっと川に沿って物流の流れが東京湾へ向かっていっただろうし、今も高速道路を通って物資が遠くの地へと運ばれていく。今と昔が地上と高架で繋がっていく。もうブラタモリならぬブラオザワだ。
 そして東京恋愛専科の「急カーブを曲が」ったのは。私たちはそんな積み重なっている歴史も知らず浮かれ浮かれて東京恋愛カーブを曲がっていくの。「急カーブ『は』曲が」ったのは偶然とか運命とかじゃない。必然だったのかもしれない。姿形は変わっても変わらないこと。
 そう、こんな風に今と昔がつながっていくってこと。時間の不思議を思うの。

 「過去とか未来とか現在とかそういうのってどっかの誰かが勝手に決めたことだと思うんです。時間って別に過ぎていくものじゃなくて、場所っていうか、別のところにあると思うんです。」
「大豆田とわ子と3人の元夫」の小鳥遊さんのセリフをふっと思い出して。

 今回のアルペジオ、いちょう並木の、そしてローラースケート・パーク、恋愛専科、運命UFOのメドレーに私の心は瞬時にいろんな場所にいろんな想いに移動していって。
 すごく個人的な想いに切なくなったりもすれば、もっと俯瞰したところで感じる歴史的なこと。私たちが生きてること。

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 はたまたすごく個人的なことなのだけど、今までの小沢健二コンサートに向かう中で今日の私が1番精神的に落ちていた。悲しいくらいこのコンサートに行く!以外の希望がなかったのは確かで。
 春空虹では喜びを分かり合う他の誰かがいたわけだし、飛ばせ湾岸新木場ではTwitter列島で有名な方に声をかけてみたりと、積極的だった。でも、今回は何もしなかった。
 なんというか独りでいたい気もしたけど、買った地図Tのタグがずっとくっついたままだったのは、やっぱりさみしいことだったような気もしている。

 そんな私の心境など関係なく、小沢健二とファンク協奏曲の奏でる音楽は素晴らしく。早々に1曲目の「流動体について」で泣いたのは。コロナ禍で2年延期からようやく!ってのが溢れ出したのかもしれない。思えばコロナ以降はじめてのコンサート。そして声を上げれないコンサートは初めてで、それは本当に別の世界線のように思えて。声高らかに皆さんの歌声が響いた2年半前の飛ばせ湾岸。「小沢健二のコンサートはみんなで歌うことだ!」なんてインスタかなんかに書いた。そして今マスクの下で口は動かしているけど、声は出せない。
 そんな中でも小沢さんは「聞こえる」って言う。今の方が「聞こえる」って。胸の辺りを叩くように「名古屋、聞こえてるよ!」って。

 「天使たちのシーン」で泣くこと。一番大好きな「神様を信じる強さを僕に」のところでじゃないこと。とてつもなく大事な歌だし、去年の犬再発もあって本当にたくさん聴いていた。文章も長々と書いたりした。
 今の何もない私にはやっぱりこの歌が響くのだ。どうしようもないときに心に寄り添ってくれる歌なのだ。どんなに絶望を抱いていても、すべてを諦めるように生きていても、この歌が側にあること。目の前で私たちに語りかけるようにただただ小沢健二が歌っていること。それだけで、何か大切なものが本当はあるんだって思わせてくれること。
 間奏は短くなっていたけど、歌詞はフルで(カモン!はなかったけど笑)、歌い方も原曲に近くて。

 「フクロウの声が聞こえる」がものすごく刺さったこと。はじめて聞いた「魔法的」以来の強さ。
 でも、そうなんだ。きっと私の状態によって刺さる曲も違うし、泣く曲も違う。ひふみよじゃそのサビだけで号泣した「ある光」、春空虹ではじめてフルで聴いて大泣きした。でも今回は泣かなかった。春空虹でも感じたこの曲が多幸感に溢れはじめたこと。この別れの旅立ちの歌が。今回はそれを増して人生讃歌のように幸せに満ち溢れていたこと。
 昨年末の「マイクロ魔法的ミッドナイト」の鬼気迫るある光。もう一つ上の感情を揺さぶったのだけど、なんというか今回のある光はすべてを超越したところに在る気がした。

 そうだ、泣いちゃうからのある光だったのだ。泣いちゃうの最後のサビを歌わなかった(よね?)ことが、コロナ禍が続いてることを示している気がした。最後の部分を歌うのはきっとみんなで声を出せるときになるんじゃないかって勝手に思った。
 まだ辛い中の泣いちゃうからある光への解放。音に乗って飛び跳ねたし、なんならヘドバンまでした。

 でもそう、このコンサートの最高潮は強い気持ち・強い愛で。DAT Mixのストリングスを生で感じながら高揚する時間。一番盛り上がったと思うし、私も飛び跳ねた。

 強気強愛→高い塔→泣いちゃう→ある光→彗星の流れが本当に素晴らしくて、あれから何度も繰り返して聴いていたりしていて。(東京では天気読み挟んだとのことだけど、とりあえず今は私が聴いたままで。)


 離脱について。最初は何が何だかわからなかった。だって楽しく音楽に乗っている途中で急にゆっくりになるんだよ?でも、そのうちその感覚が掴めてきて、なんとも言えない浮遊感に身を任せていた。
 小沢さんはよいところからも悪いところからも離脱する的なことを言っていて、よいところからもなんだ!ってなった。もっと超越した所へ(©️根本宗子)。時間とか現在とか過去とか現実とか妄想とかすべてを越えて。
 何にもなくなった先にあるのはなんなんだろう。運命UFOの離脱のときにほんと無重力にいるような気分になったんだっけ。薫るの離脱で歌いながらゆーっくりになることの気持ちよさ。躰の動きもスローになっていくの。空っぽになる。そんな気がした。私たちはあまりにいろんなものを喰らいすぎているんじゃないかしら?情報があふれかえっています。すぐに自分に合った考えとかに辿り着いて気持ちよくなります。知らなくていいことを知ってしまって苦しくなります。そんなすべてからの離脱!!

 離脱の先に。「そして時は2022」そう今現在がやってくる。ラストの彗星では2022って歌うこと。そして「真実はだんだんと勝利する。」の部分を歌うこと。そこに真意みたいなものを感じるのは。

 「人びとが希望を持たなくなること。人の社会に、期待しなくなること。自分が生きている社会について諦めること。そういうムードを世の中にいつも広げておけば、『革命』にはならない。」ずっと持ってなかった「企業的な社会、セラピー的な社会」が今回の物販で売っていたので買って。そこにこんな今を感じるようなことが書いてあって。いや、多分今の私に感じていることだ。そんな私に「真実はだんだんと勝利する」の言葉は何かを突きつけてくるんだ。なんにもしていない私に。

 小沢さんの「見つけてくれてありがとう。」に、「薫る」の「約束するよ 側にいると」に心をキュッとさせて。今は愛する人もいないし、子どもたちもいない、孤独な人間でも。

 名古屋だもの。りーりーのことを記さねば。公演日はりーりーの誕生日。どれだけの人がりーりーに誕生日プレゼント贈ったのかしら?ってか小沢さんが誕プレのお礼をってステージにりーりーを呼び込んだら、あまにゃんも付いてきて、「おまえはいいんだよ笑」的なことを言われてたことに微笑って。ってかりーりーもあまにゃんも可愛い!もちろん知ってるよ、でももう「キャー!」って言いたいくらい可愛い。
 りーりーは小沢さんからマイクをさっと奪い取り、一言「ありしゃす!!」そしてマイクをすぐに返し、颯爽と去っていく。ロックスターか!ってくらいのカッコよさ。
 小沢さんは「芸能人失格かもしれないけど」なんて言っていたけど、りーりーがジャケットの写真になること、魔法的から思っていたけど、りーりーやあまにゃんがいることで生まれたものがたくさんあることを思えば、正しいことなんだろうと。そんなことを小沢さんも言っていて。

 今回のコンサート、いろんな方が言っているけど「アメリカン・ユートピア」みたいって思った。(ちなみにこの映画を見たときに小沢健二ならこれ出来るよなあ、って思ったと同時に、星野源にこれをやって欲しいとも思った記憶。)
 そしてただただシンプルに音楽を言葉を波動を喰らったこと。終演後、足の震えが止まらなかった。規制退場を待つ間もなんだろう、ものすごいものを感じたぞ、って言う圧倒された感覚だった。

 終演後、会場の隣にある川の側を歩いていく。駅に向かう橋が見える。
 「大きな川を渡る橋が見える場所を歩く」
 今日は聴けなかった「愛し愛されて生きるのさ」を歌うの。

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 「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて生きるのさ それだけがただ僕らを悩める時にも未来の世界へ連れてく」

 古川の話を思い出して。アルペジオからいちょう並木、汚れた川は再生の海へと届くの。

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 帰宅してから、グッズに付いてたタグのスクラッチを削ったら、もう!今日感じたみたいなことが書いてあるじゃないの!

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 すげーな、小沢健二、ですよ。この必然なのかわからないけれど、こうやって開催されないかもしれなかったもの(現在7月21日のコロナ事情も考えれば、何が起きても変じゃなかったわけで。)を2年の延期を経て、感じることが出来たこと!そこで受けたもの、突きつけられたものを胸に生きていこうと。あまりにもいろんなことが起きすぎる世界だけど、過ぎていく日々を踏みしめて私は行くのだ。



 気づいたこととか余談とかいろいろ


 小沢さんの白髪に驚き、最初に頭をよぎったのはトキ(北斗の拳)でした。って叔父さんより先にトキって…。

 魔法的電子回路、買ったときは繋がらないようにしてあるプラスチックのやつに気づかなくて、「あれ、点かない…」って独り焦ってたこと。物販後、熱田神宮に行ってたときも、スイッチオンにしたままにして、いつか点くんじゃないかとか思ってた。けどもちろん点かず。仕方がなく(もう誰かに話しかけるのが億劫なのだ。)会場に戻ったときに物販前にいたスタッフさんに聞いて、抜くのを教えてもらって安心したこと。その後すぐに噂のK.OZAWAステッカーをもらったこと。

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(「鎌倉殿の13人」好きとしては行かずにはいられなかった熱田神宮近くの洋ちゃん、もとい源頼朝生誕地。)

 メンバーの衣装が素敵。勝手にアフリカっぽいとか思ったのだけど、どうなんでしょうか。闇の中光るのも、なんだかわーってなるし。電子回路の灯りと合わせて。アンコール時にポロシャツの胸のオザケンが光ってたのもなんか楽しかった。



 皆さんが思わず出してしまった歓声とかに敏感になってしまう。はやくみんなで歌える日が来てほしいと心から願いつつ。

 春空虹と飛ばせ湾岸はともに初日に行ったから気にしてなかったのだけど、どうやってネタバレを回避するのか。最初は小沢関連の方々をミュートしようかと思ったのだけど、いっそのこととTwitterを完全に見ないようにした。グッズのため、インスタで#オザケンルークはちらりと見てたけど。それで無事ネタバレ回避成功したり。しかも、Twitter見ないことで、情報は入らないけど精神的にはよかった気がした笑。

 あんなに素晴らしかった高い塔について、何にも書いてないことに気づく。なんかゾーンに入ったように、一番好きな「生きることはいつの月日も難しくて」のところとか「行こう!」のとことか、ちゃんと覚えてない。でもめちゃめちゃよかったの。そして#生活に帰れないスペースでも話されてたけど、高い塔ガチ勢と高い塔休憩勢の差が激しかった気がする。

(脱線も小ネタも本気で楽しい#生活に帰れないスペース。)

https://note.com/kiriyama127/n/n4459b86dc1ff

 (こちらはコンパクトに素敵な対談を。考察というか気づいてなかったことにいろいろ気づかせてくれました。)

 ドアノック(ってドアノックであってるよね?)、イントロがはじまったときに、ふわっと「そうだね、歌えないんだもの、ドアノックダンスやらずには終われないよね。」って思った瞬間にぼく旅に変わったこと笑。ってそう、ぼく旅のオリジナル(まぁポール・サイモンだけど笑)の間奏がこのファンク協奏曲で聴けたことの喜び。

  全くなんの関係もないのだけど、大好きな劇団ヨーロッパ企画の上田さんが「魔法的」ってつぶやいてたから思わず。でも、前回公演のパンフレットに載っていたアンケートで、劇団員の石田剛太さんが好きな曲に「指さえも」を選んでいて、しかも、とっておきの一冊に「三島由紀夫レター教室」を選んでいたことに、こっそりと胸を高ぶらせたのです(←このことをずっと言いたかったのね笑)。とはいえ、小沢ファンとヨーロッパ企画ファンはあまりに繋がりがなさそうだ。

 ならばロロはどうだ、と笑。
 7月31日までロロの公演「グッド・モーニング」(いつだって可笑しいほど誰もが愛し愛されて第三高等学校シリーズ vol.6)が見れるのです。今回は特に小沢大フィーチャーです。3年前静岡のストレンジシードで見て、最高だったのです。

 余談がどこまでも行ってしまいそうなのでここらへんで終わりましょう。逆にここまで読んでくれている人がいたら本当にありがとうございます。ほんとBIG DAです。

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