タイパもいいけどデプスオブタイム(深さ)もね

タイムパフォーマンス、タイパ、最近よく聞かれる言葉。
テレビ番組は、倍速や10秒送りを多用し視聴。
音楽は、前奏を飛ばしてサビを聞く。
Youtubeの長い時間の動画ではなく、TikTokの15秒動画。
最近の若者のコンテンツの楽しみ方。
あるいは、話の長い友達や、話の合わない知人との交流を「タイパが悪い」ということもあるとかないとか。
より、時間を自分の使いたいことに効率的に、という考え。
確かに、他人に振り回されて時間を消費してしまうより良いかもしれない。

時間の効率性を考える前に、今回は、時について考えてみたい。
ギリシアでは、「時間」を表す「クロノス」(クロックの語源)と
「時」を表す、「カイロス」という2つの言葉があるという。

クロノスは時計ではかれる、量的な時。過ぎ行く「時間」。
かたや、カイロスは、時の深さ。忘れることのないかけがえのない時を過ごした時、その「時」は深さを持つのだと思う。

例えば、私で言えば、
学生時代に私が一人暮らしをして風邪をひき、はるばる母が看病に来てくれた、その時
父親が亡くなる直前に「ありがとう」と言ってくれた、その時
娘が七五三を迎え、私は喜んで写真を撮っていた、その瞬間
それぞれの「時」は私の心の中に克明に刻まれ、私は瞬時にその時に戻ることができる。

タイパが表す、時間のパフォーマンスも重要かもしれないが、
そうした、時の深さもまた 大切なものに思える。

自身の過去を振り返り、かけがえのない大切な「時」があったことを思い出すと、あることに気づく。

それは、今過行くこの一瞬一瞬の「時間」も、かけがえのない「時」になったかもしれないという可能性。

今日生きた一日は、「過ぎ行く時間」だったか「かけがえのない時」が含まれていただろうか。

私たちが湯水のように消費している「時間」を、どうしたら「かけがえのない時」として味わうことができるのか。

そう思いをはせた時、私たちの時間の密度、一日の密度が、大きく変わるのかもしれない。

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