北京五輪女子フィギュアSP坂本花織の滑り今こそ頭角を表した表情の女神

フィギュアスケートが好きだ。
その滑りに本人さえも気づいていないようなその人の本質的な輝きや魂の叫びが表現されていると、涙が出そうになる。これまで、私の中でその最たるものは浅田真央だったのだが、今回のオリンピックの滑りを見て、そういうことを感じさせてくれる選手がまた出てきていることに、ちょっと感動している。

これから書くことは私だけが感じている勝手な思い込みが暴走しているだけかもしれないが、そう感じちゃったのだからしょうがない。

今夜行われた坂本花織のショートプログラム。本人もその出来に感激して涙していたが、今夜の彼女の滑りは世界に祝福されていた。金色っぽい衣装から本当に金の粉を振り撒いているかのように輝いていた。技術的にも振りの繊細さもワリエワらロシア勢に及ばないのに、その滑りは最終滑走を飾るにふさわしいオーラを湛えていた。

ワリエワが儚い妖精なら、坂本はパワフルな大地の女神だ。坂本自身もスタッフも彼女のそんな資質をよくわかって、曲を選び、振り付けをしてるところに感動する。
今回のショートプログラムの曲は、よくぞ坂本のためにこの曲選んだなって感心させられる選曲だった。なんの曲か知らなかったので調べてみたら、映画「グラディエーター」からの「Now we are free」という曲だった。「ついに自由に!」である。

今日も30人からの選手が滑ったが、その選手の本質を捉え、それに合った選曲と振り付けをしている幸せなパターンはそんなに多くはない。みな美しく滑るが、それは表面的に美しいだけで、心を揺さぶる滑りになることは稀だ。選手本人が魂の奥に秘めた何かと曲や振り付けがシンクロした時に初めて感動が呼び起こされる。

かつて、浅田真央とラフマニノフはそういう組み合わせだった。
そして、今回、坂本花織が滑った、古代ローマの映画の曲やフリーで使われる世界崩壊後の人類最後の生存者の物語を描いたSF映画の曲は、浅田にとってのラフマニノフのような、彼女の本質を炙り出すことのできる曲のように思えるのだ。

ラフマニノフによって炙り出された浅田の滑りには近代の葛藤の中で苦しみながら成長する人間の魂の叫びを感じたが、体格的にも豊満でパワフルな坂本の滑りは、世界が終わってもそこに再び命が芽吹く大地の強さと、再び新しい世界が始まる喜びを感じさせる。だから、古代世界や世界崩壊後の未来を生き延びる人々の音楽が似合うのだ。

妄想っぽい言い方をすれば、今日の坂本の滑りは、コロナ後の世界に大地の恵みの喜びと生命の歓喜をもたらす滑りだった。

どんどんバーチャルに移行している世界で、殺伐とした未来を想像して陰鬱となっている私たちに、未来世界でも命の輝きと大地の豊かさは変わらないことを教えてくれるような滑り。

やっと頭角を現した坂本花織は、今だからこそ、出るべくして出てきたのかもしれないと、今夜の滑りを見て思ったのでした。

ただいまお手上げ状態脱出画策中。経済、乳がん、住宅ローン、とりあえず、お金を稼いでゆったり暮らせる状態を作るのが目標。乳がんは特に症状はなく、金欠だし、標準治療してないのですが元気です。