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人の心で沈みゆくニッポン

昨日よりTwitterの投票機能を使ってこんなアンケートをとってみました。

東京は感染者数200人越えから2週間経ちましたが、ここ1ヶ月で死者は90代の方2名です。感染者が増えれば死者も増える!経済より感染症!という方は、実績としていつまで死者が増えなければ、経済に振り戻していただけるのでしょうか?(もちろん最低限の感染症対策はする前提です)

東京は感染者数は増えているものの、死者数はこの1ヶ月、7/15と7/20に1人ずつ、計2人しか亡くなっていません。今後、死者がゼロになるかどうかは分かりませんが、かなり抑えられているということが数字的には現れています。

ただ、この数字をもってしても、「重篤者や死者は後から出て来るもの」という意見も根強いので、であれば、いつまで死者が増えなければ「感染者が増えても死なない病気である」という認識になるのか?という経過観察期間を問うアンケートを取ってみたわけです。

結果はこちら

大体予想通りです。
Twitter上でアンケートを取れば、60%前後が4つめの「それ以上」に投票しそうだなと思っていました。そして、この意識だとコロナではなく、人の心で日本は終わりそうです。

基準なき恐れ

このアンケートで重要なのは4の「それ以外」を選ぶか選ばないかです。1~3の選択肢はどれを選んでも大差ありません。

1~3を選んだ方は、「一定の基準を持って物事を考えている人」です。

日本で「コロナ怖し」の雰囲気が広まったのは、志村けんさんや、岡江久美子さんが亡くなったことがキッカケになっているように思います。ではこのお二人は発症後どのくらいで亡くなられたのでしょうか?

志村けんさん   発症:3/17 死亡:3/29 発症から:12日
岡江久美子さん  発症:4/3 死亡:4/23 発症から:20日

アンケートの期間を「200人越えから3週間~5週間」としたのは、岡江さんの発症から亡くなられた期間を参考に、少し長めに設定しました。

1~3を選択した方は最長5週間、死者が増えなければ「それは死亡リスクの低い感染症であると認識しても良いのではないか?」と考えたのかと思います。もしかしたら、発症から死に至るまでの期間をある程度知識として知っていた方もいるかもしれません。

一方、「それ以上」を選んだ方はどうなのでしょうか?

「5週間では短い、もっと期間を要する」と考えている方もいるかもしれません。しかし、それは何を根拠にしていて、具体的にどのくらい経過観察すれば納得するのでしょうか?この考えの方は、「自分の中に基準の無い人」で、恐らく、いくら期間を提示しても納得せず「もっともっと」と言うでしょう。定量的な基準を持たず「漠然とした不安」で拒絶している方です。

そして、最も多い考えは「いま死者が出なくてもいつ強毒に変異するかわからない」「ワクチンや特効薬が出来るまで無理」という考えではないかなと予想していますが、この考えが一番危険で、そして矛盾していると思っています。

まず「ワクチンが出来るまで」という基準は、今回の質問の趣旨に対して目標の設定が間違っています。

今回のアンケートは「感染者数が増える中で、どれだけの期間人が死ななければ安全と考えるか?」という趣旨です。これに対して「ワクチンが無いと」と答えるのは、「ウィルスのリスクは考慮せず、とにかくワクチンが必要」という考えであり、とても盲目的な考え方です。

極端な話をすれば、このウィルスによる死者が1年、2年とゼロで推移しても「ワクチンが必要」と言い続けるのではないでしょうか?

ここに「変異するかもしれない」という可能性を訴える方もいるかもしれません。これは「ワクチンが必要」という主張と若干噛み合っていなくて、「ウィルスの変異を考えると、ワクチンの開発がどんどん難しくなる」という考え方が欠落してしまっています。インフルエンザも毎年「今回のインフルエンザにもワクチン効きそう」みたいな話が出るように、型が変わればワクチンも薬も変異前のものが通用するかはわからないのです。故に、変異の可能性を考えるのであれば「ワクチンが出来るまで」という考え方は噛み合いませんし、逆もまた然りです。そして「可能性」は「変異しない可能性」も勿論あって、ひとくくりに「可能性を悪い方向ばかり訴える」のも明らかに偏った考え方です。

ワクチンについて更に言うなら、ワクチンや対処薬のあるインフルエンザでさえ、年間3000人の方が亡くなっています。新型コロナはワクチンも対処薬もない状態であっても1000人程の死亡者数です。「ワクチンが無いからインフルエンザより怖い」という方もいますが、どこを切り取って「怖い」のでしょうか?むしろ、「ワクチンも治療薬もあるのに年間3000人以上(今のコロナの3倍)死ぬ」インフルエンザの方が怖くないですか?

こうやってインフルエンザを例に挙げると「インフルエンザは関係ない」「インフルエンザは別物」という意見も聞きますが、インフルエンザがどういう性質のものかとかそういう事を言っているわけではありません。単純に数字(死者数)の対比です。「リスクをどこまで許容するか?」という判断をするにあたって分かりやすく比較しているだけです。

数字に必要以上に意味を持たせてはいけない

次に出て来る話は「死ぬ人が少ないから良いって話ではない」「身近な人が死んでも同じことが言えるのか」という内容です。

逆に「身近な人がコロナで死んでも同じことが言えるのか」と言う方は、コロナ禍で経営が上手く行かなくなり、借金を抱えて死んだ人が身近にいた場合、それを「仕方なかった」と言えるのでしょうか?死なないまでも、突然明日「会社が潰れそうだからクビ」と言われて「仕方ない」と思えるのでしょうか?

私は今の状況であれば前者(コロナで死ぬ)は「仕方ない(誰のせいでもない)」と言えますが、後者(経済で死ぬ)は「仕方ない(誰のせいでもない)とは言えない」です。

何故かといえば、数字は「コロナは死なない病気になっている」ということを現時点で示しているからです。要は、数字だけ見れば「リスクが低い」のです。逆に、観光業が97.6%の売り上げ減などという数字が既に出てくるほど、このままだと経済で死ぬリスクは高いのです。

もちろん、病気自体は恨むかもしれません。「なんで身内を連れていくのか」と。でも、これは癌で死んでも、脳卒中で死んでも同じことを私は思うと思います。

現時点で死ぬリスクは低いと数字で出ていますので、もしコロナで身内が死んでも「仕方がない(誰のせいでもない)」です。一方「経済で死ぬ」ことは、現時点で数字上リスクが高いにも関わらず、リスクの低い感染症を恐れる人たちによって改善されずに見殺しにされた……と感じてしまうでしょう。「仕方ない(誰のせいでもない)とは言えない」のです。

こう書くと次に言われるのは「志村けんさんの(コロナで死んだ人の)家族にそんなことが言えるのか?」という話です。これを言う方は「コロナで経済苦に陥って自殺したとんかつ屋のご家族に"あなたの夫は死んでも仕方なかった"と言えるのか?」と私は問いたいです。

こういった感情論を持ち出すのは非常に悪手です。何も解決しません。

死亡者数はあくまでリスクを正しく判断するための「数字」であり、それが「誰か」ではありません。
何人亡くなったのか?ということから目を背けても仕方ないので、死亡者数は「数字」そして「事実」として検証しなければなりません。それ以上の意味を「ストーリー」を持たせたら話がおかしくなるのです。

最初の「発症まで何週間経過観察するか」といった問いもそうですが、死亡者数、発症からの日数、感染者数との相関など、数字を客観的事実として捉えて冷静に向き合って判断をしなければ、何も解決はしないのです。

目的は何か?

大体からして、新型コロナを抑え込む目的はなんなのでしょうか?

アンケート然り、昨今の反応を見る限り、「新型コロナを抑え込む(感染者を出さない)こと自体が目的」になっていないでしょうか?

でもこれ違うでしょう?
みんな「死なないこと」が目的じゃないんですか?

感染者を抑えることは「手段」であって「目的」ではない。目的は「死なないこと」であれば、なんで死者数を基準に物事を考えないのでしょうか?

新型コロナでの感染で死者が出ていなくても、「これから~かもしれない」「今後~可能性がある」というばかり。確かに可能性はあるかもしれませんが、「可能性がないものなんてこの世にはない」です。盲目的に信じるその「可能性」はどれだけの割合(数値)なのでしょうか?

その%を把握していますか?
1%でしょうか?10%でしょうか?
だとしたら残りの99%、90%は何なのでしょうか?

たとえば、降水確率10%でどれだけの人が傘を持ち、レインコートを着て、レインブーツも履いて、家の周りに土嚢を積んで……なんて最大限の防雨対策をするのでしょうか?

正直、新型コロナがこれから猛威を振るう「可能性」というものが数値化されているのは見たことはありませんし、そもそも出せないと思います。
であれば、見える数字で判断するしかないのではないでしょうか?なぜそれをしないのでしょうか?何を基準に「怖い」という判断をしているのでしょうか?

目的がブレていて、自分の中に基準を明確にできていないから不要な恐怖心から逃れられなくなるのかと思います。そして、これは「未知のウィルス」なのですから、「既知」になった部分から、その特性や対策など比較的短期間でアップデートされます。いつまでも志村けんさんが死んだときと同じ状況ではないのです。

最近は後遺症の話なども出ていますが、どのような疾患でも後遺症は一定数出るのは当たり前です。具体的にどのくらいの割合でどれほど重度の後遺症が出るなど、結局詳細は出てきません。海外の事例を語って恐怖心を煽っているだけです。

私たち(日本国民)は4ヶ月ほど新型コロナに向き合ってきました。でも、未だに4ヶ月前と同じ認識の方が本当に多いと感じます。この4ヶ月で見えた「数字」が「最新」なのです。これを無視するということは、この4ヶ月の経験を無意味にする」ということです。それはとても勿体ないことではないでしょうか?

本当の恐怖は何か?

日本総研からこんな資料と提言がされています。

今漠然と「怖い」と思っている方、「コロナより経済とかバカげている」と感じてしまっている方はぜひ、読んで欲しいと思います。

誤解して欲しくないのは、私も含めて「経済を回して欲しい」と言う方々は、決してコロナを軽視しているわけではないということです。

「コロナはどうでもいい(軽視してもよい)」と思っている方はそうそういないと思います。前述した「雨」の例で言えば、「傘は持って家を出るけど、レインコートやレインブーツまではいらないのではないですか?」とみなさん仰っているのではないでしょうか?

高齢者の重篤化は確かに怖いかもしれません。ならば、ご家庭に高齢者が居る方は家に入る前に手洗いうがいを徹底してもらえませんか?ご高齢者の外出に気を付けるように働きかけませんか?まずはそこから。自分ではなく他人に「もっともっと」を求めれば反発も起きますし、経済も死にます。

経済の死は、たとえ今は他人事でも、いつしかかならず他人事ではなくなります。壊死した経済は周囲を巻き込み拡大します。たとえコロナ禍が終わったとしても、そこからすぐにV字回復はしません。

「人が死ななければ経済はいつでも復興できる」なんて言われる方もいますが、このままいけば、だれも経験したことのないほど大きな「経済の死」がやってきます。それは既に「数字」が物語っています。その復興にどれだけの月日を必要とするでしょうか?失った人と同じ人が同じレベルで取り戻せるでしょうか?もちろんこれも「可能性」と言われればそれまでですが、正直、私はそんなに簡単なことではないと思います。

小さいお子様が心配と考えているお母さま。大丈夫です。29歳以下で亡くなった方は日本ではゼロです。死にません。もちろんこれも「可能性」と言ってしまえばリスクは拭えませんが、前述したように「可能性ゼロ」なんてものはこの世には存在しません。故に「リスクゼロ」もありません。ただ、数字を見る限りでは、死なない可能性が死ぬ可能性を上回ることは現時点でありえないでしょう。公表されているデータを確認して、正しく判断して、正しく恐れて貰えると嬉しいです。

「田舎は感染したら村八分」、「店舗は感染者出したら閉店の危機」という言葉も聞きます。本当に悲しいことです。でもこれに関しては、新型コロナが悪いわけでも、感染を広めた人が悪いわけでもありません。感染症に対する差別意識がそもそもの要因です。「俺はコロナだ!」と言って感染していることを自覚しながら撒き散らす方は論外ですが、そうではなく、普通に生活している範囲で誰かに感染させてしまったからと言って責めないで欲しい。周囲で感染した方が出たからと言ってその方を責めないで欲しいのです。

他人に何かを求めるのではなく、攻撃するのではなく、感染対策も含め「他人任せではなく」「自分で調べ、しっかりと基準を据えて、考えて」「自分で出来ること」を粛々と行うことが大切だと思います。

そういう世界になることを切に願います。

考え方は色々あるかと思いますが、ここに書いたような内容を見て「コロナで死ぬことに対して他人事で語っている」と感じている方こそ、「経済」そして「経済で死ぬ人が居ること」に対して他人事のように臨んでいるということに気付いていただければ嬉しいです。

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