第14話 披露宴とバーベキュー|2017年5月
「そんなふてくされた顔やめて、もっとおめでたい顔をしなさいよ」
母に言われて初めて幸彦は、自分が仏頂面をしていることに気がついた。ふてくされていたつもりはなかったが、少なくとも、笑いと拍手で包まれているこの会場にふさわしくない表情だった。
「まあ、しょうがないわね。あんた、果穂のこと好きだったんでしょう? めでたくないわよね」
からかうように言って笑う母は、ずいぶん酒が回っているようだった。酔っ払いの戯言だと思いつつも、幸彦はむきになって言い返した。
「別にそんなんじゃないし。ただ、相手の男が気に入らないだけ」
「室田さん、いい男だもんね」
と、母がしみじみと言った。
「あれは幸彦じゃ敵わないな」
と、父も口を挟んだ。
幸彦は、本当にふてくされてテーブルの上のワインを飲んだ。ワインは酸っぱいような渋いような変な味がした。上等なワインらしいが、甘いお酒とビールしか飲んだことがない幸彦には、そのよさがわからなかった。
「本当、いい人が見つかってよかったわ」
母が目頭をハンカチで拭いながら言った。この会場で果穂の結婚を一番喜んでいるのは、間違いなく彼女だった。
司会が紹介した新郎新婦のプロフィールは、誰が聞いてもお似合いのカップルだった。室田と果穂は日本でもっとも優秀な大学の先輩と後輩だったし、新婦は会社員をやめて自分の店を開いたリフレクソロジストで、新郎はカメラマンとして世界を駆け回った経験のある会社員だ。さんざん自分を振り回しておいて、おさまるべきところにおさまった。そういう感じが、幸彦には何だか納得がいかなかった。
披露宴は順調に進んでいき、花嫁と花婿は幸せいっぱいの顔で微笑んでいたが、幸彦はそれをテレビ越しに眺めているような気がしていた。すべての出来事が遠かった。親戚として出席している幸彦の席は一番後ろの隅っこだったし、披露宴に出席するのも初めてだったから勝手もわからなかったということもある。ウェディングドレスを着ている果穂はきれいだった。知らない女の人のようだった。白いタキシードを着ている室田も別人だった。誰だよ、と登場した瞬間に幸彦は心の中でつっこんだが、だんだん見慣れてくると、あの傍若無人なカメラマンのほうが別人だったのかもしれないという気がした。
似合わないスーツを着て、分不相応の高級な料理を食べながら、早くこの場が終わればいいと幸彦は願っていた。
桜が咲いた。幸彦は大学四年生になった。真新しいリクルートスーツを着てうろうろする日々が始まった。うろうろしているだけでは内定は取れないことはわかっているのだが、自分が何をやりたいのかも、そもそも会社員になりたいのかどうかもわからないせいで、就活のノリに乗ることができない。間違った舞台に上がって、劇にない役をやっているような気がした。いつもならこういうときは果穂に話を聞いてもらうところだったが、人妻になった果穂に遠慮して連絡できなかった。
春になったら花見をしようと言っていた佐々木から連絡が来たのは、五月の半ば過ぎだった。幸彦たちは、すっかり花が散って、青々とした新緑が茂る桜の木の下に集合した。
「『花だった見会』って何? そんな残念な名前をつけなくても、普通にバーベキューでいいのに」
と、甲本さんが言った。まだバーベキューの火も起きていないのに、すでに缶ビールを二本空けている。ペースが早い。準備をしている佐々木や幸彦を手伝おうともしないで、文句を言っている。やさぐれている、という言葉がぴったりだった。こんな甲本さんは初めてだった。何かつらいことでもあったのだろう、と察したふたりは甲本さんの自由にさせていた。
一方、佐々木の方は生き生きと準備をしていた。ずいぶん手際がいい。春の新入生歓迎イベントで花見バーべキューをしてコツをつかんだらしい。このバーベキューセットもサークルの備品を勝手に持ちだしてきたものだった。
「よし、火がついた。さあ、好きなもの並べていいぞ」
佐々木が言い、甲本さんが肉! 肉! と肉コールをするばかりで動かないので、幸彦がせっせと肉を並べた。
「これも食べて。世界一周船旅のお土産だから」
佐々木にすごい匂いの缶詰を薦められ、幸彦は食べてみる。黒っぽい肉でしょっぱかった。缶の表示を見るが、何語で書いてあるのかわからない。
「何の肉?」
「忘れた。なんか旅したの、もう遠い昔みたいな気がする」
「どうだったんだ? 旅は」
「うーん、そうだなあ……」
そう言うと佐々木は腕組みをして考えこんだ。まずいことを聞いたかもしれない、と幸彦は思った。佐々木が突然、世界一周の船旅ツアーに出発したのは去年の夏休みのことだった。佐々木のことだから、帰ってくるなり呼び出して旅の感動を力説すると思っていたのに、別の用事で会っても旅について触れることはなかった。つまり、あまりよい思い出ではなかったのかもしれない。
「なんていうか。どこ行ってもお客さんだったなあ」
「観光客なんだから当たり前じゃない」
すかさず甲本さんが突っ込んだ。やさぐれているのに、ちゃんと会話を聞いている。
「いや、船の中でも何だか居場所がなかったんだ」
「佐々木が……?」
ずうずうしくて明るくて、どこにでも入り込めそうな佐々木がそんなことを言うなんて、幸彦には意外だった。
「こんなふうに一生お客さんでいるのは嫌だと思ったんだよなあ。自分の居場所を作ってもらえる人にならなくてはって」
「居場所? どこに?」
「誰かの心の中に」
幸彦は首を傾げた。佐々木の話の展開が見えない。
「いろんな場所で地に足つけて生活している人たちを見て、俺は何にももってないと気づいたんだ。何にももってないと思うのがつらくて、手っ取り早く何かになれる方法を探していたのかもしれない。でも、そういうわけにはいかないってことは、わかった。もってないなら、もてるようにならなくちゃいけないと思った」
「へえ。わたしも行ってみようかな、その旅」
甲本さんが言った。真面目な顔だ。冗談ではないらしい。
幸彦も密かに感動していた。ずっと抱えていたもやもやした思いを佐々木に言葉にしてもらった気がした。自由に生き、大企業に就職して意中の相手と結婚した室田を見ていると、幸彦は自分が何ももっていないことを思い知らされる。就活で生き生きとアピールしている学生を見ると、やっぱり同じ思いがする。自分が悩んでいたのは、何ももっていないつらさ、だったのだと思った。
佐々木の美徳は自分の気持ちに正直なことだ。そしてそれを行動にも言葉にも正直に表す。好きなものは好きだといい、嫌なものは嫌だと言う。それは、幸彦にはできないことだった。正直になるためには勇気がいる。きっと佐々木は勇敢なのだ。
本人に伝えてみようかと幸彦は思った。が、佐々木と甲本さんの間で話題は別のものに変わっていて、タイミングを完全に逸していた。
「ああ、わたしも恋がしたーい」
甲本さんが叫んだ。いつも彼氏がいる甲本さんが、なぜそんなことを言うのか、男たちふたりにはよくわかっていた。誰とつきあっても、甲本さんは恋をされるばかりで、自分は恋をしていないのだ。
やさぐれているのもこのことと関係があるのだろうか。恋に関しては何のアドバイスもできないふたりは黙ってビールを飲んだ。
甲本さんは、幸彦に向き直ると、
「ちょっと、幸くん、わたしをときめかせてごらんなさいよ」
と、変な絡み方をしてきた。困って佐々木を見るが、佐々木は助けてくれそうにない。仕方なく、幸彦はやけくそになって、
「甲本さんは可愛いよ」
と、言ってみた。
「どのへんが?」
幸彦は考えこんだ。顔という答えではあまりにも即物的である。だが、性格は可愛いとは言えない。
「……雰囲気……かな?」
甲本さんがぷっとふきだした。
「そんなんじゃ、誰もときめかないよ。さすが幸くん。最高」
と言いつつ楽しそうに笑っている。
「俺、お前のそういうところ大好き」
佐々木がグッジョブと言いながら幸彦の肩をたたいた。幸彦は口をとがらせた。本気で考えたセリフだったのに、ふたりにそれでは絶対に口説けないと太鼓判を押されてしまったからだ。
「肉! 肉!」
甲本さんの肉コールが始まって、佐々木が下男のようにせっせと肉を並べていく。空は青かった。花見のシーズンには人でいっぱいだったこの場所も、今は他に誰もいなかった。緑の葉を見上げながら、幸彦はひさしぶりに自分の居場所にいるという感じがした。
(つづく)
初出:日本リフレクソロジスト認定機構会報誌「Holos」2017年5月
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