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あきらめないと、先に進めないことがある

年を取るとどんどんあきらめるのが下手になる。知恵がついて、ずるくなって、望みの形や解釈を変えて、見て見ぬふりして、ずるずる延命するからだ。本当はとっくにかなう可能性がゼロになっているのに、まだ可能性はあるなんて思ったりする。

年をとって似合わなくなったワンピースとか。サイズだけの問題じゃないのに、痩せたら着れるかもしれないって、とっておいたり。痩せもしないし、きっと痩せても着ないのに。

「もしかしたら、小説家をあきらめるかどうかを決める転機に来ているのかもしれないですよ」と、ある人にアドバイスをもらって、その衝撃的な言葉に激しく動揺した。あきらめろと言われたわけじゃない。あきらめるかあきらめないかを決めるタイミングだと言われているのだから、「あきらめない」と思えばいいだけなのに、目の前が真っ白になるくらいにドキドキした。あきらめるかどうか、なんて、今まで考えたこともなかったからだと思った。

ショック療法というか、とたんにずっと進めなかった未来の靄が晴れていった気がした。小説家を、あきらめるかどうか考えてみることで、冷静に見えてくることがあった。もっと細かく見ていけば、わたしは小説家に関して、あきらめるべきことがたくさんあった。

「若くしてデビューして活躍する小説家」。「デビュー作がヒットしてベストセラーになる小説家」。「人気女子向け官能小説家」。「依頼の途切れない小説家」。「書きたいことがあふれ出て放っておいても次々書いてしまう小説家」。「月に1冊の長編を書ける小説家」。「文学性や芸術性が高い小説を書く小説家」。「文芸誌に掲載されたり文学賞の審査員をするような王道の小説家」。

これらはかなえられていないし、今後も、冷静になって考えれば、かなえられる可能性がないものたちだ。それなのにやせたら着れるようになるかもしれないと思って、いつまでもクローゼットにしまいこんでいる。きっと努力してサイズ的に着ることができるようになっても、似合わなくて、気に入らないだろう。他にもっと似合う人たちの影でうじうじしてしまうだろう。

ずっと今とは違う小説家になりたくて、でも何かがわからなくて、今までやってきたことともつながらなくて、うろうろしていた。何を書きたいのかと言われても、答えられなかった。クローゼットにくしゃくしゃになってしまいこんでいたものを、全部あきらめて、捨てようと思った。そうして、今気に入って着ている、小説家+ライターという自分の立ち位置を、もうちょっと楽しんで進めてみて、これまでにあまりいない小説家になろうと思った。

分裂していた気持ちがひとつにまとまってすっきりした。このままでいいんだ。この調子で、この先へいけば。

〈本日の小説活動〉
自分に合っていないのにいつまでも大事に抱えていた小説家のイメージたちをあきらめて、自分に合ったものを伸ばせるようにした。




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