【短編小説】土のうつわ-3

 わたしにうつわを作ることを教えたのは、瑞穂の十一人目の恋人だ。
 瑞穂は男が変わるたびに、引越しをした。相手の家に転がり込むこともあったし、男と一緒に新しい部屋を借りることもあったが、未成年だったわたしは、母親である瑞穂の付属品として、一緒に引っ越さなくてはいけなかった。そのせいで、わたしは転校ばかりしていた。
 十一人目の恋人の家は、都会からずいぶん離れた山奥にあった。引っ越しの日、わたしたちは、瑞穂の運転する車で山道を登った。夜だった。ヘッドライトの照らす光が狭い道路を照らし出し、瑞穂は危なっかしいハンドルさばきで、その道をなぞっていった。
 これが瑞穂につきあう最後の引っ越しだ、と、わたしは思っていた。そのときわたしは中学三年生で、推薦入試で、入る高校ももう決まっていた。寮のある高校だった。もう瑞穂に人生を振り回されるのはたくさんだと思ったから、家を出る方法を必死で考え、自力で勝ち取ったのだ。
 最後だからどこへでも連れて行けばいい、と、投げやりな気分で暗い道を見つめていたわたしは、車が止まった場所を見て少し慌てた。建物や人の気配がない、まったくの暗闇だった。もしかして瑞穂は、わたしをひとり、ここに捨てていこうとしているのではないか、という考えが頭をよぎったとき、視界の端にちらちら動く明かりが見えた。カンテラの光だった。どんどん近づいてくる。
「田舎道は暗いだろう。危ないよ。昼間に来ればよかったのに」
 男が持っているカンテラは、まぶしいくらいに強い光であたりを照らした。わたしは、手を目の上にかざして光を遮りながら、男を観察した。無精ひげを生やした細身の男。今までの男たちとは雰囲気が違う。お金も地位もなさそうだ。恐らく瑞穂より若い。
「だって、早く会いたかったから」
 瑞穂は女の声を出した。男がわたしを見て、目が合った。
「陶子、こちらは飯沼さん」
 それ以上の紹介はなかった。でもわたしは、飯沼が瑞穂の新しい恋人で、これからしばらくの間、一緒に暮らすことになる相手なのだということを理解していたから、充分だった。わたしは一応、お辞儀をした。お互い干渉せずにやっていきましょう、という挨拶のつもりだった。
 顔を上げたわたしの肩を抱いて、
「これがわたしの娘。陶子」
 と、瑞穂は続けた。ふたりきりのときには決してやらない、親愛のポーズ。肩に瑞穂の体温が当たるのが心地悪くて、わたしはそっと肩をすぼめる。
「陶子のトウは、陶器の陶よ。あなたにぴったりの名前でしょう?」
 瑞穂は、飯沼に媚びるように笑った。浮かれているのだろう。引っ越しの初日はいつもこうだ。
「ぴったりって?」
 わたしは、瑞穂ではなく飯沼に尋ねた。飯沼は微笑み、
「明日になれば分かる」
 と、言った。低い静かな声だった。飯沼が瑞穂ではなく、わたしに向かってしゃべってくれたことが嬉しかった。明日が来るのが待ち遠しかった。
 その日は、瑞穂と同じ部屋に布団をふたつ並べて寝た。飯沼はどこにいるのか分からなかった。わたしはすぐに眠りに落ちた。
 明るくなってから外を見てみると、車や歩行者が道を行き交っていた。人のいない山奥だと思っていたけれど、民家や段々畑があって、バスも走り、スーパーマーケットもある。
 飯沼の家は、わたしが今まで見たこともないくらい古かった。引き戸も、汲み取り式の便所も、靴が必要な土間も、初めて経験するものばかりだった。
 家の隣には工房があり、大きな窯が据えてあった。それでわたしは自分の名前が飯沼にぴったりだという理由を理解した。どうやって知り合ったのか分からないけれど、瑞穂の十一番目の恋人は陶芸家だった。

 バスで一時間かけて学校から帰ってくると、瑞穂はたいてい仕事に出ていて、飯沼だけがひとり、工房にいた。
 工房から外に続く戸は閉められていたが、わたしのものとしてあてがわれた二階の部屋の窓からは、飯沼の背が見えた。台の上にかがみこみ、一心に何かを作っている。何を作っているのか見たかったけれど、飯沼の体に隠されて手元は見えない。
 ある日、わたしは、戸を少しだけ開けて工房の中を覗いてみた。そこからは、飯沼の横顔が見えた。ろくろの上で土が回転し、長い指に包まれて、塊がするすると上に伸び上がっていく。塔のようにそびえた先端を指で包むとつぼみが開き、次第にうつわらしい形になっていく。昔、理科の授業中に見た、植物の成長記録の高速映像のようだと思った。
 回転が止まって、飯沼が振り返った。気づかれていたことに驚いて、体が震えた。
「おいで」
 と、飯沼は言った。逃げようと思ったのに、その声に抗えなかった。気がつけば吸い寄せられるように飯沼の前に立っていた。
「邪魔だった?」
 わたしの口から出てきた声は、かすれていて低く、怒っているみたいだった。飯沼と面と向かって話すのは初めてで、どんな顔をしていいのか分からなかった。
「邪魔じゃない。陶子がいてもいなくてもこれは失敗した」
 ろくろの上には今つぼみを開いたばかりの花のような、繊細なうつわが載っている。どこが失敗なのか、わたしには分からなかった。
「失敗したのなら、それ欲しい」
「駄目だ」
 飯沼は、あっさりと花をつぶした。彼の手の中で、みるみる土の塊に戻っていく。
「欲しければ、ちゃんと作ったのをやる」
 飯沼は無言で土を練り続ける。わたしは黙って、近くの椅子に腰かけた。見ていても、とがめられなかった。力強く動く飯沼の手のひらや指は、泥に塗れて白かった。バン、と土を作業台に叩きつける音が響く。いつまでもこうしていたかった。学校にいても、ひとりで家にいても感じたことがない穏やかな気持が体の中に満ちていく。
 瑞穂さんがさ、と飯沼は言った。
「おいしくないなら食べなくていいって言ってただろ?」
 ああ、と思って、わたしは視線を足下に落とす。昨夜の話だ。瑞穂はずいぶん機嫌が悪かった。わたしがいつものように夕飯を食べていると突然怒り出し、おいしくないなら食べなくていいと叫んだ。飯沼は何かを言いたそうに、わたしと瑞穂を見ていたが、わたしはダイニングを出て行ったので、そのあとどうなったのか分からない。
 瑞穂は悪くない、と、わたしは飯沼に言いたかった。自分の食べ方がどれだけ人をいらだたせるか、もう分かっていた。しかも、瑞穂は料理を作ることを仕事にしているのだ。わたしは毎日彼女を傷つけている。
「あれ、違うと思うよ、俺は」
 土に体重を載せながら、飯沼は言った。こめかみから汗がしたたって、作業台にぼたぼたと落ちた。
「おいしくてもおいしくなくても食べなきゃいけない」
 飯沼は手を止めて、わたしを見た。
「瑞穂さんは分かってないかもしれないけど、陶子はそれを分かってる」
 わたしは動揺して黙った。まっすぐに向けられた飯沼の目は、わたしを子供ではなくひとりの対等な人間として認めていた。
「作ってみるか?」
 唐突に、飯沼が言った。わたしはうなずいて、明日から、とだけ言うと、急いで工房を出た。
 外に出るとすぐに頬を涙が伝い落ちて、止まらなくなった。これからもわたしは、周りにいる人たちを不快にし、大事な人を傷つけながら、何遍と口を動かし、体に異物を取り込み続けないといけない。その絶望を、飯沼は分かってくれていた。温かいものが胸の中に湧き出て、苦しかった。
 飯沼と暮らしたのは、中学三年生の秋から卒業までの、四か月だけだったが、そのことが、わたしの人生を決めてしまった。

(4につづく)

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。゚(゚´Д`゚)゚。ありがとうございます…!
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京都在住の小説家です。医学(博士)です。理系ライターもやっています。
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