第21話 転職の理由とオレンジジュース

 甲本結季は昔から「みんながやっていること」にうまく乗ることができなかった。多くの人たちが「いい」と思うものに対して、少しも好きだという感情が湧かないからだ。ことごとく多数派から外れてしまう。もしかして、自分はひねくれていて、「みんなに人気」なものはすべて内容に関わらず敬遠しているだけだろうかと疑ったこともある。しかし、流行っていることを知らなくても結果は同じだった。趣味や感性が周りの人たちと違っているらしい。

 
 ドラマに出てくる俳優やファッションの話、流行りのスイーツ、好きな男の子が今日どうしているか……小中高と進んでも女の子グループで持ち上がる話題はあまり変わらなかった。興味のない話題をにこにこして、時には合いの手を入れながら聞いている時間は苦痛だったが、かといって一人離れて別行動するとお互いに居心地の悪い空間を作り出してしまう。いろいろ試した結果、結季は、話題に混ざって楽しんでいるふりをし、少しも敵意を持っていないことを示して、ときどきちょっと気まぐれに見せかけて一人離れて息継ぎの時間を設けるという付き合い術を習得した。

 
 高校を卒業して、もう必要がなくなったと思われたその技術が、社会人になって再び役に立った。結季の会社では、お弁当を持ってきている女性社員が何人かで固まって食堂で一緒に食べる習慣があったからだ。

 話題は高校生のときとあまり変わらない。ドラマやファッションや流行りのスイーツや新しくできたお店、そして、コイバナだ。

「甲本さんは、今の彼と結婚するの?」

 
 彼、と人から呼ばれると不思議な感じがする。幸彦はまごうことなき彼氏であるけれど、「彼」には違和感を覚えてしまう。幸彦は幸彦だ。

「まだ早いでしょう。甲本さんは若いのに。これからもっといい人現れるかもしれないし」

「でも、子どもが欲しいのなら早い方がいいよ? 若いときのほうが体力あるし」

 話題は自分のことなのに、発言しないものだから、置いてけぼりでどんどん盛り上がっている。結婚したいという気持ちも子どもが欲しいという気持ちもさっぱりわからない結季は、そんなふうに思っていることを悟られない笑顔で、みんなの話を聞くともなしに聞いていた。

 その日の帰り道、結季は果穂にメールをした。リフレの予約を入れるためだった。家にたどり着いたころに返信があった。サロンはしばらく休みにすると書いてあって、果穂に何かあったのかと驚いた。が、続きを読むと、病気ではなく妊娠のためだった。ほっとした。

(話を聞いてもらいたかったのにな……)

 と、結季はがっかりしたが、よく見るとメールの最後に「代わりに、ランチしよう」と書いてあった。

 休日に果穂と向かい合ってランチをしているのは、変な気持ちだった。いつもサロンでしか会わないのに……と、そこまで思って結季は、そういえば、海に一緒に行ったことがあると思い出した。どういう流れでそうなったのか忘れたけれど、結季が強引に果穂を海に連れ出したのだ。いや、正確には果穂の車で行ったので、強引に連れていってもらったのだ。

「今日、ごめんね。リフレ休みで」

「いいよ、むしろ、ちゃんと休んでくれてて安心した。果穂さん、無理して働いてそうだから」

 トリートメントをしてもらうよりも話を聞いてもらいたかったから、ちょうどよかったのだが、それは照れくさくて言えなかった。

「本当はぎりぎりまでやりたかったんだけど、お客さんが心配してくれるから。あと、お腹がつっかえて、うまくできなくなったこともあって」

 結季は果穂のお腹を眺めた。風船のように突き出ている。太っているのとは明らかに違う、妊婦独特の体型だ。妊婦になった果穂を前に、結季は何だかどきどきした。結婚というものを受け入れ、妊娠をし、母になるという多くの人が通る過程を受け入れている果穂が、前とは違う人になってしまったようで少しさみしかった。が、もしこんな自分勝手な感傷を口にしてしまったら、結季に自分の考えを押し付けてくる人たちと同類になってしまうから我慢した。

「わたしがこんなふうにお母さんになるの、なんか変な感じだよね」

 と言って、果穂が笑った。結季は唖然として果穂を見た。まるで自分の声が果穂の口を通して漏れ出たみたいだった。

「自分で言う?」

「だって、結季ちゃんが言わないんだもの」

「確かに変な感じなんだけど、別にがっかりしたとかそういうんじゃなくて、変化に追いつけなくて意外というか」

「わかる。わたしも自分で自分が意外だもの。まさかこうなるとは」

 のんきな声で言って笑う果穂を見て、結季はあきれた。

「果穂さんって、賢いのか賢くないのか、ときどきよくわからない」

「たぶん、結構、賢いよ。でもね、わたしが賢く考えた人生って全然つまらないなって身に染みてわかったの。安全なところばかりを選んでしまうから。だから、ときどきぷかぷか流れてくる流氷みたいな変なチャンスに、えいって乗ってみるの。思考を停止して」

 結季は知ってる限りの情報で、果穂の人生を想像してみた。変な流氷に乗って流れていく果穂。その流れていく先で果穂は能力を存分に発揮してサバイバルしてきたのだろう。会うたびにのんきに、でもたくましくなっていく気がした。ちょっとうらやましかった。

「あーあ、転職したいな」

 結季は思わず口に出していた。誰にも言えなかったが、なぜか果穂の前では言えた。リクルートスーツを着て、何か月も歩き回って、ようやく手に入れた就職先だ。まだ二年目で仕事がきついわけでも嫌なわけでもない。ただ退屈なだけだ。

「次はどんなところに転職したいの?」

「お昼をみんなで食べなくていい仕事」

「なるほど、明快でいいね」

「明快? どこが?」

 からかっているわけでもなさそうだ。果穂はにこにこしながらオレンジジュースの氷をかき回している。

「世の中の仕事は二種類に分かれると思うよ。みんなでお昼を食べないといけない仕事と、みんなで食べなくてもいい仕事」

「そんなの初めて聞いた」

「今、思いついたんだもの。わたしの前の仕事は前者かな。毎回一緒ってことはないけど、全体的な雰囲気としてね」

 みんなでお昼を食べなくもいい仕事。結季はその言葉を頭の中で再生しただけで、目の前がぱあっと明るくなった。

「人の目なんか気にせず勝手に抜けてひとりで食べたらいいって、言う人もいるだろうけど、でもそうすると、自分はよくても、他の人たちが居心地悪くなるんだよね。相手も気にしないでくれたらいいのだけど、気にする人に気にするなって言うのも勝手な押しつけだし」

「そう! そうそう!」

 結季は思わず身を乗り出した。果穂の言葉は自分の考えとぴったりと一致していた。ようやくわかってもらえる人が現れて嬉しかった。

「世の中には、自分と違う意見があるっていうことを知っただけで傷つく人間がいるから」

「あっ、それ! そのセリフ、前にもわたしに言った?」

「……言ったことないと思うけど」

 結季と出会ってから今までの出来事を思い返しながら、果穂は答えた。恋愛相談は受けたことがあるが、こんなセリフの出番はない。そのうちに、果穂はあることに思い当たって、結季と同じように、あっと声をあげた。

「このセリフ、受け売りなの。何度も自分の中で繰り返し唱えてたから、まるで自分の言葉みたいになっちゃったけど」

「誰からの受け売り?」

 半分答えを予想しながら、結季はきいた。

「結季ちゃんのお父さん」

 その瞬間、しばらく聞いていない父の声で結季の耳にセリフが響いた。

 中学生のときだっただろうか。いや、小学生のときだ。結季は父に「みんなと話を合わせるのが嫌だ」と嘆いたことがあった。これからは「そんな話には興味がない」とはっきり告げて、一人で行動するという決意を父に伝えた。当時の結季にはこれ以上考えられないほど合理的な結論に思えた。だから父から返ってきた答えは予想外だった。

——世の中には、自分と違う意見があるっていうことを知っただけで傷つく人間がいるんだよ。
 

 そんなことで傷つく人間がいるなんて、結季にはまったく想像ができなかった。しかし、父の言い方には妙な説得力があった。それで、結季は、一人でいたい宣言の決行を延期して、周りを観察してみることにしたのだ。そうすると、確かにみんな、違う意見を言われると傷ついた顔をする。傷ついた人間は相手を無視したり攻撃したりする。結季はクラスメイトを傷つけたいわけでもないし、誰かの怒りの標的になりたいわけでもなかった。なるべく構われずに一人でいたいだけだった。だから、声高に「興味がない」と言うのはやめた。

 忘れていたけれど、結季の現在のスタンスには父の言葉が影響していた。そして、果穂にも。父はいつどんなときに、これを悟ったのだろうか。

「でも時には、傷つけてでも言わないといけないこともあるけどね」

 と、果穂が言った。結季は力強くうなずいた。そして、久々に父に会いたいなと思った。

(つづく)

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京都在住の小説家です。医学(博士)です。理系ライターもやっています。
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