第29話 暇人とブライダルフェア|2022年5月
久しぶりに佐々木から電話がかかってきたと思ったら、第一声が「幸彦、お前、いま暇だよな」だった。質問ではない。確信に満ちた堂々たる断定だった。
「なんでだよ」
幸彦は、むっとして不愛想な声で答えた。ゴールデンウィークに入って、どこからどう見てもまごうことなき暇をもてあましていた幸彦だったが、実態がどうあれ、人を勝手に暇人だと決めつけるのは失礼だ。
「だって、甲本さん、新しいビジネスで連休は全部忙しいって言ってたし」
そのとおりだった。会社を辞めてしばらくぶらぶらしていた結季は、突然、パーソナル旅コンシェルジェなるサービスを思いつき、いろいろ準備して、ひとりでやりはじめたのだ。オンラインで面談して希望を聞き出し、相手のニーズに合った旅を設計する。さらに、旅の当日も、いつでもメールやメッセージアプリでリアルタイムに質問に答える。急な変更にも対応するし、店の予約やタクシーの手配も遠隔で行う。事前にリサーチする時間も省けるし、当日も安心して過ごせるし、口コミでかなり好評なのだという。
当然、そんな職種だから、連休は仕事で忙しくなる。幸彦は放置されている。よって、自分の部屋で暇をもてあましているわけだ。
「果穂さんもリフレで忙しそうだったし。だから、幸彦は暇だと思って」
まるで結季と果穂以外に、幸彦と遊んでくれるのは自分しかいないという言い草だ。だが、間違っていない。
「……てか、なんで、佐々木が結季と果穂の予定、知ってるの?」
「幸彦に電話する前にふたりに予定聞いたから」
「は?」
「勘違いするなよ。別に出し抜いてデートしようって思ったわけじゃないぞ。幸彦は、どうせ予定も空いてるだろうから、最後でいいと思ったんだ」
「ものすごく久しぶりの電話で、山ほど失礼なことを言われてる気がするんだけど」
「何か事実誤認があった?」
「……ない」
「それはよかった。俺の知ってる幸彦のまま、変わってないってことだからな」
佐々木は笑う。
「そっちだって変わってない」
幸彦が言い返すと、佐々木は照れた声で「ありがとう」と言った。幸彦は動揺する。ほめてないのに、そんな反応をされると気持ちが悪い。
「何するの? バーベキュー?」
「男二人でやってもなあ」
佐々木がうなった。確かに、食べるだけ係の結季がいないと、せっせと準備をする張り合いがない。
「ずっと気になってて、ひとりじゃ行きづらい場所があるんだけど、そこに付き合ってもらってもいい? たぶん、幸彦も役に立つと思う」
幸彦は驚いた。佐々木の意外に繊細な面を見たと思った。佐々木がひとりで行きづらいところなんて、想像してみたけれど思いつかなかった。いったいそれはどこなのか、気になる。
「わかった、行く」
敢えて詳細は聞かずに幸彦は承諾した。着いてからのお楽しみにしたかったからだ。
一時間後、幸彦は佐々木と一緒に結婚式場のブライダルフェアの受付にいた。ふかふかのカーペットと、天井の高いお城のような場所で、何が何だかわからないまま、気が付くと受付で必要事項を記入していた。
(確かにこれはひとりでは行きづらいが、ふたりなら誰でもいいわけじゃないだろう?)
隣では佐々木が真剣な顔で受付用紙にペンを走らせている。幸彦は横目で覗き見る。挙式の予定は「まだ決まっていないが一年以内に挙げたい」に力強く〇をつけている。佐々木とは、最近会っていなかった。たまにたわいもないメッセージを交換するだけだ。彼女がいることも知らなったし、結婚を考えているなんて、もっと知らなかった。
彼女と一緒に下見に行けない理由があるのだろう。幸彦はとりあえず納得した。彼女にサプライズしたいのか、下見の下見がしたいのか。佐々木は看護師だから相手の職業によっては予定がなかなか合わないのかもしれない。
佐々木がもうすぐ結婚するのだと知って、幸彦は焦った。自分もいつか結婚して子どもを授かって家族を作るのだろうと漠然と思っている。だけど、まるで他人事だ。高校や大学なら何年で卒業するかが決まっているけれど、結婚のタイミングは自分で決めなくてはいけない。でも、どういう基準でどうやって決めたらいいのか、全然わからなかった。もっといえば、結婚したいのかどうかもわからない。結季とは結婚の話は少しもしていない。登山の最中にプロポーズ未遂をしたが、あれも笑い話として流れていった。
幸彦も真面目に受付用紙を書いた。書き終えると、案内の順番が来るまでソファーに座って待つことになった。
「結婚相手はどんな人?」
幸彦が聞くと「元患者さん」と佐々木は答えた。
「仕事が忙しいらしくて過労で体を壊して入院した子なんだ。入院中に仲良くなった。元気になって退院したけど、またあんな働き方したら体壊しちゃうし、結婚して支えてあげたいなと思って」
「ほほう……」
何だかよい感じだ。ドラマみたいな展開だ。佐々木も嬉しそうに話している。
「子どもも欲しいから早めに結婚したくて。子どもが生まれたら、俺、育休取って子育て担当しようと思ってるんだよね」
幸彦は相槌を打つことしかできない。こんなふうに次々人生を見据えて動いていく佐々木がまぶしかった。佐々木と最後に会ったのがいつだったか忘れたが、そのときには彼女はいないと言っていた。佐々木はそんなことで嘘をつく男ではない。だとしたら、かなりの急展開だ。結婚に至るカップルはそういうものなのだろうか。自分と結季のように、ずっと長くだらだらと続いていて進まないケースは、結局そのまま実らず、自然消滅してしまうのではないだろうか。
「あのさ、つきあってから結婚を決めるまでの期間ってどのくらいだった?」
幸彦は、恐る恐る尋ねた。
「まだつきあってない」
と、佐々木は言った。
大きな声が出そうになったのを無理やり飲み込んで、幸彦は佐々木をにらみつける。佐々木は平然としている。
「なんで、つきあう前から結婚を考えているんだ? しかも超具体的に」
「だって結婚したいのに、結婚を考えられない人とつきあったら、相手に失礼じゃないか」
幸彦は混乱する。何だか佐々木がすごく正論を言っているような気がする。
「だけどさ、俺の一方的な思い込みで進めていくのはよくないだろう?」
「うんうんうん」
幸彦は何度もうなずく。よかった。そこはわかっているんだ、と安心した。
「だから結婚に対する正しい認識をもつために、ブライダルフェアに来たわけ」
(え、待って?)
幸彦の混乱が最高潮に達したとき、佐々木さま、松本さま、とホテルの人に名前を呼ばれた。はい、と元気よく返事をして佐々木が立ち上がる。幸彦もよろよろと立ち上がる。
(これ以上、佐々木とふたりでいると頭がおかしくなる)
幸彦は佐々木が写りこむように自撮りをして、その写真を結季に送った。
『いま、佐々木とブライダルフェアに来ています』
すぐに既読になって、返信が来た。
『爆笑』
仕事の性質上、パソコンの前を離れられない結季だが、空き時間は結構あるのだ。「今度は結季と行きたい」という文を入力してみて、送信ボタンを押すかどうか迷っていると『しっかりチェックして報告してね』と送られてきた。
(結季もブライダルフェアに興味あるんだ)
幸彦はパーッと明るい気持ちになる。書いていた文章を消して、『任しとけ』と返信する。
にやにやが止まらない。だが、係の人を質問攻めにしている佐々木が目に入って、我に返った。もしかして、「チェックして」というのは式場のことじゃなくて、佐々木のゆかいな挙動のあれこれではないだろうか。
「おふたりともタキシードで式を挙げられる場合が多いのですが、ドレスの用意もございます。御覧になられますか?」
「はい、見せてください」
二人の会話が耳に入って、幸彦はまた混乱する。
(あれ、何か今の会話、おかしくなかったか?)
ドレス室へいざなわれる佐々木のあとを追いかけながら、幸彦はぶんぶんと頭を振った。今はそれどころじゃない。佐々木のことじゃなくて、自分のことを考えるべきだ。
「どう? これ似合う?」
佐々木がウェディングドレスを胸に当てて、幸彦にアピールしている。
(似合わねーよ!)
係の人の手前、心の中だけで突っ込む。ふと、こんなふうにドレスを試着しているのが結季だったらな、と幸彦は思った。その瞬間、決壊が切れたように幸彦の中から何かがあふれ出た。ウェディングドレスを着た結季が自分の隣で笑っている光景が浮かんだら、幸せで涙が出そうになった。
ドレスを元の場所に戻してきた佐々木が、
「幸彦、いいこと教えてやろうか」
と、言った。
「……なんだよ」
「欲しいものは欲しいって口に出して言ったほうが、手に入る確率が上がるぞ」
幸彦はにやにやしている佐々木の顔をにらみつけると、佐々木の目の前で結季へのメッセージを入力した。
『結季と結婚したい』
佐々木を見る。佐々木は厳かにうなずいた。
送信ボタンを押す。
ふたりでスマートフォンの画面を無言で見守る。
結季からの返事はすぐに来た。
『いいよ』
息が止まりそうだった。幸彦は目を見開いて佐々木を見る。
「やったじゃん」
佐々木に言われて、じわじわと喜びが湧いてきた。
「やった……!」
幸彦は佐々木に抱きついた。
「ほんと、手がかかるよなあ、お前ら。ある意味似た者同士だもんな」
と、佐々木はつぶやいたが、その言葉は浮かれている幸彦の耳には入らなかった。
(つづく)
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