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食べること①

お箸の話をしていて思い出した事。

ギランバレー症候群になってから、
ずっと食事が一番憂鬱な時間だった。

今でも実は一番疲れる。
食べるのは体力を使うし、
準備も片付けもある。

特に治療を行う急性期病院での食事は
今でも胸が締め付けられる位
辛い思い出しかない。

最初は鼻から管を通して、
胃に直接栄養補給をしていた。
傍らに下げられた袋の中身が、
少しずつ少しずつ、
体内に入っていくのを見ていた。

お腹は全く空かないというか、感じなかったし、
栄養を摂る事よりも、終わってもしばらく
上体を起こされている方が辛かった。

ずっとくらくらしているし、
血の気が引く感覚が気持ち悪くて
とにかく早く寝たいばかり。
本当は全て通り終わっても、
しばらくは起きていないといけないけど、
ちょくちょく「もう水平にしてください」
と泣きついていた。

その内、鼻の管はそのままで、
お粥と刻み食になった。
味がなく、食べにくいし、
舌の動きも悪くて飲み込むのも大変。
食べさせてもらっているのに、ボロボロとこぼし、
口の中に食べ物が大量に残ってしまう。

飲み込む力(嚥下機能)に問題はなかったけど、
それだけじゃダメなんだって分かった。

毎日朝食の時間と昼食の時間の前には、
廊下をガラガラと大きな音を立てて
台車が通る音がする。
それを聞くだけで憂鬱だった。
「ああ、また食事の時間なんだ」って。

午後になって、家族が持ってきてくれる
ヨーグルトと牛乳、あとちょっとした食事。
それが唯一の楽しみ。
食事制限がないのが救いだったけども。

そんなある日、看護師さんが忙しくて
食事の後に出ていってしまい、
食後の歯磨きは戻ってからと言われた。
磨き終わるまでは上体を起こしたままなので、
クラクラしながらしばらく待った。

数十分待ってから、1回看護師さんを呼んだ。
「手が離せない。歯磨きならもう少し待って」
と言われて、また1時間位待った。

上手く食べられない口の中が、
食べ物が残っていて気持ち悪く、
クラクラもあって、知らない内に涙が出てきた。

ちょうど違う用事で来た看護師さんが
静かに涙をポロポロ流す私を見て、
「どうしたの!?」と声をかけてくれた。

感染症対策で、部屋に一人ただ寝ているだけの私は
普段は何かをしてほしいとか、これが辛いと
いう事はほとんどなかったけど、この時は
「もう嫌だ、ご飯はもう食べたくない。」と泣いた。

看護師さんは私に手を添えて、
「ごめんね、辛かったね。ごめんね」
と言ってくれた。

動けない私は、ナースコールを押すことが出来ないので、
いろいろ工夫してくれたものの、
なかなか合図が出来ずに必死に繰り返し挑戦して、
やっと1回の合図が出来る事も多かったし、
手違いで音が鳴らなくなっていて、大声で叫んで
疲れ切って気絶寸前まで叫んで、来てもらえたりもした。

そういう毎日の不便さや不安、
世話をしてもらってるから、
黙ってちゃんとやらなきゃ、
出来ないんだから仕方ないって
押し込めていた気持ちが重なって
「もう嫌だ」となったのかもしれない。

こんな大変なら、食事も経管栄養でいい。
もう口からなんて食べたくない。
普通食って言ったのに。

書いてみても、まるで子供が駄々こねてるって
感じなんだけど、当時は本気中の本気。
とにかく食べる事が嫌になっていて、
食事の時間が恐怖でしかなかった。

朝と昼の食事は、みるみる食べる量が減った。
全く食べずに、牛乳を飲むのがやっとな日も。

そんなだから、食事を自分で食べる練習を始めようと
OT(作業療法)の先生が考えていたらしいが、
食に対する意欲が消え失せた私には全く響かなかず。

そんな状態から、なか卯でお箸が使えて感動した程
食事を摂る事に前向きになったのは、
OT(作業療法)の先生2人のおかげ。

毎日使う介護箸を見て、改めて思う。
その話はまた次にでも。



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