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こころの断捨離、そうかも。


引越しをして、あっという間に2ヶ月。

隅に積まれた箱は、見えないと思おう生活か?
と思っていたけど、そんな日あったかな位で
我ながら素晴らしいと自分を褒めている。

ギラン・バレー症候群になってから3年経って、
手の力がない不自由さから、物に対する執着心は
自然と薄れていった。

物を管理するという事に労力を使うのに疲れた。
それが一番の理由だろうと思う。

ミニマリストの方や断捨離のエキスパートの方が
(という言い方が正しいのか分からないけど)
「物が少ない生活は、貴女を豊かにします」
「本当に好きな物に囲まれた生活」
とお話されている雑誌や書籍を見て
憧れて目指そうと思ったのだ、一時は真剣に。

でも、元々が「もったいない」ばかりの私が
いきなりそれは無理でしかない。
「私には無理だわ。同居家族もいるし」
なんて言い訳して離れかけたけど、
何もそのままそっくりじゃなくていいのではと
他のブログやnoteの記事を見て考えた。

要は自分に良い様に解釈したのだが、
良い方に変わるんだからいいのだ。

こんな風に考えられるようになったのも驚き。
とにかくウジウジしてたんだから。

「本当にこれでいいのかな」
「やっぱりこの方がよかったんじゃないか」
とかなんとか、ずっと迷っていた。

いつも色々な事を学ばせてくださる方々が
記事を書いているので、noteを始めた。

最初は読むだけのつもりが、
ブログにない気楽さが気に入って書く気になった。
きっかけは、note のハッシュタグ「こころの断捨離」。

引越したらとは思っていたけど、
引っ越しの準備も、引っ越してからも
自分じゃないみたいな行動力だった。

処分も全く迷わない。
母の方が、「長く大事にしてたのにね・・」と
大型家具等の時は悲しそうにしていた。

引越で今までの思いが爆発したのかもしれない。
今の自分に「必要、大切、心地よい」じゃなければ
もうこの家には要らないのだ。

こころが軽くなった。
物だけじゃなくて、奥の方にため込んでいた
色々なモヤモヤも処分出来た気がする。

まだまだ完全ではないけど、
それに囚われたら、それはまた新たな抱え込みになると
分かっているから自分を追い込まない様にしないと。

広くなった部屋には、床にゴロっと出来る
スペースが出来た。
きもちにもゴロゴロ出来る位の
余裕を持っていこうと思う。


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