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考えることをしてこなかった

子供の時の話

ある意味こだわりが強い、
そんなタイプだったんだろうと、今では思う。

私の話ではなくて、私の両親が。

掃除の仕方、連絡の仕方、食器や小物まで
「この時はこう」という家庭内ルールで溢れていて、
その通りやらないとというか、その通りやることが出来ていないと、
それはゼロに等しい。

両親の価値観が絶対であり、私の都合は認められない。
どう考えても無理なことでも、出来ない=悪。

なので私は子供の時点で、考えることをやめてしまった。
だって、両親に聞いてその通りやった方が早いし間違いないし、
何より私が、より早く平和を手に入れられる。

話をしても、通じない。通ることはない。
時間と労力が無駄に感じて、諦めてしまった。

今でも何か頼まれた時、分からないことが出たら
確認しながらやるというところは、これで身についたんだろうな
と思うので、無駄ではなかったけれど。

無気力から、あれなんだろう?へ。

高校生までは、我ながら無気力だった。
やらなきゃいけないことはやるけど、
自分から何かしたいとかはほとんどなくて、
何となくそうすることになったことを
淡々とやる。

社交性の高い父の血をひいてはいたが、
自分から周りに積極的に溶け込もうとはしないし、
距離感を間違えて失敗することも多々あったから
当たらず障らずでなんとなくその場、この時間をやりすごす。

1番あれこれ興味をもつであろう時期に、なんて勿体無いと思う。
だから今、吸収力は落ちていく一方なんだけど、
抗ってあれこれやりたがっているのかもしれない。

高校を出て、進路の関係で一人暮らしをすることになった。
今まで親任せだったことも、自分で。
銀行に行くだけでものすごく緊張したし、
スーパーで夕飯のおかずを買うのも
日用品を買うのもすべてが新鮮。

親から離れて大丈夫なのかと親の方が思ったらしく
なんだかんだと週末には来ていたが、
元々人混みが苦手で家の中にいる方が多いから
安心したらしく、そのうち来なくなった。

「かんちゃんはどうしたいの?」

親元を離れて数ヶ月。
近所の人との挨拶にも慣れてきた頃、
人との付き合い方も変わって来た。

その当時に知り合った仲間たちが、
無気力で主張がなくて「何でもいいよ」
な感じの私を変えてくれたのだ。

「かんちゃんはどうしたいの?」
とよく聞かれた。
「皆は、じゃなくて、かんちゃんは?」

当時、これが一番困る質問だった。
いや、別に特に何も。
正直、決めてくれる方が楽だったし、
例えばご飯を食べるのでも、系統さえ分かれば
その中で自分の好きな物を選べばいいし
全ての中から選択するのは、私には難問だった。

「じゃあ・・〇〇で」
答えると、すごく嬉しそうにされるので
自分のしたいことを考える様になった。

ダメな時はダメと言われるけど、
大丈夫な時は希望を聞いてくれたり、
時にぶつかっても、お互いに譲歩し、解決策を見つける。

人との付き合いって、こうなんだなと思った。
意見を言うことは、悪い事じゃないんだ。
自分の意見を持つことはダメな事じゃないんだ。
そしてなにより、出来ない事は悪ではないんだ。

すごく気持ちが軽くなった。

離れる=呪縛から解き放たれた?

きっと、両親から離れて、呪縛が少しずつ
溶けていったんだと思う。

出来なくても、出来たところまでをみてくれて
後は一緒に出来る様に考えてくれる。
親が教えてくれなかったことを、
私の周りの人たちが教えてくれた。

もう社会に出る位になってから、
少しずつ少しずつ学んだことの多いこと。
いい大人になってから、そうなんだと分かった、
そんなことの連続だ。

今でも親に対して、ものすごく気を付けて
話をしている自覚はある。
怒らせない様にしているなと、我ながら苦笑い。
でも昔と違うのは、諦めでも服従でもなく、
自分の意思を持って話せている事。

ようやく自立できたのかも。
この年になって、やっとな気がする。
周りに人達に、感謝だな。

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