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変わることを恐れずにいこう

うぇふさんの記事を読んでハッとしました


いつも表現について考える時、うぇふさんの
ご考察や他の方の記事等のご紹介に刺激をいただいたり、
考えさせられたり、発見があったりで、楽しみにしています。

うぇふさんはnote だけじゃなく、Twitter スペースでも
繋がって下さっているのですが、関心があるだけだった
「表現」についてより深く考えるきっかけを下さった方です。

そんなうぇふさんが、次の様な記事を書かれていました。

その記事の中で、うぇふさんは次のように書いています。

大切なのは「反省」することであり、反省的な「前言撤回」を受け入れることだと思います。
「あの時はこう言っていたじゃないか!」と感情的に拒絶するのではなく、その思考過程を尊重し、意見を変えることを認めていくことです。

そして、意見を変える場合も、無責任に心変わりするのではなく、その理由を明確に示すことが求められるのではないかと思います。

「一貫性を追求すること」の危うさ — 蛇行思考の肯定」より引用

皆が配信者になれる時代、だからこそ大事にしたい

人間は弱く、失敗もします。
ずっとこうだと信じ、それを主張していたとしても、
あるきっかけで考え方が変わることはあり得る事だと思うのです。

そしてもしそれが起こった場合、記事の内容にあった様に
変化に至った根拠を示し、理解を求める事も必要だと思います。

私も日記の様な記事ですが、note の記事を書いたり、
standFMで話していて「この部分は変わった」と思う事はあります。

年代や立場が変わって見る視点が変わったもの、
病気等を経験し、初めて知ったこと等も原因の1つと思いますが、
時代の変化や生活環境によるものも大きいと感じます。

影響力の差はあれ、考え方として

私の場合は、特に何かの団体を運営しているとか、
セミナーや勉強会を催しているとかではないので、
「変わった」と言っても特に周りの人に何か言われるような
そんな事例が起こることは少ないと思います。

政治家や著名人、団体の代表などは、それこそ
変わりたくても立場上変えられない、もう少し違う見解を
持っていても言うに言えないとかもありそうですよね。

そういうお立場の方にはその方なりのやり方やポリシーが
あるだろうと思いますのでそれはそれとして。

私が記事を読んで、ハッとしたのはここ

つまり、「自分らしく書く」とは、正確には「今の自分らしく書く」ということです。過去の自分の言動との矛盾を感じるときは、過去の自分と向き合うときです。
「一貫性をもつ」ことを過度に意識することで、頑固になって間違いを認めない姿勢になるのは避けたいものです。

「一貫性を追求すること」の危うさ — 蛇行思考の肯定」より引用

まさに今の自分のよく分からないながらも考えていた事でした。

「今の自分らしく」は、今の私が一番求めているもの。
過去の自分と決別も大事だし、バッサリと断ち切ってしまう方が
簡単かもしれませんが、あえて見つめ直してみようと。

間違いを認めることは、自分の変化を認めること

そう考えることにしようと思います。
「変わったね」は、どちらかと言うと悪い方向への変化と
捉えがちですが、それだけじゃない。

「変わらないね」だって、良い意味で使う事も有るけど、
悪い意味で言われることもありますものね。

私は変化が怖くて、まとめよう、丸く収めようばかりでした。
過去を振り返っても、主張するよりも収まる方法を探してたり。
それがかえって悪い結果に繋がった事も少なからずあったと思います。

「変わったな」と自分に対して思うのは、私にとっては
怖いことで、出来ればしたくない事でした。

でも、今の自分は楽しくて幸せで、それは間違いない。
身体はギラン・バレー症候群で不自由さを感じることが多くとも
メンタル面では雲泥の差です。
ならば、答えは明白ですよね。

「今の自分」を大事にしたいから


自分の今の素直な気持ちを大事にする。
ネガティブになっている今の気分も自分なのだから。

そんな時の配信は、まとまらないし、グダグダだし、
世の中には出せない代物だけど、まずは書いてみる。

外に取り出して初めて、自分も客観的に眺められる。
そんな気持ちになりました。
noteを書くと、こころがそのまま置いてあるみたいになって
かなり恥ずかしさもあるのですが、それはそれ。

取り出して眺めて、時には手直しをして。
自分らしく、こころの日綴りを重ねていこうと思います。


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