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魚梁瀬-台湾林業日記-3-林業跡地あるある...馬路村を例に

台湾と馬路村...林業跡地の様子がそっくり

前回の台湾日記で紹介した太平山の林業跡地は、私が台湾で初めて訪れた林業跡地です。そこで私は、現在自分が住む馬路村との類似点の多さに大興奮しました。あれも同じ、これも同じ、ていうか写真だけ見たらどっちかわからないかも!

そこで今回は、馬路村の林業の歴史と今残っている遺構について説明しながら「林業跡地あるある」をご紹介します。次回からの記事のご参考に。今後あなたが訪れる林業跡地でも「あるある出たよ〜」と親近感を持ってみることができるかもしれません...!全くの林業初心者の方(私含む)もわかる内容です。

目次

1.森林鉄道が走っていた
2.りんてつ(森林鉄道に親しみを持てる略称)遺構がある
3.りんてつには材木だけでなく人も乗っていた
4.本線から支線がのび、各事業所へ
5.とにかく信じられない光景

1.森林鉄道が走っていた

 馬路村は、面積の98%が森林で江戸時代から材木供給のメイン産地として林業を行ってきたエリート林業地です。藩の「御留山(藩の材木をキープしとく山)」として、勝手な伐採は制限されていました。常に林業地としての生産はブイブイ、その勢いは明治になっても変わりません。鉄道を導入して山奥から海までがんがん材木をだしていました。もちろん、植林もずっと行われていたので今でも馬路村の山のほとんどが針葉樹林の山です。

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▲私の家の裏の山
 

 さて、森林鉄道が導入されていたのは1911年〜1963年。魚梁瀬森林鉄道と名付けられたその鉄道網は全国でも2番目の導入だったということで馬路村の林業エリートぶりが伺えます。
 その後車が普及し、材木の輸送はトラックにとってかわり森林鉄道は次々と廃線となっていきましたが、現在の道路はこの軌道跡を舗装したものがほとんどなので生活の中で今でも森林鉄道の跡を日々たどっているのです。

2.りんてつ(森林鉄道の略称)遺構がある

 さてここからは森林鉄道をりんてつと呼ばせていただきます。とても親しみやすい略称で大好きです。馬路村ではりんてつ軌道跡を日々辿っていると伝えましたが、「ここが軌道でしたね!」とはっきり分かる遺構がたくさんあります。
 たとえば隧道(ずいどう)。曲がりきれないカーブになりそうなところに通すトンネルで、いずれも100m未満の短いものです。
 こうした隧道を含む魚梁瀬森林鉄道関連の遺構で国指定文化財に指定されているものは18あります。

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▲魚梁瀬森林鉄道の安田川線に残る隧道のひとつ

3.りんてつには材木だけでなく人も乗っていた

 りんてつは、材木輸送のために導入された鉄道なので人の輸送は想定されていません。とはいえ山奥に住む人々が海まで続くこの鉄道に乗ることができれば生活はもっと楽になります。というわけで、「命の保証はしません」という文言が書かれた切符を手に人々はりんてつに乗っていました。国の営林署があった魚梁瀬に用事がある人なども多くいたので、りんてつにのってゴトゴト向かう...本数は少ないので日帰りではなかなか厳しかったようです。

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▲りんてつに乗り込まんとする人々でにぎわう魚梁瀬駅
(2020.5.6 https://www.kochinews.co.jp/article/305989/)

4.本線から支線がのび、さらに山奥の各事業所へ

 りんてつはメインの線路である本線からさらに支線がのび、山の奥の奥まではりめぐらされていました。各支線の先には作業の事業所が設けられそこにまとまった数の世帯が住んでいました。この各事業所、今から考えるととんでもない山奥なのですがそこに一つの集落が形成されており、そんな場所がぽつんぽつんといくつもあったようです。
 各事業所ではみな家族で暮らしていましたが子供たちが通う学校への通学はあまりにも距離があり難しかったようです。そこで馬路村の奥地である魚梁瀬地区では小学校の近くに合宿所を作り月曜日から土曜日まではそこから学校へ通っていました。土曜日の夕方にはりんてつに乗って親元の事業所の方面へ帰っていく...子供達は親のもとへ帰れる土曜日を心待ちにしていたそうです。

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▲合宿所のこどもたち(馬路村教育委員会刊「森林鉄道物語」より)

5.とにかく信じられない光景

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▲魚梁瀬にあったインクライン(馬路村教育委員会刊「森林鉄道物語」より)
インクラインは、急な斜面でも木を輸送できる装置。何箇所かあったようです。

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▲小川営林署内をゆくトロリー(ネコ・パブリッシング「魚梁瀬森林鉄道」より)

信じられない傾斜をあがっていくレール、切り出したばかりのような細い木材で組まれた軌道、その上を走る重そう〜な木材を載せたトロリー...

https-::www.kochinews.co.jp:article:305989:甚吉が森周辺

▲甚吉が森周辺の様子(2020.5.6. https-//www.kochinews.co.jp/article/305989/)

断崖絶壁をゆく鉄道...正気で敷設したのでしょうか?

かつての林業やりんてつついて調べていると、信じられない光景の写真を多々見つけます。「どんな山奥でも木材をとってきてやるぞ」という執念とそのエネルギー、人間の限りない欲望とその熱量にただただ圧倒されてしまいます。それが行きすぎた結果を生み出してしまうこともあるし、同時に数々のドラマを生み出す元でもあります。

今では考えられないような開拓を行っていた精神に、わたしは、ロマンも感じずにはいられないのです...。

もっとあるとは思いますが、ひとまず林業跡地あるあるのご紹介は以上です。いやというか、全て森林鉄道あるあるでしたね。次回の記事では、台湾の太平山の林業跡地で見た林業あるあるを紹介していきますので覚えておいてください。

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