見出し画像

024 体から病気

体への入力はエネルギーである食料と水と酸素である。

体の出力はエネルギーの消費である基礎代謝と運動である。

入力と出力の平衡が崩れると体調が崩れる。

その崩れがいずれ病気となって現れる。


エネルギー吸収性能が高い体とは、よく肉体的運動(働ける)体である。

なるべく少しのエネルギーで多く労働できるような体である。

それは、代々先祖より受け継ぎ進化させてきた体質である。

現在は、それがあだとなっているのである。


消化がよく、美味く、食べたい高エネルギー食料・飲料・調味料があふれている。

しかし、しなければならない肉体運動は減っている。

使われない体内エネルギーは備蓄させることになる。

同じ生活をしていれば体の性能が高いほど備蓄が多くなる。


同じ食生活・運動をしてもコレステロール値が高いのは、運動能力の高さである。

入力に対して出力が少ないことを示す数値なのである。

数値の高さは、もっと体は動けるということなのである。


老いて動かないほどに、食べたくなくなる。

しっかり食べ、しっかり動いた人間は、運動量と食事量がつながっていた。

体と心が結びつき、身(心と体)になっているということである。

普通に暮らせばそうなる人が多かった。


備蓄されたエネルギーは、生物(なまもの)だから使われないと腐る。

これが万病の元になる。

メタボリックシンドロームともいわれる。

生活習慣病の元である。


「生活習慣病」は以前「成人病」といわれた。

そのうちに子供も成人病になるようになって「生活習慣病」と名を変えた。

その「成人病」は戦前、「文化病」と言われていた。

戦前の「文化」には、戦後なくなった「新しがり・西洋かぶれ」の意があった。


「文化生活」は、明治の文化人から始まった。

戦後は一般成人に受け入れられ高度経済成長に繋がった。

高度経済成長後は小児や老人にまで受け入れられた。

病名の変化は「文化の浸透度合い」なのである。


体には体温を調整する自律神経がある。

寒い時に毛穴を狭め、熱い時に毛穴を開くことなどを仕事としている。

そんな仕事もつらいだろうと、頭が室内を空調し、体温調整を手伝う。

すると室内と外気温の差が大人なら十度、子供なら五度で体温調整から手を引き始める。

自律神経が体温調整しなくなると風邪を引くことになる。

また暑さ寒さに対応しなくよくなると、基礎代謝が下がり、備蓄が増えるのである。


体温調整する自律神経の仕事を頭が支援すると自律神経は仕事放棄し始める。

自律神経とは、自ら律している神経のことである。

それなのに脳がでしゃばってくると、怒るのである。

「だったら、脳、お前がやれよ、おれは手を引く」と。


自律神経は自分が宿る肉体そのものを壊すのだから見上げたものである。

体温調整する性能が高い自律神経ほど、仕事を放棄するのも早いはずである。


怪我などの外的要因の体の病気は原因が外的だと明確なのでここでは割愛する。

内的要因の体の病気をもう少し細かくみれば、細胞が反乱することで発生している。

それは、内臓であれ、神経であれ、体のすべては細胞で出来ているからである。

細胞とは、脳や意識でコントロールできない独立した生命体のことである。

すなわち、なにごとにもよらない体の尊厳でもある。

これらはコントロールしないことでコントロールするしかないものである。


細胞の尊厳は、細胞に優しいこと・助けられることで穢(けが)れる。

細胞は尊厳が穢れると体を病気にする。

現代の生活は以前の暮しに比べて、細胞にやさしくある。

細胞は穢れ、ふて腐れるのである。


だから頭で考える便利で快適な生活は、体にやさしいのではない。

よくよく聞けば体はそんなことをされることを欲していないのである。

体は尊厳を穢され、ひいては体の中にある命を傷つけ不満を表しているのである。

本当のところ頭は体ではなく心にやさしくしているのである。


暑い・寒いと頭に訴えているのは体ではない。

アレ食べたいとかコレ食べたくないとは頭に訴えているのも体ではない。

運動が面倒だとか楽しいとか訴えているのも体ではない。

心が頭に訴えているのである。


#小さなカタストロフィ
#microcatastrophe

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?