094 ものいう肩書き
肩書きをみれば、どんな人物か検討がつく。
肩書きがあれば、相手が察してくれ、話がとおりやすくなる。
肩書きがものをいう場面は多くある。
いろいろなメディアを通じ、多くの公言を目にする。
そのすべての公言は、発言者の立場に基づくものである。
だから、よくよく聞いて行動するなら、結局は発言者と同じ立場に立つことになる。
社会における立場とは社会的役割である職業に還元される。
職業は色々あるから社会は回るのである。
それなのに多くの人間が同じ立場(職業)に立てば社会は回らなくなるのである。
残念ながら、ほとんどの公言は聞くに値しないのである。
社会(あなた)の為にという公言は、ほとんど社会の為になっていないのである。
あるべき社会像が発言者の職業に基づく個人的見解でしかないのである。
結局は明哲保身、発言者の立場の維持強化でしかないのである。
公言とは名ばかりで公言でなく、すべては発言者の私言なのである。
内容は聞かずとも、肩書きだけを見れば十分主張はわかるのである。
どうせ私言なので、半分深刻に聞いておけばいいのである。
では公言とは何であるか。
公言とは私言なのである。
自分自身のための言なのである。
出筆中の私の肩書きは「偽百姓」である。
私には百姓するのに能書きが必要だったのである。
その能書きとは「人の為に百姓する」である。
換言すれば社会の為に、自給自足をしているのである。
買うより面倒な自給をして、社会からの提供物と距離を取り、社会を疲弊させない、社会貢献をしているのである。
そして偽をつけざるおえないは本物の百姓には能書きこそが要らないからである。
本物の百姓は能書きに縛られていないのである。
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