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波乱万丈 私の人生

栄光から奈落の底へ


私は、かつて二つの会社を経営し、年商10億円をあげていた。システム開発を主事業とし、ハードウェアとソフトウェアの両面を支える会社をそれぞれ運営し、特に全国の駐車場に設置されたリモートメンテナンス装置は、業界でも高い評価を得ていました。しかし、51歳の年、新製品開発に、いままで稼いだ資金を惜しみなく、投入したことが転機となり、人件費と材料費の高騰というダブルパンチを受け、資金繰りが悪化。新製品にかかる経費が膨らみ、キャッシュフローは崩壊寸前となった。
社員への給与支払いもままならず、労働基準局から給与支払い督促状が届くまで追い詰められた。そんな私は、自宅マンション、愛車を手放し、その資金で、社員の給与支払いをし、わずかに残った資金で横浜みなとみらいの一等地から都筑区のセンター南へ泣く泣く、引っ越し、個人事業主として設計の仕事で食いつなぐ苦難の日々が始まった。

どん底から這い上がり、投資の世界へ


設計の仕事が無いときには、マックやピザハットでデリバリー、日雇いの引越し作業、学童保育での送迎運転手、食肉のトラック配送、職場のトイレ掃除、等々・・・生活はギリギリだったが、数億の借金を抱えて、今なお奇跡的に生き延びることができている。そんな中、妻は原因不明の病気に襲われ、一人では外に出ることができなくなり、そうこうしているうちに広島の実家の父と母が病に倒れ、帰郷を検討するも、妻を連れて広島に帰ることは生活の目処が立たず断念。
横浜で、もう死ぬしかないと思った。
しかしながら、あきらめの悪い私は、絶対再起したいと思い、3年前から投資を始めたが、当初は芽が出ず、バイナリオプション、FXでなけなしの資金を失う羽目になった。もう駄目だと思っていたところ、偶然出会った情熱的な凄腕トレーダー投資家(師匠)との出会いによって、状況は徐々に変わり始めた。マイナス続きだった投資が、昨年春からようやくゼロ近辺水面まで浮上、少し顔を出せるような状況に転じ始めた。
そして、今年に入り、師匠が計画した素晴らしいコミュニティに参加を許され、そこで更なる飛躍を誓った。いつか、悠々自適に妻と暮らせる未来を目指し、日々研鑽を積んでいる。

新たなコミュニティで再出発


波乱万丈の人生を乗り越え、諦めずに未来を掴み取ろうとする思いは、強い。これから、いや一年後には、師匠、仲間、妻とともに、いただく、うまい一杯が待っていると疑いない希望をもって、今、二度目の人生を歩み始めた。

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