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台本は店で書く 赤坂の話がしたい 21

 先週金曜の夜(正確には、土曜5月30日午前2時25分から)、福岡で『イントレランスの時代』のリメーク版がOAされた。ローカルでは3回目の放送となる。
 年末の初回放送は、長さが52分。ヘイトスピーチや、植松聖死刑囚と僕のやり取りの再現、つまりイントレランス(不寛容)のオンパレードを、昼間の午後2時台に放送したので、リビングの空気が凍ってしまった福岡のご家庭もあったろう。
 2月のリメークは深夜で、54分版に枠を拡大した(これを、BS-TBSで4月に全国放送)。さらに、植松被告に下された死刑判決と、コロナ禍の拡大を入れ込んで、3分増やしたのが、今回の57分版だ。
 これまでは福岡で編集してきたのだが、今回は僕が東京から帰れないので、赤坂で台本を書き、福岡で編集してもらった。編集に立ち合わないなんて、初めてのことだ。

 初回放送バージョンの台本を書き始めた昨年秋。いつもの番組作りの時と同じように、台本をバッグに入れて持ち歩き、しょっちゅう取り出しては赤ペンで思いついたことを書き入れていた。

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 ラジオの『SCRATCH』は、台本書きの場をほぼ居酒屋「花丸」に固定して手を入れたが、これをテレビ番組化した『イントレランスの時代』では仁村和代さんが経営している「紫月」(しづき)のカウンターでも台本を広げた。和ちゃんは大の動物好きで、ずっと店には愛犬のプーと黒猫のミーがいた。
 居酒屋で独り、赤ペンを持って台本と格闘するのは、店の雰囲気を壊すかもしれない。だが、両店の常連は、何も言わずに見守ってくれた(気にしてなかった、というのが正確か?)。

 「紫月」の常連、みさきちゃんは、芸能の街・赤坂らしく、芸能プロダクションで仕事をしているが、本人はとても控えめな人だ。群馬の母を「紫月」に連れて行ったらすっかり仲良くなって、手紙をやりとりしたりしている。悪性リンパ腫を発症した母が、1年以上の抗がん剤治療を終え、がんが寛解したと報告した時は、みさきちゃん、涙していた。優しい人だ。
 放送まで1か月を切り、台本書きが佳境に入っていたころ。
 もう一つ……、もう一つ、何かが欠けている。ドキュメンタリーの制作で、一番苦しくていらいらするのは、この期間だ。1行ずつ、一言ずつ、言葉を詰めていく自分の判断が、正しいのか分からない。怖くて、不安で、でも「えいやっ」と覚悟して、一歩前に出る。そして、次の言葉で、詰まる。直しは、いつまで経っても終わらない。
 「紫月」で隣に座っていたみさきちゃんに、「ちょっと見てもらえます?」と言ってみた。
 数日後、気になった点や表現の重複、分かりにくいと感じた理由などを、みさきちゃんは台本に細かく書き込んで、戻してきた。指摘はどれも的を射ていて、「なるほど」と思うことばかりだった。考える材料をいただき、最後の詰めに入った。
 苦しみと楽しみがないまぜの時間。だから、結局は面白い。どの分野の職人にとっても、そんなものかもしれない。

 年末の初回放送が終わり、みさきちゃんには感謝の意を込めて、「紫月」でDVDを手渡した。悩みに悩んだエンディングの締めは、みさきちゃんからいただいていたアドバイスは最終的に採用せず、僕が書いた元の原稿を活かすことにした。
 「ごめんね。結局、元のナレーションでやっちゃった」
 みさきちゃんは「いいの、いいの」と優しく笑い、「放送できて、よかったです」と喜んでくれた。
 『イントレランスの時代』の2月バージョンは今日、ギャラクシー賞で『SCRATCH 差別と平成』と同じ、奨励賞になったと発表があった。これは、僕だけの力ではない。その裏に、赤坂の人たちの、見えない支えがあったのは明らかだ。

(2020年6月1日 FB投稿)

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