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水谷豊さんの花 赤坂の話がしたい 23

 「紫月」の常連まっちゃんは、時にしゃれでセーラー服を着たりするけれど、国内最高レベルの技術を持つ音声マンだ。ドラマ『相棒』の音は、すべてまっちゃんが引き受けてきた。主演の水谷豊さんの信頼は厚い。
 そのまっちゃんが去年の秋口から、だんだん痩せてきていた。「紫月」で料理を頼んでも、箸もつけずに帰る時もある。和代ママや僕ら常連が気になって聞くと、「大丈夫、大丈夫」と笑う。だが、カウンターの後ろを通ってトイレに行く時も、ゆっくりとしか歩けなくなってきていた。
 「まっちゃんの様子がちょっと怖いから、一度来て」と和ちゃんに言われ、「紫月」に行ったのは、3月10日ごろだったと思う。『イントレランスの時代』の台本に手を入れてくれたみさきちゃんと話していると、まっちゃんが来た。
 しかし、この時は体調がよかったのか、「紫月」名物のカレーを平らげた。会話も普通に弾んだ。「意外と大丈夫じゃないか」。僕も、みさきちゃんも、そう思ったのだ。その夜は――。

 訃報が、和ちゃんからのメッセージで入ったのは、3月末だ。外出がそろそろはばかられる時期に入っていたが、驚いた僕は「紫月」に急いだ。TBSの小谷さんは、既に駆け付けていた。
 まっちゃんが仕事に来ないのを心配したドラマ制作現場の仲間が、「紫月」に連絡していた。警察とともに自宅のドアを開け、ベッドの下で倒れているまっちゃんを発見したという。
 「紫月」の和ちゃんは泣いていた。3月17日、「腹が痛い」とlineが届いたので、近くのまっちゃんの部屋まで差し入れを持って行った。しかし、まっちゃんは礼を言いつつも、ドアを開けて顔を見せることはなかった、という。
 世話焼きのTBS小谷さんが、赤坂警察署と連絡を取った。まっちゃんは家族とは疎遠になっていること、自分が親族を探していること、そして自分の携帯ナンバーを刑事に伝えた。

 それから半月ほど経った。まっちゃんはまだ赤坂警察署に安置されていたが、ようやく小谷さんが妹さんと連絡を取ることができた。
 4月19日、小谷さんと和ちゃんと僕は赤坂警察署に行き、遺体の引き取りに来られる妹さんご夫婦を待っていた。コロナ禍が続く中、常連客の多くに声をかけることは避けた。
 まっちゃんの職場では、音のプロフェッショナルを失ってみな大きなショックを受けているという。しかし、このコロナ禍の中、一人だけが代表して見送りに来た。
 死亡推定日時は3月21日ごろ。警察は詳しい死因を明らかにしてくれなかったが、「コロナではない」とだけは明言した。
 あれだけ「病院に行ったら?」と和ちゃんや常連が勧めたのに……。。
 いや、実はこっそりと行ったのかもしれない。僕は、死期が近づいているのをまっちゃんは知っていたのではないか、とも想像してしまう。
 家族との縁が薄かったまっちゃん。妹さんは「25年会っていなかったんです」と言った。詳しい事情は聞けなかった。でも幼いころは、年の離れた兄からかわいがってもらったという。

 その日は、土砂降りになった。
 赤坂警察署から世田谷区の火葬場に向かう途中、一度車を止めて、「紫月」に入った。
 カウンターの一番奥はまっちゃんの指定席で、まっちゃんが亡くなってからは笑顔の写真と花を飾っていた。みんながスマホに保存しているたくさんの写真を、妹さんに見せた。「お兄ちゃんは、さびしくはなかったんですね」と、ホッとしたように言った。同僚は、まっちゃんがどれほどすごい音声マンだったか、撮影現場で欠かせない存在だったかを語った。
 カウンターに飾ってあった、とびきりの笑顔の写真は、にぎやかな「紫月」の店内で、小谷さんが撮ったものだ。写真は額ごと、妹さんに差し上げた。
 東京で、火葬場に来たのは初めてだ。職員はみな、マスクをつけている。炉の前で、棺のふたが開けられた。亡くなってから、およそひと月。顔を見るのが怖かった。だが、これは本当に最後のお別れだ。固唾を飲んで、覗き込んだ。
 動かないまっちゃんは、歯を見せていた。笑っているようにも見えた。
棺の中を、僕たちはたくさんの花で埋めた。何箱も届いていた切り花は、水谷豊さんからの最後の贈り物だった。

 外は、雨が降り続いていた。

(2020年6月6日 FB投稿) 

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