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『雲仙記者青春記』 新米記者が遭遇した、災害報道の現場

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記者になったばかりの新米が、突然の大災害に遭遇。1万人を超える避難住民が出ているのに、経験はゼロ。右往左往しながら地元に住み込み、5年後に災害が終わるまで見届けた記録が、『雲仙記…
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2021年6月の記事一覧

番外編 「ヤマが、撮ってみろと言っているようなんだ」 西川清人さんの普賢岳

『雲仙記者日記 島原前線本部で普賢岳と暮らした1500日』(1995年、ジャストシステム刊)のネット復刻にあたり、2021年6月1日記す −−−−−−−− ネット復刻した『雲仙記者青春記』で、引用した普賢岳の写真は、ほとんど西川清人さんが撮影したものだ。陽気な愛すべき人柄で、一緒によく飲んだ。 2000年、49歳の若さで突然亡くなってしまった。今回、西川さんからいただいた写真を引用するにあたり、パートナーの成子さんと、西川写真館を継いだ完くんにご了承いただいた。 今回

大火砕流 30年後の”あとがき” 2021年6月3日

『雲仙記者日記 島原前線本部で普賢岳と暮らした1500日』(1995年、ジャストシステム刊)のネット復刻にあたり、2021年6月3日記す (復刻した本文はこちらから) 28歳のぼくが書いたこときょう6月3日は、大火砕流発生からちょうど30年の日だ。 あの時、24歳だったぼくは、たまたま島原市の取材ポイント「定点」にいなかった。だから、54歳になった今もこうして生きている。 長崎県島原市の取材本部に駆け付けた時、先輩記者からもらったメモには、「CAMERA 石津 車両 斉