マガジンのカバー画像

『雲仙記者青春記』 新米記者が遭遇した、災害報道の現場

16
記者になったばかりの新米が、突然の大災害に遭遇。1万人を超える避難住民が出ているのに、経験はゼロ。右往左往しながら地元に住み込み、5年後に災害が終わるまで見届けた記録が、『雲仙記…
運営しているクリエイター

2020年12月の記事一覧

『雲仙記者青春記』第3章 警戒区域が設定され、1万人の被災者の長い生活が始まっていった

『雲仙記者日記 島原前線本部で普賢岳と暮らした1500日』 (1995年11月ジャストシステム刊、2020年12月17日第3章公開) 自然災害 と ”法律災害”  「6・3大火砕流」から3日後。島原市の鐘ヶ江管一(かねがえ・かんいち)市長は、市内のホテルの一室で、高田勇長崎県知事の必死の説得を受けていた。「普賢岳が沈静化するまでヒゲはそらない」と公言し、普賢岳災害を象徴する存在となったヒゲ市長である。  「なんとしても警戒区域を設定してくれ。これ以上犠牲者は出せない」との知