沼であいましょう

大晦日は家族で遅くまで紅白を観ていて、翌朝遅くに起きたら家族みんなでお雑煮食べてダラダラお正月のテレビがキャラキャラ言っている横でカードゲームに興じながら1日は終わる。
2日にじいちゃんちへ行く。ばあちゃんと待っていて、お重をみんなでつつきながらテレビを観る。私やねいちゃんの学校の話でぼんやり盛り上がっていると、毎年じいちゃんがみんなの輪を抜けて玄関から外に出て行く。じいちゃんに「どこ行くの?」と聞いた事がある。「近所にあいさつに」とじいちゃんは小さな包みを抱えて外に消えて行く。
近所にあいさつ程度なら後をつけても支障はないだろうと考えて、じいちゃんに気が付かれないように今年は後をつける事にした。
じいちゃんは住宅街を抜けてどんどん歩いて行く。どんどん歩いて雑木林の中にフェンスの出入り(知らなかった場所)に入って行った。雑木林と言ってもある程手入れを近所の人がしているのか私の足でも歩きやすくなっている。じいちゃんが止まっているのを見た。沼があった。木々の上にお天道さんが輝いている。じいちゃんがこっちを見た。私に向かって手招きしている。

「ついて来ちゃったね」
じいちゃんがつぶやいた。
私は怒られるのかなと思ったけど、それだけ言っただけで、包みを開け出した。小さな重箱にちょっとずつおせちが小さく刻まれて入っていた。ちょっとずつ沼に落とす。
「水に落ちないように放っておあげ、沼のヌシにもおすそ分けだよ」
里芋や人参、伊達巻が沼の底に沈んで行く。その次の瞬間、底の方から魚の口がパクパクと見えてきた。じいちゃんと私はかわるがわる重箱からおせちを無くなるまで放った。終わり頃は手がべとべとした。食べ終わったヌシは元気そうに体をくねらせぐんぐん泳いで底に戻っていった。
「今年も満足そうだな」
じいちゃんがポケットティッシュで手を拭ってから私の手も何枚もティッシュを使って拭った。その後は特に盛り上がりもせずに二人で家への帰路へ着いた。その次の年から毎年正月2日には二人でヌシにおせちを撒くのが恒例行事になった。

じいちゃんが死んだ次の年、年賀状がじいちゃんから私宛に届いた。絵はナマズの絵が描いてあり「今年からよろしくお願い申し上げます」と書かれていて、誰が投函したのかびっくりしたが、きっとばあちゃんに違いなかった。
毎年同じように正月はばあちゃんちに行く。仏壇のじいちゃんに手を合わせてから、おせちをたらふく食べ、満腹になった頃になると台所からばあちゃんから手招きされた。小さな重箱が入った包みを渡される。「落ちないように」とだけ小さな声でつぶやかれると私は玄関を戸をするりと開けて外へ歩き出した。住宅街を抜けフェンスを抜けて雑木林の中へ入って沼にたどり着く。
黒豆や手作りを放る。沼の底からヌシがゆるゆると上がって来て口を水面に出しパクパクいう。さらになますや栗を放った。何でも食う。
「じいちゃんの代わりに来ました」
パクパクいう水面に向かって話しかける。
「あけましておめでとうございます」
木々の間を緩やかな風が通り抜けて、ひゅーっと音だけが響いている。
重箱が空になるとウェットティッシュで手を拭き、来た道を戻った。コタツが恋しい。

何年も何年も繰り返した。正月は2日にヌシに会いに行く。進学しても社会人になっても結婚しても。

ばあちゃんが亡くなってからも電車で通った。ばあちゃんが死んだ後は重箱に細かく切ったおせちを作るのは私の母の役割になった。私はそんな行事の事も考えて、じいちゃんの土地を相続し家を建て、そして子を産んだ。

2日はヌシに会いに行く日として、誤解の無いように夫の同意も得た。

賑やかなテレビ番組と子供たちのゲームで盛り上がる声の中を一人、輪を外れて母から小さな重箱の包みを渡され台所から玄関に出ようとすると息子が、
「何処行くの?」
不思議そうに聞いてきた。
「近所にね、ちょっとあいさつ」
そう答えて外に出た。

住宅街を抜け雑木林に入りいつものように沼で一人佇む。緩やかな風に梢が震え小さな音が出る。なのに片隅に草を踏むかさりと小さな音を見つけた。木の影から見つめる瞳と視線がぶつかった。
「ついて来ちゃったの」
怒られるかと思ったのか首をすくめるのが木の向こうに見える。手招きして呼び、付いてきてしまった息子の小さな手を握る。冷たい。
「お正月のおすそ分けなの。沼のヌシにおせちをあげなさい」
重箱の包みをほどいてふたを開ける。まず、自分から人参を放って息子に真似をするように促した。ポイポイと数個沼へ放ると底の方から魚体が姿を現し水面に口をパクパクさせた。重箱がどんどん空になっていく。二人とも無口で沼に向かっていたが、食べ物が無くなると息子がこちらを向いて、
「面白かった」とつぶやいた。
私は
「そうぉ。また来る?」
そう聞くと息子は力強く頷いた。
ティッシュで手を綺麗にし、帰路へ家族の待つ家へ息子の手を握って向かった。

一人きりになった時、じいちゃんからもらった年賀状を手本にナマズの絵を練習した。何度も何度も。じいちゃんよりちょっとだけうまい絵と字を書こうとして。

「今年からよろしくお願い申し上げます」

沼の底にうごめくヌシとじいちゃんを思った。
納得する出来で書くことが出来たら葉書を夫にとりあえず託そうと思う。

(end)

#小説

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