栄養士でゴメンね!第五話 ブラックアウト
2019年9月6日、午前3時7分。北の大地に住む私たちはほとんどの人がベットの上で寝たままシェイクされた。
北海道胆振東部を震度7の地震が襲ったのである。
その数分後には電力の供給と停止する。
経験したことのない、北海道がすっぽり真っ暗になるという大規模停電の始まりである。
保奈美さんはベットで体が右や左に激しくゆさゆさ揺さぶられるのにびっくりして揺れが収まったところで飛び起きた。ベットから起き、台所へ行きガスの元栓を閉めた。台所のつけた明かりが消える。片手にスマートフォンを握っていたので画面の明かりで部屋を照らした。部屋こんな激しい揺れでもあまり戸棚が倒れたり食器が落ちたりしなかったから変わりがないようだ。スマートフォンの明かりで目を凝らす。一体何が起こったのだろう?地震までは理解できたが停電って。自然と手がTwitterを開いた。
「すごい地震でしたね。みなさん大丈夫ですか?」
「ガス、電気、水止まりました」
「食器棚とテレビがひっくり返ってしまって、部屋の中すごいです」
「電気がないなんて、いつになったら回復するのかな?」
「道路が陥没している場所があるって」
「ラジオで災害状況が流れてます」
などとタイムラインを眺めているうちにスマートフォンの画面に葉月ちゃんの着信が表示される。
「保奈美さん、大丈夫ですかー?」
「ゴメン、電話かけさせて。大丈夫?」
「ウチは全然平気でした。これから病院に向かいます?」
「もちろん、ご飯出さないと」
「お父さんが現場まで心配だから送ってくれるんです。どこかはわかりませんが道路が陥没しているところがあるし、信号が光っていないんですって」
「けっこう大変な事になっているね」
「お父さんが保奈美さんのところまで迎えに行くかいって言ってます」
「いや、私は自分の自動車で行くよ。ゆっくり走れば大丈夫だと思う」
「わかりました。じゃあ厨房で会いましょう。ちゃんと無事できてくださいね」
「葉月ちゃんも!お父さんに安全運転でお願いしますとお伝えください」
「はい!」
保奈美さんはスマートフォンの明かりで服を探し出して着替えて自動車のキーを握りしめた。ドアを開け外に出る。
本当にあたり一面暗かった。電気が無いってすごいなあ。ぼんやりと空を見上げるとただ暗いばかりではなく細かな光が空に散らばっている。こんな住宅で見えるんだ、銀河。星が凄い見えるなんて。近所の誰かも何人も外に出てきているのか星が凄いねなんてささやいている。
こんな時にのんきに綺麗だなって思うもんなんだねえ。星を見上げるなんて日常生活の中あまりないけど、普通の時より星がたくさん見えることくらいわかる。私たちは明るさにまみれすぎて感覚がおかしくなっているのかもしれない。暗くて足元が見えないアパートの階段もスマートフォンの明かりで照らしながらゆっくりと降りた。
駐車場の自動車まではいつも歩いているから楽勝にたどりつけた。
問題は運転をして病院までたどり着くことだ。のろのろと駐車場から車道まで運転する。まだ夜明け前だ。走る自動車は少ない。ゆっくり走れば大丈夫だと思った。
信号が消えていて自動車の運転手がお互いの様子を伺いながら交差点を通過していく。まだ夜明け前も早いから運転手同士余裕があるのだろう。雪で車道が狭まった時にお互いに道を譲ることも慣れているからこんな時も大きな混乱はなく北国の人間はこなせるのだろうか?カーラジオからはやはり道路に陥没がある情報も流れている。ゆっくりゆっくり自動車を走らせる。横も上も下も気を付けて運転する。そんな遠く無いところが現場で良かったと思った。
病院はもう明るい。事務室の人が一番に駆けつけていて玄関に病院の災害用ランタン灯りが灯っている。自分の駐車位置に止めてエンジンを切ると安堵のため息が漏れた。
厨房への納品口はもう開いているから誰かいるということだろう。
「お疲れ様ですー!大丈夫ですか?」
そう言葉を厨房の中に投げかけると奥には既にいくつもの灯りが灯されていて元気に何人もの「はーい!」が聞こえた。
ロッカーもランタンが灯されていてすんなり着替える事が出来た。
栄養室を開けるともうすでに瑞穂さんが居て床にまかれた書類を必死に集めていた。
「お疲れ様です」
「お疲れ様、来てくれてありがとう!」
机に置かれている災害用ランタンで瑞穂さんの笑顔じわっと浮かび上がる。
「いえ、当然ですよ!」
「ガスも水も止まってません。電気は一部、自家発電でどうにかなりそうです」
「対応が早いですね!」
「事務室の職員さんが一番に駆けつけてくれたので」
「朝は通常の献立できそうって、葉月ちゃんが」
「わかりました!ありがとうございます」
「私、厨房の手伝いしてきます」
いくつものランタンに照らされてなんとか盛り付け台の上は光が届いている。ほうれん草のソーセージ炒めが順調に葉月ちゃんと邦子さんで盛り付けられている。もっと早くに近所に住んでいるパートの方もきてくれたというが午後に仕事を繋ぐために追い返したという。米飯、全粥も通常に炊きあがるようだ。こんな災害の中で通常のメニューで提供するだなんて。すごいなと感心しながら保奈美さんは食器に盛り付けられた料理を配膳車に差し込んでいった。
「配膳時間になったら病棟の職員がここまで来てくれてお盆を一人ずつ持って行ってくれることになっています」
瑞穂さんもやってきて指示を出す。いつもの制服を着ておでこにはヘッドライトが付いていて滑稽に感じる。厨房中はLEDランタンが無数に灯っているが広いのであちこちが暗闇になっている。まるでゲームの中の洞窟みたいだ。
朝日が昇ってきて周囲がもっと見えるようになってきた。憔悴した邦子さんの顔、汗をかいて首にタオルを巻きながら一生懸命な葉月ちゃんの顔、給食業務には本来関係のない瑞穂さんが盛り付け後のボールを洗っている姿。みんな一生懸命だった。
朝の配膳時間がやってきた。遅延はなかった。通常通りの配膳になる。
病棟から勤務しているあらゆる職種のスタッフが集まってきて厨房前の廊下にひしめいている。瑞穂さんが叫んだ。
「では、一番上の階から行きます!」
配膳車が入り口近くまで移動する。保奈美さんと瑞穂さんが患者の名前と情報(米飯か全粥、禁止食などの情報が書かれている)食札と食事の内容が一致しているかチェックしながらドアの向こうの職員に手渡しをしてお盆を渡していく。エレベーターが止まっているからお盆をもって職員が階段を駆け上がり患者さんのところまで手で持っていく。
配膳車一台終わると葉月ちゃんが次の配膳車をくるりと厨房からもってきてくれる。瑞穂さんと保奈美さんが手渡しすること約15分かけて全ての患者さんの分の食事が配膳車から吐き出されて空になる。
「何か口にしましょう、私たちも」
ほっとすると同時にお腹が空いていることに気が付く。興奮状態で何も口にしてなくても動いていたんだ。火事場の馬鹿力ってこのことだ。
缶コーヒーとロールパンが瑞穂さんから手渡される。
「お昼も仕込みが終わっているから予定通りの食材を使います。スチームコンベクションオーブンでサバの焼き魚を提供予定でしたが、オーブンまでは電力が回らないのでサバの味噌煮に変更します」
「荷物の配送するトラックは着くのでしょうか?」
「配送会社に電話してみますね」
スマートフォンをみるともう充電が無くなろうとしていた。充電をしようとしたが、どうも慌てて飛び出してきたせいでバックの中を漁っても出てこない。こんな時にこんなミス?保奈美さんは頭が痛くなりそうだ。
「仕方ないよー、はい私の充電器を貸してあげる」
充電器を受け取りながら「すいません」と詫び、もう一度スマートフォンの画面を見ると会社からの着信の表示だ。かけ返すと上司の若槻さんが出て「大丈夫か?食事出せたか?」と聞いてきた。
「なんとか通常のメニューで提供完了しました」
「まだ電気は来ていないんだよね」
「まだですね。いつになったら電気は通るのでしょうか?」
「わからないな。それより今日のトラックは通常の配送だ」
「あ、無事だったんですね食材」
「いや、逆だ。配送会社の冷凍庫が停電しているから冷凍野菜や魚が解凍しちゃいそうなんだ。だから慌てて配送するって」
「え、こっちも冷蔵庫まだ動いてないですよ」
「一日分くらいは半解凍してもそのまま食材が仕込めるくらいだよ。冷凍庫をあまり開け閉めしなければ、食材の冷凍されている温度でなんとか乗り越えられるだろうと」
「ま、そうですね。」
「とりあえず一日一日乗り越えていくしかないよ」
保奈美さんは会話を終えると薄暗闇の厨房へ下がってきた食器を洗いに食洗器が使えない為に手洗いに加わった。
昼はご飯、すまし汁、サバみそ、インゲンの胡麻和えと缶詰のフルーツのメニューで作られ、盛り付けも「ちょっと手元が暗いわねー」とは邦子さんに言われたけどすんなり行われて配膳車にセットされた。
もうそろそろ昼ご飯の配膳の時間となるあたりで看護師長や各階の主任に声をかけられたスタッフが病棟のあちこちから集まってくる。
厨房の前でまた食事の受け渡しが始まる時間になったあたりで、
「あ、電気」
天井に光が戻ってきた。
「回復早かったですね!」
誰からともなく拍手が沸き上がり疲労が浮かんだ顔に束の間の笑顔が戻っていた。葉月ちゃんが手で蛍光管の光を受け止めて嬉しそうに笑っている。
配膳車はエレベーターで通常通り動かされ、各階でこれで通常の配膳が出来た。これだけでも労力はかなり異なり減るものだ。
早速テレビも付けられニュースが流される。手が少しでも空いた職員がくぎ付けだ。札幌近郊では死者は多くは出なかったが住宅地で液状化現象が起こり住宅が傾いたり、胆振厚真では土砂崩れが発生し人が生き埋めになっているようだ。道路も朝は通勤時間は混乱したようだが、その後は警察官が交差点に立つなどして案外スムーズであったとアナウンサーが原稿を読み上げる。
電気も全面復旧はしておらず一部だけ。順次回復とは言っているが何日かかるかは不明だった。
朝からドラックストア・コンビニには一気に人が押し掛けて長蛇の列ができ簡単に食べる事が出来るものから売り切れていったそうだ。
午後のスタッフに人が入れ替わり、トラックで納品業者もなんとか次の荷物を運び入れたが「次はどうなるかわからないんですが」とちょっと絶望するような一言を付け加えて去って行った。
葉月ちゃんも疲れてきて目の下がとろとろになってきたので保奈美さんは帰宅命令を出した。それでもお父さんが来れるタイミングで帰るからそれまで頑張るとのことだった。
保奈美さんは今後の納品荷物次第でメニューを災害が起こった時の缶詰などの食品に置き換えた献立にしなければならないために自分の会社との納品会社と連絡のやり取りをしていた。
「明後日から2日は在庫や缶詰めでやりくりすることになりそうです」
そう瑞穂さんに告げると、
「出来るものを提供して頂ければそれだけで十分です」
そんな回答が返ってきたので、パソコンの献立作成ソフトから入れ替えて献立表を印刷する作業をした。
瑞穂さんが机の上から目を窓の方に移してぼんやりしながらつぶやいた。
「こんなことって起きるんだね。なんだか実感なかったけど」
「前の地震(東日本大震災)はまだ社会人になりたてでしたし、北海道は函館くらいまでしか影響なかったですもんね」
「災害ってちゃんと考えないとやっぱりダメだわね」
「みんな災害が起こるなんて思ってないですもんね」
「家の本棚倒れちゃって、仕事が終わったら家の本を片づけなくちゃ。そして本棚倒れないようにしなくっちゃ」
「ケガがなくて本当に良かったです」
葉月ちゃんがお父さんが来て自動車の助手席にもう眠るように座りシートベルトを締めた。
保奈美さんはお父さんに向かって、
「早朝、葉月ちゃんを送って頂いてありがとうございます!」と言うと、
「そんな、困っている時はみんなが頑張るのは当然、お疲れ様でした」
そう返事を返された。
帰宅するスタッフを見送り、夕飯の配膳車をトレイチェックしてから今日の仕事は終わりにすることにした。
保奈美さんが帰り際にスマートフォンを見ると母から着信と表示されている。心配されていたのかと電話をかけ替えすと、
「無事かい?」
「大丈夫でーす!仕事終わったところ」
「帰り来れる?無理しなくていいけど」
「なんかあったのー?」
「電気まだきてなくてさ」
「えー、電池かなんか買ってきてほしいの?」
「いや、そんなのはたくさんあるから。冷凍庫がけっこう解凍されちゃってさー」
「まあ、そうですよねー」
「今、父さんが炭起こしているんだわー」
「は?」
「全部焼いて食べてしまえって。腐ってしまうより食べれるウチに焼いて食べてしまおうかと」
「えー?」
「すっごい高いサフォークラムとかホタテとか母さんのお宝が溶けてしまったからさ、バーベキュー食べにおいでよー」
自動車の中でちょっとずっこけてしまったが両親が無事であること、そして元気でいることに安心した。そんなタフな両親から私は生まれたんだなとありがたくも思う。
「じゃ、今から行きまーす!」
「はーい!待っているからね」
地震があったのは今朝なのにタフだなあ。自動車をまた慎重に動かす。ところどころまだ信号が付いていないそうだ。
長い一日だったし、これから仕事が安定するのはどのくらいかかるんだろうかと心配な考えが頭をよぎる。
一日一日乗り越えていかないと。まずは空腹は敵。頑張るには栄養が必要。
夕焼けがうっすらと残る中、自動車を走らせると両親と同じ考えをもった人がたくさんいたらしく町中が美味しそうな香りに包まれていた。
ガレージで楽しそうにバーベキューする人たち。冷蔵庫が効かなくなったので炊き出ししている食堂に並ぶ人たちの列。暗いコンビニに貼られた「売り切れ」の文字。
北海道の人はたくましいものだとこんな風景で思う。
自宅に着き、家の前に自動車を止めると既に父と兄が酔っぱらっていて、母もランタンの光の中、美味しそうにお肉を頬ばっている。
「ただいま!」
そう大きな声で家族の前に飛び出すと、ちょっとした歓声が上がった。
母が椅子を指さし、
「お疲れ様、頑張ったねー」なんていうから、
「うん、疲れたー」
そうため息をつくとなんだか一日分の疲れがどっと出てきた。
「さあ、お箸もって。ホタテを焼きましょうか」
「はーい!」
「今日は泊まっていきなさいね!」
「じゃ、ビールだな。ぬるいけど」父と兄が赤い顔で返事をしてくる。
「明日も仕事するからそんなに飲めないよー」
「まあ、一杯飲んで。カンパーイ]
「カンパーイ!」
明日の心配しても仕方ないと割り切ったので、ビールをグイと飲む。ああ、ぬるいビール。
疲労している自分が麻痺していく。
ゆっくり酔っ払いながら明日も頑張ろうと誓う保奈美さんでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?