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栄養士でゴメンね!第四話

その4、「病院管理栄養士 瑞穂さん」


 胸ポケットに収まっているPHSが鳴った「3階の××さんなんですけど、パンの飲み込みが悪かったんですよね、パン禁にしてください」「わかりました、食札を変更するので食事箋の発行をよろしくお願い致します」そう述べてPHSの終了のボタンをピッと押す。今日の昼食はパン。パソコンで食札を新しく作成し、給食会社の管理栄養士の保奈美さんに渡した。
「パン禁、一人増えます。よろしくお願いします」
「はい、わかりました」
 パンが提供される日はパンの提供がダメになりましたという報告も多い日だ。別にのどに詰まってしまった訳でもないのだけど、パンは水を吸収し、急いで食べると塊になって気管を塞ぐから早めに中止にする。それでも食べたい人は多いからパン食の日を月に一度は設けるのだが、不安な気持ちもある日だ。

 栄養室から出て病棟へ向かう。入院患者さんがどのくらいパンを食べているか喫食量を見る為だ。
 瑞穂さんはボールペンがポケットに入っているかを確認して(本当にたまに持たずに徘徊してしまう)メモを取る紙が挟まったバインダーを持つ。今日の喫食量はどうなんだろうと頭の中で思いを巡らせた。

 瑞穂さんのような施設側の管理栄養士は一般の人にはあまり理解されていない仕事をしている。「栄養マネージメント」が主体でそれを取り巻く枝葉の仕事が無数にある。食べ物のなんでも屋みたいになっているから家族が持ち込んだお菓子が大丈夫なものなのかだけでも呼び出されたり、月一回のイベント食の希望を述べたい患者がいる時にも呼び出される。「栄養計画表」を家族に手渡して患者様の食事を食べている時の評価や喫食割合、体重の推移を笑顔を振りまきながら説明したりもする。

 それなのに、他の人が私の仕事を説明すると栄養士だというだけで「献立を作っている仕事です」と口から発せられるとなんだか、どっとがっかりしてしまう。こんなに説明したり、病棟を走り回っているのに。地味だし理解されていない。パソコンの前で栄養マネージメントや栄養計画を打ち込んでいるだけでは本当に何をやっているのかなんてわかってもらえないんだよねーっとむなしい。
 これらの書類を作成するにはデーターを取りに病棟を飛び歩く。まるで蜜蜂が蜜を探すようにだ。パソコンは蜜蜂が蜜をためる部屋みたいに思う。

「パン粥、ちょっと硬かったみたいで患者さんから食べずらかったという話を聞いたのだけど調理する時の加水する量を確認してもらってよいでしょうか?」
 「はい、わかりました。パン粥を作ってから時間が経つと思っていたより硬くなったみたいで…」
 「加える水分の適正な量を知っておいた方が良いと思うのですが」
 「調理師と確認します」
 こんな風に給食会社にクレームに対する改善案も提案したり、献立の内容にお願いしたり、ミスしないように作業動線の見直しとか、考えていない時間は無いくらいだ。
 栄養室の厨房に面する窓がからりと開く。
 「味見お願いしまーす!」
 まだ空腹になっていない胃に味見で食べ物を詰め込まなければならないのも辛い仕事内容の一つだ。
 「すみません、味見どうでしたか?」
そう保奈美さんが声をかけてきた。
 「お魚美味しいです。煮物も。ありがとうございます」
 「先ほどのパンについての延長のお話なのですが」
 そう保奈美さんが話を切り出してきた。
 「はい?」
 「非常食の一部をパンにしたいのですが」
 「窒息のリスクのある食材を?」
 瑞穂さんの眉間にしわがよった。
 「レトルトのご飯もご用意があるのですが、加熱しないと硬いままですので提供までに時間がかかります」
 「全粥のレトルトは最低、温めなくても提供は出来ますが、ご飯は加熱が必要なので被災した時、最初の一食だけでも調理の必要がない、パンの選択肢があると余裕が出ますし、ご提供が被災してすぐに可能なのですが」
 「人によって選択肢を変える感じですね」
 「そうですね、皆さん全粥の提供でも良いかもしれませんが」
 「3日間の災害時の食事は用意されているのですが、全てご飯か全粥なんです」
 「飽きてしまうかもしれませんねー」
 保奈美さんはパンのパンフレットを見せながら瑞穂さんに説明を続けた。
 「この災害時のパンは賞味期限は6年で缶詰ではなくパウチなので収納もかさばりません。一袋400キロカロリーで、あまりぱさぱさしていないんです。サンプルを取り寄せるので食べてみませんか?」
 「興味はありますね。サンプルを食べてみたいです」
 「味が、バニラとコーヒー、イチゴがあるので各種類取り寄せますね」
 「よろしくお願いします」

 災害時の食事も委託会社が考えてはくれる良い時代ではあるが、全て委ねず非常時のシュミレーションはこちらでも考える必要がある。そんな事態には遭遇したくはないが、災害とは突然やってきてしまうものだからいつかはやってくるものだとして想定するしかないのだ。
 三日分の食事が確保されていたとしても、その後の流通が回復していないと食事が提供出来ない。電気やガス・水、人の確保もその時の災害の状況に合わせて行動を変えなくてはいけない。
 水がない時のために廃棄する食器を備えておくのは病院の担当になっている。電気も発電機の用意はあるが…。
 色々考えていくうちに怖いなと思う。どんな災害が起こるのかなって。弱い人ばかりいる病院なのに、災害時どのくらい備えれば足りるのだろう。食事を形のままだすなら簡単だけど、きざむ人はフードプロセッサーが使えななければ手で切れるけど、ミキサー食の人はミキサーが回せなくなったら通常の手段では無理だから栄養補助食品から提供しなければいけないのかもしれない。普通は電源が確保されなくては給食の提供が停止してしまう。
 考えれば考えるほど、背筋が凍るようだった。

 6時半、退勤する時にバックからスマートフォンを取り出すとメッセージが着信していた。
 「ご飯、どこへ行く?今、そっちに向かっているから」
 仕事が先に終わった孝明さんからだ。
  ご飯、ご飯か。今度は自分のご飯の事を考えなくてはいけない。
 「検索して決めておくよ、待っている」
 制服をロッカーにかけて、靴を履き替える。厨房で働いているスタッフに「お先に失礼します」と退勤を告げてドアの外に出て夕暮れの中に身を置いた。薄暗い中グーグルマップでレストランを検索する。安くて、美味しくて、入りやすくて、駐車場があって。
 目の前に黒い自動車が滑り込んで停車した。中にいる人の顔を確認してから助手席に体を滑り込ませる。
 「お疲れ様」
 「食べるもの、洋食でいいかな?」
 「なんでも大丈夫だよ、昼飯はサンドイッチしか食べられなかったからお腹が空いているんだ」
 「じゃあ、右に曲がって」
 「はい」
 加速する自動車の重力を感じて疲労している体が揺さぶられた。コンタクトレンズが少し目の中でごろごろする。靴が足がむくんで締め付けられるようで痛い。スカートに皺が寄ってしまうような座り方をしている。やっぱり疲れているな。美味しいものを食べて気力を取り戻したい。
 店の前の駐車場に止めることが出来て、スムーズに入店できた。ハンバーグが美味しいと評判のチェーン店でご飯がグラムで頼めたり、サラダの種類が豊富で老若男女問わず利用する人がいる。
 メニューを見ていると注文を聞きに店員がやってきた。
 「ドミグラスソースハンバーグ、ご飯200g」
 「私は、チーズハンバーグに胚芽パン、ミニサラダをお願いします」
 「夜なのにパンなんて珍しいねえ」
 「ちょっとパンについて考えておりまして」
 水に口をつけつつ言い訳をしている。後でご飯がほしくなるかなって思っていたからだ。
 昼間、パンについて考えていたことや災害時の対応の中でパンの提供が提案されたことを話す。
 「昼間パン食べたんだったらパンじゃなくてもいいんじゃないかなって思うよ。ご飯食べたくならないの?」
 「ご飯はお家に残っているはずだし」
 「別にいいけどね」
 運ばれてきたハンバーグにパンをもぐもぐ食べながらぼんやりとしていると、
 「パンの事を考えすぎでしょ?」
 そう孝明さんが笑って突っ込みを入れてきた。
 「食べ物の事を考え過ぎな病気なんですよ」
 そんな釈明をしたが、本当に病気のようだ。一日中と言うか365日考えている。
 「あーあ、やだなあ」
 「好きで今の仕事をしているんでしょう?」
 パンをグッとつかんでにらんで見ながら、
 「そうかなあー」と返事を返した。
 保奈美さんはパンをゆっくり咀嚼して飲み込み、次に水を一口飲み言う。
 「ただパンを食べたい時には食べておいた方がいいなって思っただけだよ。いつ好きなものが食べられなくなっちゃうかわからないんだから」
 「まあ、そんなことを言っている事が病気みたいだよねー」
 「仕方ないでしょう?そういう仕事ですし」
 「食べ終わったら家に送るから、ぼんやりここに居てもね。明日は僕ら仕事なんだし」
 「はーい」

 そっちが平日にご飯を食べよってメッセージ送ってきたのになあ。デートの時間に仕事の事を考えすぎなんだよなあ。そう反省はしつつ黙々と二人でハンバーグを食べ始めたのでした。

 栄養士、やっぱり仕事の事を考え過ぎな職業かもしれませんね。
 そうじゃない人もいるとは思いますが、比較的食べ物について考えすぎな人は多くいるような気がします。
 息抜きちゃんと出来るように食べ物以外の趣味もあったらいいと思いますよ。




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