イヌイタコ

大学受験も終わってから母から電話で知らされたのは実家の飼い犬シロが息を引き取ってしまったことだ。浪人の為に北見から札幌に出てきて一年間の浪人生活。初めて実家から離れた暮らしは僕にとって新鮮なものだった。塾の寮の側にはコンビニがあって24時間お金があれば好きな物を好きな時間に食べる事ができたし、母の小言を聴かずにインスタントラーメンが食べ放題だった。親しい友からも離れて勉強に集中する事が出来たし、ほとんどの仲間が進学した事もあり追い掛けなければ行けないと言う焦る気持ちと勉強を邪魔されない環境が整って、なんとか受験勉強に集中する事が出来た。
センター試験と大学の受験を終えて実家に戻ろうとしていたタイミングで母からの電話は出る前からなんとなく嫌な予感がしたのだった。
シロは僕が小学生の頃に近所から貰ってきたアイヌ犬の血が混ざっていると言う雑種だったが、シッポは下を向き、毛は白がまざった茶色で、誰にでも吠えかかるビビり症な犬だった。
小学、中学、高校と僕とシロとは共に過ごし、北見の大地をのんびり散歩する友だった。

寮から引き上げると実家にて父は葬儀の終了を僕に伝え、母は僕の登山用の赤いセーターにくるまってシロは逝ったのだと述べた。

僕は浪人から脱して大学に進学し、新しい学生生活の中を彷徨いながらも、ボンヤリとシロが僕の居ない間に死んでしまったのを思い出すと心の奥底に冷たい石が転がっているような感覚に際悩まされた。
夏休みにアルバイト先で張り紙で「イヌイタコ」の存在を知った。イタコとは霊をあの世から降臨させてイタコなる人の体に憑依させて、何を思っているのか話してもらうという本来は幼くして亡くなった子供を思う親が青森の恐山にて口寄せしてしてどんな声でも聞きたいと言う願いを叶えたものである。僕が見たのはアルバイトが終わって、従業員出入り口の近く、屋内駐車場の壁のポスターで「犬専用 貴方の愛犬口寄せします 1時間1万5千円ポッキリ 明朗会計 追加料金なし イヌイタコ」女性がにっこりと微笑んでいる古びたポスターで住所とメールアドレスと電話番号が記載してあり風俗のポスターと見紛うようではあるが、女性はキッチリとしたピンクのスーツを着て口をそっと閉ざしていて清楚な空気を漂わせていた。

僕だって、それ嘘じゃんって思ったよ。でもさ、それ以上に静かに一つのワンとも言わずにシロがこの世から消えた事が気がかりだったのだ。

夏からずっと迷ってイタコのお願いのメールしたのが11月、メールは数日後に返信があり数ヶ月の予約待ちを食らって年が明けてやっと順番が巡ってきたのだった。
ビルの一室にそのイタコルームはあった。ドアのベルを鳴らすと目を伏せた女性が鍵を開けて出てきた。
「本日は足元が悪かったですね。いらっしゃいませ
。写真はお持ちですよね」
ビルの一室は小さな飲み屋を改造した部屋で照明が薄暗くされており、テーブルとソファと広めのテーブルが置かれているだけだった。僕は写真を手帳から出してテーブルに置く。
「ふーむ。少々お待ち頂けますか。ソファにおかけになってお待ちください」
女性は写真片手に奥の部屋に行ってしまった。僕はソファに座り、出されたウーロン茶を啜った。
ややしばらくして、隣の部屋から出てきたのは犬の着ぐるみを纏ったイタコの女性である。
「あのー、ちょっと白毛が混ざった茶色の着ぐるみ無いんだよねー。耳は白犬のしか準備してませんでした。探せばどっかにあると思うんだけど」
僕は唖然としてウーロン茶を少しこぼしたが、イタコがコップを奪い取り、床を拭いた。その姿を見ているうちに気になる事が出てきた。
「ウチの犬はシッポが上にカールしてません。下に下がったままなんです」
女はまあっと目を見開いて部屋中くるくるしたと思うと輪ゴムでシッポの途中をぐるっと反転させ止めた。
「耳はいかがでしょう?探して茶色にする?」
「白で妥協いたします」
照明が薄暗いはアラ隠しなのかもしれない。
準備は整った。巾着から数珠を出し女は祈り呻きはじめる。数分祈り続けたであろうか、突然女は前の手をテーブルに付けて「ぐるるっ」と唸り始めたのである。目は爛々とし周囲を見渡した後に僕を見据えた。
「よう来たな。先に逝って申し訳ないの」
目の前にいる女に霊が入ったのかそうではないのか、もし入ったとしても人なのか犬なのか区別はつかない。
「学生生活は楽しいかの。悩みがあるのかい?」
「いや、ありませんよ。それよりも」
「それよりも?」
僕は口籠もってしまった。このイタコの女性に何か聞いてみるのは意味があるのだろうかと少し迷いが出てしまった。話さないでウーロン茶に手を伸ばして啜っていた。なんとも話せずにいるのが伝わったのかイタコから話しかけてきた。
「犬とての。人間との暮らしは悩みがあったの」
「どんな悩みなんです?」
「主人が悩んでアドバイスしてあげたくても声にならないのだ。そこの曲がり角にイジメる奴が隠れ潜んでいても言葉で伝える事できなんだ。苦しいの」
手をテーブルに付けたまま話し続けている。付け耳は頭にしっかり固定されているが、耳の先がフルフルと言葉を繋ぐたびに震えてるのが見える。
「だからこうしてイタコの口を借りに来ているのだから、何か話すといいよ。どうせあの世に帰ったら、こちらにはもう来ないのだから、なんでも話すといいよ。今なら交わせる言葉があるのだから」
イタコをじっと見た。茶色の着ぐるみに白耳を付け、犬とは一見では見えない格好になってなにをやっているのだろうかとは気がつかないのだろうか?しかしとりあえず話さねばならない。
「将来、なにをやればいいっすかね」
「好きな事をすれば良いよ、己の道であろう。考える時間がまだあるだろう。道を辿って分かれ道が来たらとりあえず曲がって、間違えていたら戻ればいいだけだよ」
イタコはテーブルから手を離し顎をかきはじめた。考えている時の癖であるようだった。
「それから何か話したい事はないかね。そんなに安いお金じゃないんだから何か吐き出す方がいいんじゃないかな」
僕は壁に貼ってある、小さな写真を見た。無数の犬達。こちらを見て微笑んでいる飼い主と目をくりくりさせた犬。どの犬も幸せそうにしている。
「幸せだったかなぁ…」
「もちろんだよ。死後の世界まで追いかけてどんな気持ちが聴きに来てくれるだけで満足だよ。たくさん一緒に散歩して楽しかったなあ。感謝しているよ。あっちこっちの風景綺麗だったなぁ」
そうだよな、風景綺麗だったな。北見の畑は広くて何にもなかったけど、学校から帰ってシロと散歩した四季は様々さ表情があった。春はそこらの山にも花を咲かせてシロも僕も興味津々で花を覗き香りを楽しんだ。夏は鳥が姿を見せずにあちこちで鳴いて、秋は玉葱が辺り一面に座り込むように実り、冬は凍てつく空気の中を暖かな弾丸のように散歩して歩いた。そう思い返しているうちにぽろりと口から声が出た。
「死ぬ時、側にいてあげられなくてごめんよ」
やっと言いたい事を言ってしまった。謝罪したくても、体ももうすでに無く、僕はどこに向かって謝ったらいいのかわからなかったのだから。
「仕方ないよ。命あるものはいつか死ぬ。命落とす時などコントロールできはせぬ。お前が居ない間に去ってしまってごめんな」
イタコの手が僕の肩に置かれた。知らぬ間に涙が出て頰を伝い落ちて行く。テッシュがテーブルに出されたので涙を拭うが一向に止まらなかった。ややしばらくの間涙は止まらず、肩には手が置かれたままだった。

着替えた女にお金を渡し、僕は部屋の一室を出た。イタコは普通の女に戻っていたが、
「おまえの、元気で暮らせよ」
そう犬が憑依していた時の口調で去り際に声をかけてきた。

犬が憑依していたかどうかはともかく話した事で以後は心の奥に石があるなんて感じはなくなった。イタコという文化も悪くないと個人的には思っている。
札幌の白い雪を踏みしめながら、白くないシロと茶色着ぐるみに白耳を付けた女をぼんやりと思い出し、寒い時期に心の奥がほんのりと温まってくるのを今でも感じている。

[end]
ペットのイタコは実在するのですが、どんなもんなのか想像してみました。
男性は夫をモデルにしましたが、都合よく変更しております。そのままではございません。フィクションとしてお納めくださいませ。

#小説

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